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2022.08.12 安全保障

習氏に芽生えつつある過剰な自信…台湾海峡で進む「中国の内海化」を止める方法
日本はどう行動すべき?

末次 富美雄

 ペロシ米下院議長の台湾訪問について、中国は過剰とも思われる反応を示した。7月28日に行われた米中首脳電話会談で、中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席は台湾問題に関して「火遊びをする者は身を焦がす」と申し入れたと伝えられており、これはペロシ氏の訪台に対する恫喝(どうかつ)だと見られている。また、これに先立ち中国国防部報道官は7月26日、ペロシ氏の訪台を軍は「座視することはなく、強力な措置を講じる」と述べた。

 これら一連の発言は、今秋に開く中国共産党大会で3期目を目指す習氏にとって「台湾問題は絶対に妥協できない問題であり、米高官の訪台は失点と捉えられかねない」という危機感に由来するものだろう。しかしながら、この高圧的な態度が逆に「訪台しないと圧力に負けたと言われかねない」というバイデン政権の思惑を生み、本来否定的であったペロシ氏の訪台を是認する方向に舵(かじ)を切った可能性がある。

 面子(メンツ)をつぶされた形になった習氏が、8月4日からの軍事演習を「失地回復」の機会とすることは確実であり、その細部に注目が集まっていた。各種報道による演習概要は次のとおりだ。

中間線を越えるのは、ほぼ初めて

 防衛省は8月4日、15時から16時過ぎにかけて中国軍が9発の弾道ミサイルを発射したことを明らかにした(台湾国防部は11発と発表)。台湾北部に設定された、周辺を通る船舶に注意を呼びかける必要がある航行警報海域2か所に1発ずつ、南部の航行警報海域に2発、台湾東部の航行警報海域に5発だ。台湾東部の弾着地点は、日本の排他的経済水域(EEZ)内。中国の台湾周辺海域への弾道ミサイル発射は1996年以来であり、台湾上空を飛行したのは初めてだ。

 台湾の国防部(国防省)によると、台湾海峡周辺で4日に22機、5日には49機、6日には20機、7日には22機の航空機の飛行が確認されており、一部は台湾海峡の事実上の停戦ライン「中間線」を越えて台湾側に侵入している。中間線は、中国側も比較的意識していると見られており、これまで台湾の防空識別圏(ADIZ)に進入する中国機がこのラインを超えることはほとんど確認されていなかった。

 中国艦艇の動きは明らかにされていないが、台湾国防部は6日に14隻を確認したとしており、台湾東部海域において中国艦艇を監視する哨戒艇の写真も公開していることから、航空機同様に台湾周辺において活発に活動したものと考えられる。

弾道ミサイルを使った「新たな海上封鎖」

 中国人民解放軍の機関紙「解放軍報」は8月7日、今回の訓練の意義を次のように伝えている。「共同海空演習をつうじ共同作戦能力が向上したこと」、「遠距離拒否能力が向上したこと」、「精密攻撃能力が向上したこと」、「初めて空母形成抑止訓練を3次元で組織できたこと」の4点だ。

 2点目と4点目の成果は、台湾東部の航行制限海域(日本のEEZを含む)における弾道ミサイル発射を意味し、明らかに米空母機動部隊の来援拒否を目的とした訓練だったと推定できる。

 さらに、今回の訓練で中国が強調したのは「台湾の封じ込め」だ。今回、航行制限海域は、北は基隆港(台湾)を、南は高雄港(台湾)を、そして南東部はバシー海峡を制約する位置に設定されている。従来の海上封鎖は船舶か水中に設置される機雷によるものだったが、今回中国は航行制限海域を設定し、弾道ミサイルを撃ち込むという新たな形の海上封鎖の形態を示した。

 今回使用されたと見られる「DF-15」は射程800kmとされる短距離弾道ミサイルである。航行中の船舶ではなく、港湾施設を攻撃できる能力を示すことで海上封鎖を実行できる能力を示したと考えられる。さらに、対艦弾道ミサイルと推定されている「DF-21D」や「DF-26」の使用による航行中の大型艦艇への攻撃も海上封鎖の一翼を担う。

 今回、台湾南方のバシー海峡周辺の航行制限海域には弾道ミサイルの発射が確認されていないが、何らかの危険な軍事行動が行われた場合、日本への航路が制約されることとなり日本経済への影響は大きい。

アメリカの反応は抑制的

 中国の軍事訓練に対するアメリカの反応は極めて抑制的だ。米国家安全保障会議(NSC)のカービー戦略広報調整官は4日の記者会見で、ペロシ氏の訪台は議員として自ら決断したものであり、その決断を尊重し支持するとした。その上で、事態がエスカレートすることは望まず、予定されていた大陸間弾道ミサイル(ICBM)の試験を延期する旨を述べている。バイデン米政権としては、中国の今回の規模での軍事訓練は折り込み済みであり、事態の沈静化を図ろうとしているのだろう。

 中国外交部は軍事や気候変動などの米中対話を停止する措置を講じているが、現時点ではそれ以上の強い措置を講じる兆候はない。

 1996年台湾危機の際は、アメリカ2個空母機動部隊展開に伴い弾道ミサイル発射を中止せざるを得なかったが、今回はアメリカの軍事的圧力が加わらなかったことから、習氏はある程度面目が立ったと考えている可能性がある。したがって、当面は米中の表向きの対話チャネルは閉じざるをえないものの、水面下の交渉を維持しつつ事態の沈静化を図っていくものと考えられる。

中国に傾斜する台湾人が増える可能性

一方で、本演習が与える今後の影響について、次の2点が注目される。1つ目は、中国が過剰な自信を持つことだ。米調査機関Pew Research Centerの2020年に行った調査によると、台湾の68%の人がアメリカを好ましいとしているのに対し、中国を好ましいとしている人は35%だった。しかし、半数以上の52%が中国と経済関係を強化することに賛成している。中国に対する警戒感はあるものの、経済的には中国に頼らざるをえない人の割合が多いことを示している。

今回の訓練で中国が「米空母を含む米軍の台湾有事への干渉を阻止しうる」と自信を持ち、その認識が台湾に伝搬し、台湾の人間が「米国は頼むに能わず」と認識した場合、経済的利益を優先し中国に傾斜する人間が増えることが危惧される。

アメリカでも中国への軍事的劣等感

 次に、アメリカの中国に対する認識の変化だ。Pew Research Centerが2022年8月1日に公表した調査結果によると、アメリカ人の85%が中国の軍事力を深刻と考えており、78%が中国と台湾の緊張を深刻と捉えている。

 バイデン米大統領7月20日に述べた「軍はペロシ氏の訪台を好ましいとは考えていない」という言葉からは、米国内に中国の軍事力に対する恐怖感が拡大しつつある懸念が見え隠れする。2021年8月の米軍のアフガニスタン撤退以来、米国内世論は内向きの傾向を示しつつある。これに中国に対する軍事的劣等感が加われば、米国内に台湾問題への介入に否定的な意見が広がる可能性がある。この点は、台湾問題のみならず日本の安全保障にも大きな影響を及ぼすであろう。

台湾海峡での米軍プレゼンスは不可欠

 今回の中国の大規模軍事演習は、バイデン政権の発言が抑制的であったことも加味すると、ペロシ氏の訪台でつぶされた習氏の面目回復のためとはいえアメリカが許容できる範囲だったと見るべきだろう。

 しかし最も危惧しなければならないことは、中国、特に軍部が過剰な自信を持つことだ。アメリカが主張する「現状変更は許さない」という観点から、中間線を超える中国戦闘機などの活動が常態化し、戦闘艦艇が遊弋(ゆうよく)するといった「台湾海峡の中国の内海化」を阻止しなければならない。そのためには、米海軍艦艇の台湾海峡におけるプレゼンスが不可欠であり、台湾海峡における「航行の自由作戦」を継続する必要がある。

 日本も米海軍などの活動を支援するとともに、不測の事態に備えて台湾周辺と南シナ海における活動を増加させる必要がある。台湾海峡を南シナ海同様の状況にしてはならない。

末次 富美雄

実業之日本フォーラム 編集委員
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後、情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社にて技術アドバイザーとして勤務。2021年からサンタフェ総研上級研究員。2022年から現職。

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