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2022.10.17 安全保障

プーチンの核の脅し…効果の有無は「よく分からない状態」で維持するのが得策だ

末次 富美雄

 「正しく恐れる」という言葉は、新型コロナウィルス感染拡大に伴いよく耳にするようになった。新型コロナウィルス感染に対する不安から、感染者や接触者、医療従事者などに対して行き過ぎた対応をすることを戒めるため、正確な知識を持って適切な対処をすることを呼びかける言葉として時宜を得たものだ。現在、安全保障の分野でも「正しく恐れる」ことが求められている。

「一線を超えた」プーチンの行動

 ロシアのウクライナ軍事侵攻から半年以上が経過した。ロシアのプーチン大統領はその戦況が芳しくないにも関わらず、ウクライナ4州(ドネツク、ルハンスク、サポリージャ、へルソン)のロシアへの併合を行った。

 プーチン氏は先月21日に行った国民向けの演説で、「ロシアの領土一体性、独立、自由を保障するため、いかなる手段も講じる」と述べ、核兵器使用の可能性も示唆している。プーチン氏を強く支持するロシア連邦南部チェチェン共和国のカディロフ首長も1日、自身のツイッターで「国境付近に戒厳令を敷き、小型核を使用すべき」との持論を展開した。

 8日にはロシア占領下のウクライナ南部クリミア半島とロシア本土を結ぶクリミア大橋で爆発が発生し、橋の一部が崩落。プーチン氏はこれをウクライナ軍によるテロ行為と断定し、その報復としてウクライナの首都キーウ(キエフ)を含むウクライナ各所にミサイル攻撃を実施した。プーチン氏はこの攻撃目標を「軍事指揮施設、エネルギー、通信関連施設」とし、軍事目標以外への攻撃を明言している。

 これはロシアも批准する民間人の保護に関するジュネーブ条約に明らかに違反した行為だ。というのも、この条約には「軍事目標のみを攻撃目標とする」という基本原則が示されているから。これまで起こった戦争でも多くの民間人や民間施設が被害にあっているが、少なくともこれらを目標とすると明言した攻撃は行われたことがない。ある意味で一線を越えたと言えるプーチン氏の行動は、核を使用するための次の一線に近づきつつある。

マスク氏発言は、「核の脅し」に屈したのと同じ

 そんななか、米実業家イーロン・マスク氏が3日、ロシアが2014年に併合し占領下においているクリミア半島を正式にロシア領とするという独自の「和平案」をツイッターで提案した。このロシア寄りとも取れる主張にウクライナ側は強く反発している。これに対し、マスク氏は自身がウクライナを支援していることを強調したうえで、「クリミア奪還を目指せば、多数の死者を出し、核戦争の危険性もある」と投稿した。

 マスク氏といえば、ロシアの軍事侵攻当初、彼が率いる宇宙ベンチャー企業スペースXが持つ衛星通信を活用したインターネットサービス「スターリンク」をウクライナに提供したことが知られている。これにより、ウクライナの情報戦は極めて効果的に機能した。それだけに、この「和平案」はウクライナにとって無視できないものであることは間違いない。

 マスク氏の「核戦争の危険性もある」という言葉は、プーチン大統領の「核の恫喝」に屈したという前例を作ることになり、将来に禍根を残す。ここで問題なのは、「核の脅威を正しく恐れているか」という点である。

非戦略核の威力はどのくらい?

 「核の脅威」を見るうえで重要な視点は、「威力」、「使われる場所」、「エスカレーションの有無」の3つだ。それぞれは不可分に結びついているが、なかでも最も重要な指標はエスカレーションの有無である。

 そもそも核兵器には、大陸間弾道ミサイル(ICBM)などにのせて遠くの国を攻撃する戦略核と、短距離で限定的な戦場で使用される非戦略核(戦術核)がある。戦略核に比べると非戦略核(戦術核)は威力が低いような印象を受けるが、一般的にその威力は10~100キロトン(破壊力を示す単位)とも言われる。実際、1945年に広島に投下された原爆の威力は約15キロトン以上、長崎は約10キロトン以上だった。

 一方で、米国とロシアは1キロトン以下の低出力核も保有している。米軍は0.3キロトンの核爆弾「B61」を配備済みと言われており、ロシアも1キロトン程度の低出力核爆弾を保有している模様だ。

 核爆発のシュミュレーションをする「NUKEMAP」(Webベースの核兵器の被害シミュレーター)によると、0.3キロトンの地上核爆発が起こった場合、「すべてが蒸発する火球」の範囲は約50m、「重大な熱傷を与える熱波」の範囲は約150m、「窓ガラスが割れる程度の爆風」の範囲は約0.79㎞に及ぶことがわかっている。不謹慎な例ではあるが、もし皇居の中心で爆発すれば、影響のほとんどがお堀の中に納まるのである。これが1キロトンになると、それぞれの値は「80m」、「220m」、「1.18㎞」となる。空気中の放射能の影響は4日間程度で収まると考えられることから、人が少ない場所での被害はそれほど多くはない。

 核以外の方法でも大規模な爆発を起こすことは可能だ。2020年にレバノンのベイルート港で発生した爆発事故では218人が死亡し、7000人以上が負傷したと伝えられており、その威力は0.5~1.1キロトンと推定されている。

被害が少なければ、核の報復はしないのか?

 低出力核爆弾の被害範囲は限定的とは言え、都市部で使用した場合の人やインフラへの被害は膨大なものとなる。しかしながら、噂されているウクライナのオデッサ州沖合黒海上にあるズミイヌイ(スネーク)島への低出力核の使用であれば、影響範囲は守備隊のみであり、周辺への影響も少ない。ちなみに、ズミイヌイ島は元ロシア軍の占領下にあったが、現在はウクライナが奪還している。奪還が成功したことにより、ウクライナから小麦の輸出が可能となったという戦略的要衝地だ。

 このような離れ小島や人口の少ない地域における低出力核兵器の使用を、エスカレーション・ラダー(はしご)を超えたと判断するかどうかは、西側指導者にとって厳しい選択となるだろう。

「核兵器は使用されたものの、その被害は限定的であるため、核による報復は考えない」と「核使用使用という一線を越えた以上、核を含むすべての手段で報復する」という選択だ。前者の判断をすれば、低出力核の国際的拡散が進んでしまう恐れがあり、後者の判断をすれば、最終的に戦略核の応酬になってしまいかねない。

 一方で、核を使う側からすれば、少なくとも相手に精神的なショックを与えるものでなければ使用する意味がない。そのため、被害の大きい大都市を標的とする可能性が高くなる。「威力」と「使われる場所」のいかんにかかわらず、エスカレーションへの危惧は常に存在する。これが核兵器の現実だ。

 バイデン米大統領は6日、プーチン氏の核使用の可能性について、「脅しは本気であり、アルマゲドン(世界最終戦争)につながりかねない。プーチン氏が振り上げた拳をどのように下すことができるか、私たちは彼の逃げ道を探っている」と述べ、核使用の可能性への危惧をあらわにした。

核の脅しが効くか否か…「よく分からない状態」を維持せよ

 私たちは今、「核による脅しが効くのかどうか」を見極める瀬戸際にある。イーロン・マスク氏の主張のように、核の脅威があるから領土の一部を放棄するという決断は、「核による脅し」が有効である証明となってしまう。すでに核兵器を保有している北朝鮮は、自らの決断が間違っていなかったことを証明するものとして、大いに歓迎するだろうし、他の国がこれに追随する可能性もある。

 一方で、私たちが「核による脅しに屈しない」姿勢をとり続けた結果、ウクライナ戦争で完全に劣勢となったプーチン氏が国内強硬派の圧力を受けて核を使用するという事態に陥ることを、手をこまねいてみているわけにもいかない。

 低出力核兵器であっても、その使用は容易に戦略核の応酬にエスカレーションする危険性があるという認識を共有するとともに、ロシア核戦力の動向を継続的に監視し、適宜警告を発し続ける必要がある。ともすると、使用のハードルが低いと見られがちな非戦略核(戦術核)の脅威を正しく恐れ、核兵器の使用というパンドラの箱を開けないよう国際的な共通認識の形成が望まれる。「核による脅し」は効くのか効かないのか、よく分からない状態を維持していくことが、現在必要な知恵であろう。

末次 富美雄

実業之日本フォーラム 編集委員
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後、情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社にて技術アドバイザーとして勤務。2021年からサンタフェ総研上級研究員。2022年から現職。

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