2月のロシアによるウクライナ侵攻をはじめ、世界的な物価高騰、中国・習近平政権の3期目入りとゼロコロナ政策の失敗、暗号資産(仮想通貨)業界での相次ぐ破綻劇、安倍晋三元首相の銃撃事件など、政治・経済リスクが顕在化した2022年。もはや「まさか」が常態化しつつある。「シリーズ 2023年の世界を読む」では、各界の専門家・有識者に今年の展望と「備え」を読み解いていただく。本稿では、東京女子大学の長谷川克之特任教授に、FRB(米国連邦準備制度理事会)の2022年の「通信簿」を付けてもらい、2023年のポイントを解説いただいた。FRBは、2021年末までインフレを「一時的」として見通しを誤った。だがその後は急ピッチな利上げを続け、物価高騰と闘っている。景気後退が示唆されるなか、今後FRBは大過なく金融緩和の出口を迎えられるか。そして12月、イールドカーブ・コントロール政策の修正を行いつつ、いまだインフレは「一時的」とする日本銀行の金融政策はどうあるべきか。
「インフレは追いはぎのごとく乱暴、武装強盗のごとく恐怖、暗殺者のごとく致命的」
そう語ったのは故ロナルド・レーガン米大統領である。米国は、消費者物価が2022年6月に前年同月比9%にまで上昇し、レーガン大統領時代の1981年11月以来の高インフレに見舞われた。1980年代に記録したインフレ率のピークである+14.6%(1980年3月)とは水準は大きく異なるが、当時と現在とでは物価統計の算出方法が異なっていることはあまり知られていない。米ハーバード大学名誉学長のローレンス・サマーズ教授らの試算によれば、当時のピーク水準は現行方式で計算すれば11%強とされ、今年記録した9%とそれほどかけ離れているわけではない。
インフレを見誤り、利上げ開始が遅れたFRB
加速するインフレを抑え込むため、当然、FRBは歴史的な利上げを強いられている。3月にゼロ金利政策を解除、6月からは4会合連続で0.75%の大幅利上げを実施し、12月までの9カ月間での利上げ幅は合計4.25%にも達した。これは1970、80年代の政策金利である公定歩合の引き上げペースを上回る過去最速の利上げである。なお、現在の政策金利であるFF金利は、当時はFRBの誘導目標ではなく、リザーブ(借入準備)コントロールを映じつつ市場需給によって決まっていた。
FRBが過去最速の利上げを迫られた一因に、インフレ圧力の強さを見誤っていたことがある。ジェローム・パウエルFRB議長は、インフレ率が7%近傍にまで上昇した2021年末頃までインフレは「一時的」と許容してきた。金融政策を決めるFOMC(米国連邦公開市場委員会)メンバーのインフレ見通し(図1)でも、一貫してインフレを過小評価してきたことが確認できる。結果として、メンバーが示してきた政策金利の見通しも狂い続けた(図2)。
セントラルバンカーとて人の子である。間違いを犯す。あくまでも結果論だが、ここまで大きく見通しが外れることも珍しい。ちなみに、米国の主要金融機関の27人のチーフエコノミストに対するSIFMA(米国証券業金融市場協会)による年末アンケート調査では、82%が「FRBの利上げ開始は遅すぎた」と回答している。
【図1】FOMCメンバーのインフレ見通し
【図2】FOMCメンバーの政策金利見通し
金融政策には理論や実証分析に基づく「サイエンス」と、職人芸的な「アート」の両方の側面があるが、近年はアートとしての色彩が強まっているように見える。今次局面でもFRBは市場の期待に働きかけ、政策意図を巧みに織り込ませながら利上げを進めてきた。メディアへの意図的なリークを通して市場の期待修正を図ったと思われる局面すらあった。
これまで、長期にわたる金融緩和と、コロナ禍に伴うゼロ金利政策と強力な量的緩和策が採用されたことによって、市場には「イージーマネー」が溢れていた。だが、今次の政策の急転換により、イージーマネーが幕引きを迫られる事態は避けられない。その前兆として2022年の金融市場では、ハイテク銘柄を中心とした株価の急落、暗号資産(仮想通貨)市場の大混乱、債券相場の乱高下があった。とはいえ、金融システム全体としてはおおむね安定性を維持したと言える。あえてFRBの政策に現時点での「成績評価」を行うなら、利上げ開始の遅れは致命的な減点要因だが、その後の果敢かつ用意周到な利上げを加味して「及第点」に値するとしたい。
幸い、米国のインフレ率はピークアウトしつつあり、11月には+7.1%にまで鈍化した。FOMCも12月の利上げ幅を0.5%に縮小させ、金融引き締めが新たな局面に入りつつあることが示唆された。これまでの利上げの「開始・加速局面」から、今後は「減速局面」に向かうことが期待される。早晩、「利上げの停止・金利据え置き局面」を経て、「利下げに局面」に向かう――というのがオーソドックスな見方だろう。
12月のFOMCでは、2023年はまず小幅な利上げ継続、その後利上げ停止、24年までには利下げに転じるという政策金利の見通しが示された。23年の米国経済は累次の利上げ効果もあり、景気後退に見舞われる公算が大きい。米国債の利回り曲線(イールドカーブ)は景気後退を示唆する長短金利の逆転現象(逆イールド)が定着しつつある。市場は早くも23年中には利下げが実施されることを織り込んでいる。
23年、金融政策の「軟着陸」は難しく
残念ながら、2023年もFRBにとって、そして金融市場にとっても多難な一年になることを覚悟する必要がありそうだ。まず、景気後退とインフレが併存するスタグフレーションに陥る可能性がある。FRBがインフレの見通しを外してきた「実績」に鑑みれば、FRBの見通しどおりにインフレが収束する保証は必ずしもない。
そもそも、想定以上のインフレの背景には、コロナ禍を受けた巨額の財政支出・景気刺激策による需要の拡大、サプライチェーンの混乱による供給不足があった。景気が減速し、また、コロナ禍によるグローバルな生産活動の停滞が解消すれば、需給の逼迫(ひっぱく)は緩和していくだろう。
しかし、インフレの収束には時間がかかる公算が大きい。インフレ率が短期的に鈍化しても再び高まってしまい、FRBが緩めた手綱を再度強めざるを得ないシナリオも考えられる。具体的に説明しよう。まずインフレの内訳を見ると、財、すなわち「モノ」の価格は徐々に落ち着きを示しているが、サービス、すなわち「賃金」の上昇が続いている。ベビーブーマー世代が労働市場から退出する「大引退時代(グレート・リタイアメント)」の到来に伴い、労働参加率が大幅に低下している。労働参加率がコロナ禍前の水準に戻り、人手不足と、それに伴う賃金上昇が解消するには時間を要しよう。
中長期的な構造要因にも目を配る必要がある。米国と中国の「新冷戦」や、気候変動問題や人権問題などへの対応から、洋の東西を問わず、企業は従前の効率性最優先のサプライチェーンの見直しを迫られており、コストアップは避けられない。世界的な政府・民間の債務拡大と、各国が軍備拡張を急ぐ「準戦時経済」へと移行する動きが潜在的なインフレ圧力となる――こうした見方もあながち荒唐無稽(こうとうむけい)とは言えない。
次に、金融環境の不透明感が強いこともFRBのかじ取りの難度を高める。金融市場の逼迫度合いを包括的に計測する全米金融環境指数(シカゴ連邦準備銀行作成)を見ると、直近の12月上旬時点でも1971年以降の平均よりも小幅に緩和した状態を維持している。量的引き締めによる資産圧縮が始まっているとはいえ、FRBの総資産残高は足下で約8.6兆ドルと、コロナ禍前の2倍以上の規模である。先に述べた「イージーマネー」の調整は始まっているが、解消には至っていない。今後、利上げ幅の縮小・終了期待、利下げ期待などから、株価が大きく上昇に転じれば景況感の改善や資産効果から金融引き締め効果をそぐことになり、FRBとしては牽制せざるを得ないだろう。株価の急落など金融市場の混乱を避けつつ、軟着陸を図ることは至難の業(わざ)である。
加えて、FRBに対する政治的な圧力が加わりやすいことにも留意を要する。景気が底堅さを維持する中では、FRBの利上げ路線に対する政治的・社会的な理解は得やすい。しかし、景気の減速感が強まり、後退局面に入れば話は違ってくる。2024年の大統領選挙が近づけば、政治の争点にもなりかねない。
政策ミス再発の可能性も
金融引き締めに伴い、FRBの収支が悪化することも国民負担の実質的な増加につながり、政治的な介入を招きかねない。バランスシートの資産サイドでは、国債などの保有資産の圧縮に伴い、FRBの利子収入が減少傾向をたどる一方で、負債サイドでは利上げに伴い、民間金融機関の預け金に対する利払いコストがかさんでいく。FRBの月次収支は9月に赤字に転落、7~9月期の純利益は前年同期比で65%の減益となった。10~12月期以降は107年ぶりに赤字に転落することが見込まれている。一般論としては中央銀行が赤字や債務超過になっても、それは会計上のものであり、財政資金を投入すれば解消可能である。だが、その際には政治リスクを伴うことは避けられないだろう。
1970年代から80年代にかけてのインフレの一因として、政治的な介入によるFRBの政策ミスがあるとの見方も根強い。FRBのアーサー・バーンズ議長(任期:1970年~78年)は、歴代で最も政治色の強い議長とされ、ニクソン政権による政治的介入を許した汚名を背負う。続くウィリアム・ミラー議長(同:1978年~79年)もバーンズ議長同様に政治的圧力に屈し、歴代議長で最も無力な議長との評価がもっぱらだ。
利上げ開始の遅れとインフレ高進のそしりを受けたFRBにとっては、さらなるインフレは何としても回避したいはずだ。「金融の引き締め不足によって高インフレを招くよりも、金融の引き締め過ぎによって景気を冷やすことの方がまだ良い」との判断もあり得る。高インフレを許すことは結果としてさらなる強烈な引き締めを招くものであり、経済・社会的な代償が大きい。従って、FRBが政策を誤るとすれば、中央銀行としてのリスク管理に基づき「引き締め過ぎ」を選択し、景気後退を招くというシナリオだろう。前述のチーフエコノミスト調査によれば、64%が「FRBは再び政策の過ちを犯す」とみている。政策ミスが金融危機を惹起(じゃっき)することだってあり得る。2023年はパウエル議長の真価が問われる一年ともなる。
日銀はインフレを軽視していないか
ここで日本に目を転じよう。10月の消費者物価指数(除く生鮮食品)は前年同月比3.6%の上昇となり、日本でも1982年以来の高い伸び率となった。日本銀行は賃金上昇を伴っていない現在の物価上昇は持続しないとの立場を採るが、だからといって供給ショックに基づく物価上昇を放置して良いわけではない。日銀の政策委員会による見通し以上に物価が上昇しており、物価上昇圧力を過少評価している点ではFRBと変わらない(図3)。供給ショックがコロナ禍やエネルギーショックという一時的な要因にとどまらず、米国同様に中長期的な供給構造が変化している可能性を軽視するべきではない。
【図3】日本銀行政策委員のインフレ見通し
為替の面でも、物価を取り巻く環境は激変している。そもそも、マイナス金利政策は円高に対する緊急避難策であり、またイールドカーブ・コントロール政策は、10年国債金利に上限を設けることで米国金利との金利差が開いて円安をもたらし、日本の景気とインフレ期待を押し上げることを期待して採用されたものだった。日銀は、表向きは通貨政策に関与しない立場を採るが、日本の金融政策が為替相場を意識したものであることは疑う余地がない。
しかし、エネルギーや原材料など輸入物価の上昇に伴うインフレが続く中で、日銀の事実上の円安誘導政策は、家計や中小企業を苦しめる構図となっている。12月20日に市場の意表を突くイールドカーブ・コントロール政策の「柔軟化」に踏み切った日銀。10年物国債金利の変動幅を、従来の「プラスマイナス0.25%程度」から、「同0.5%程度」に拡大した。主眼は政策の自由度確保にあったはずだ。日銀としては市場の円売り・国債売り圧力に屈し白旗を上げる形での政策修正は回避したい。今春に始動する新執行部の下で10年間に及ぶ異次元緩和を検証・総括するまでには時間もかかる。市場が比較的落ち着いていたこの局面で間隙を縫う形で決断したのだろう。もっとも、今後の米金利の動向次第では0.5%に引き上げた10年金利の上限が再び試されることも考えられる。引き続き「日本の金融政策の行方はパウエル議長次第」というのは過言ではないだろう。
利上げに伴うFRBの財務悪化の行方も今後の日本での議論に影響を与える可能性がある。米国のような大幅な利上げを伴う金融緩和の出口は日本では現実的には考えづらいが、日銀はそのバランスシートの大きさに鑑みれば、金利上昇に対して脆弱な構造にある。米国での議論や金融市場の反応にも注目したい。
写真:ロイター/アフロ