2022年2月24日、ロシアとウクライナの国境付近に集結した10万人以上からなるロシア軍がウクライナを急襲した。2014年に短期間でクリミア半島を併合した成功体験を持つロシアは、早い段階での目標達成、すなわちロシア傀儡(かいらい)政権下のウクライナ国家の成立をもくろんでいたのだろう。しかし、ウクライナ軍の抵抗は激しく、ウクライナの首都キーウ周辺や南部ヘルソンで、世界2位と評価されていたロシア軍が撃退された。
ロシアのウクライナ軍事侵攻は、国連の安保常任理事国が世界全体の安全を主導するという、第2次世界大戦後から各国が抱いていた幻想を完全に打ち砕くものだった。そして、ロシア軍の侵攻開始から10か月を経過した今も、国際社会はそれを押しとどめることができていない。これが国際情勢の冷徹な現実だ。
そして、国家の安全を保障するものは国連ではなく、自らの外交努力や防衛努力であることが改めて認識された。このことが、12月の日本の安全保障関連3文書の改訂に繋がったことは言うまでもない。2023年の日本周辺の安全保障環境は、この3文書と無関係ではありえない。
新たな国家安全保障戦略には、相手のミサイル発射拠点をたたく「反撃能力」やサイバー攻撃を未然に防ぐ「能動的サイバー防御力の保持」という、従来に比較すると踏み込んだ内容が規定されている。さらには、5年間の防衛費として43兆円を確保する方針だ。
しかし、安全保障政策の大きな方向転換というイメージばかりが先行し、何が変わり、何が変わっていないのかについては、必ずしもコンセンサスは取れていない。今後、具体的な施策に落とし込んでいく段階で、いろいろなところに影響を及ぼすと考えられるが、その影響は「国内」、「対米関係」、「対中関係」の3つの区分けで見ていく必要がある。
国内意見の分断が、認知線のターゲットに
国内的影響から見ていこう。国家安全保障戦略は、日本の戦後の安全保障の歴史と国民の選択に基づいて国益を定義し、さらに国益に基づいた「安全保障に関する基本原則」を定めている。この基本原則の1つに、相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使する「専守防衛」がある。「反撃能力」より上位の概念で、反撃能力は専守防衛の枠内で行使される。反撃能力とは、日本に対する武力攻撃が発生し、その手段としてミサイル攻撃が行われた場合、武力行使の3要件に基づいて、必要最低限度の自衛措置として行使されるものだ。この規定に従えば、反撃能力は弾道ミサイル対処の延長線上にある考え方と言える。
しかし、反撃能力に関しては、「先制攻撃なのではないか」や「日米の矛と楯の役割を変更するものだ」との批判がある。これは反撃能力という言葉のイメージにのみ立脚した考え方だ。
危険なのは、日本国内の反撃能力に関するこの意見の分断だ。相手国の弱体化を図るために相手国世論に働きかける戦いは「認知戦」と呼ばれるが、この意見の分断が認知戦のターゲットとなりうる。2023年は、海外から認知戦が仕掛けられる可能性があるという自覚を持って、国内の反撃能力に関する議論を注視していく必要があるだろう。
日米のコンセンサスを取ることが重要
次は、対米関係への影響だ。米国は、バイデン大統領を始めとして日本安全保障戦略の見直しに好意的である。米国が10月に公表した国家安全保障戦略には「統合抑止」という項目があり、「同盟国・同志国との統合の推進」が重視事項となっている。
日本の防衛力強化は、この「統合」の観点から極めて重要だ。とくに、日米が共同して行動する際は、「目標位置の共有」や「いつどこを攻撃するか」などのコンセンサスを共有し反撃能力を整備しておくことが、エスカレーション抑止(抑止効果)の実効性の確保につながる。
また、今回安全保障戦略に組み込まれた「能動的なサイバー防御」を実行する際、日本が攻撃者のサイバー空間に侵入することが予想されるが、これに対して相手が軍事的対応をとる可能性がある。そのため、反撃能力同様、ここでも米国とのすり合わせが必要になってくる。
日本の新たな国家安全保障戦略には、米国との協力深化の1つとして「柔軟選択抑止措置(FDO)」も盛り込まれた。FDOは外交、情報、軍事、経済、技術などといった国力要素を普段から駆使して攻撃力の高さを明示し、相手の挑発行為を抑止するものだ。有事のみならず平時から日米共同部隊を編成し、そのプレゼンスで好ましい安全保障環境を構築する。
すでに岸田文雄首相は日米の防衛協力の指針(ガイドライン)見直しに言及しており、今後、上記の点について調整が進められる模様だ。これに対しブリンケン米国務長官は16日、根本的に新たなステップに入ったと評価した。日本には、米国からの過大な期待に飲み込まれることのない是々非々の対応を期待したい。
沖縄で薄らぐ軍への拒否感
対中関係への影響はどうか。日本は国家安全保障戦略のなかで、中国を「戦略的な挑戦」と位置付けているが、中国外務省の報道官はこれに不快感を示している。
中国は16日以降、海軍空母「遼寧」を西太平洋に展開し、戦闘機などの発着艦訓練を行ってきた。5月の訓練時は台湾の東方海域を行動していたのに対し、今回は沖大東島(沖縄県)の南方から次第に北上している。あたかも九州南端から台湾に至るまでの南西諸島が標的であるかのような行動だ。21日以降は、東シナ海で中国とロシアの海軍共同訓練も行われている。日本周辺で実施されているこの共同演習の内容は充実しつつあり、海軍の共同巡航に加えて戦略爆撃機の共同巡航や相互訪問も行われた。
中露軍の活動活発化に対しては、11月10日から19日までの10日間、南西諸島で日米共同統合演習「キーン・ソード23」(実働)が実施された。奄美大島(鹿児島県)や与那国島(沖縄県)に兵力を展開するだけでなく、オーストラリアやカナダ、イギリスの艦艇と航空機が、NATO(北大西洋条約機構)からはオブザーバーが参加した。
沖縄では第2次世界大戦時に激しい地上戦が行われているため、そこには自衛隊を含む軍への強い拒否感が根付く。しかし、8月に与那国島の排他的経済水域(EEZ)に中国が弾道ミサイルを撃ち込んだことが、住民の感情に大きな影響を与えている。今回、一部の地域で日米訓練の実施に反対するデモが行われたものの、その規模は小さく、「中国に対する抑止力を向上させることは大事」と述べる住民もいたのだ。
日本の新たな安全保障戦略の公表によって、中国とロシアは日本周辺での軍事活動を活発化させるだろう。また、台湾有事の際には、南西諸島が戦闘の最前線となることも予想される。したがって、私たちは防衛力の抜本的強化の議論をさらに進め、有事の際の住民避難やシェルターを含めた南西諸島全体の抗たん性を強化していく必要がある。そのためには、中国やロシアの軍事活動を継続的に監視するとともに、その実態をきちんと住民に伝える努力も必要だ。南西諸島の住民には、その説明を冷静に受け止める素地が出来上がりつつある。
23年の安保環境は、戦後最も厳しい状況に
2023年の日本周辺の安全保障環境を展望したとき、戦後最も厳しいとも言える状況が、一足飛びに改善するような見通しを立てることはできない。イメージばかりが先行しているが、日本の防衛力強化は緒についたばかりなのである。なにかを目指して組織を変えようとするときほど、組織として脆弱な時期はない。とくに今回は専守防衛という国家の基本原則を守ったうえで、反撃能力や能動的サイバー攻撃防御の保有することが目指される。有識者を含めて、メディアの報道も振れ幅が大きい。そして、この振れ幅を活用して、海外勢力が認知戦を仕掛けてくる可能性も否定できない。
旧帝国海軍に「左警戒、右見張り」という言葉があった。左の危険な目標に注意を払うあまり、右からの危険を見落とすことがあってはならないという教訓だ。防衛力の抜本的強化は一朝一夕に完成するものではなく、着実な積み上げが必要だ。そして、積み上げの際中であっても、即応できる体制を維持しておかねばならない。2023年の日本安全保障環境は、依然として荒波の中にあるという覚悟が必要である。
写真:代表撮影/ロイター/アフロ