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2022.06.01 コラム

「起業家なんて胡散臭い」と言われた時代、私がベンチャー投資を始めたワケ
「日本のペイパル・マフィア」第6回 赤浦徹氏(前編)

藤野 英人

 ITを中心とする米国企業が上位を独占する世界の時価総額ランキング。なぜ米国では多様な新興企業が次々誕生できたのか――。そこにはトップ層学生がベンチャー起業への就職や起業を行い、そこで成功した起業家がのちの起業家を支援するというサイクルがあった。なかでも米電子決済会社PayPalの創設者であるピーター・ティール、イーロン・マスクらはその先駆者で、ベンチャー業界を大きく盛り上げる存在として「ペイパル・マフィア」とも呼ばれている。最近は日本でもやっとそのサイクルが回り始めたようだ。この連載では、投資家として長年企業を観察してきた藤野英人氏が位置づける「日本版ペイパル・マフィア」の人々を紹介する。

 私が「日本版ペイパル・マフィア」と位置づける人々について紹介していく本連載。3人目にご紹介するのは、創業期のベンチャーに特化して投資育成事業を行うインキュベイトファンドの代表パートナー・赤浦徹さんです。

 赤浦さんは91年、新卒で日本合同ファイナンス(現ジャフコ)に入社しました。当時は、のちにグローバルベンチャーキャピタルを設立し独立した長谷川博和さんや、本連載で先にご紹介した日本テクノロジーベンチャーパートナーズ(NTVP)の村口和孝さんらが在籍しており、赤浦さんは彼らのあとに続く形で99年に独立しています。

 東証マザーズが創設されたのが99年、ナスダック・ジャパンが創設されたのが2000年ですから、当時は新興市場のエコシステムなどなく、やっと小さな一歩が踏み出されるかどうかという時期。赤浦さんらが続々と独立していったのは、相当にチャレンジングであったと言えます。

インターネット登場の波に乗って

 「あの頃は独立系のベンチャーキャピタルはほとんどありませんでしたし、みんな『独立してもうまくいくはずがない』と考えていたと思います。潮目が変わり始めたのは、長谷川さんがインターネット総合研究所やスカイマークエアラインズ(現スカイマーク)への投資で大きな成果を上げた頃でしょう。

 独立系ベンチャーキャピタルにとって大きかったのは、インターネットが登場したことです。長谷川さんがインターネット総合研究所、村口さんはディー・エヌ・エー(DeNA)への投資で顕著な成果を上げ、ベンチャーキャピタル(VC)のグロービス・キャピタル・パートナーズもソフトウエア開発のワークスアプリケーションズへの投資が大ヒットした。

 私が独立したのは、まさにインターネットによって世の中を大きく変えていこうという人たちが続々と現れ始めたタイミングだったんです。その波に乗り、当時は『狂ったもの勝ちだ』と言いながら猛烈に仕事をしていました」(赤浦さん)

投資先を応援する「ベンチャーキャピタル」という仕事

 もともと赤浦さんがジャフコに入社したのは、「起業して社長になりたかったから」だったと言います。しかし身の回りには起業独立して社長になった人はほとんどおらず、「そういう人に会える仕事」を基準に選んだのがベンチャーキャピタルだったのです。

 「金融機関やコンサルティング業界も見ましたが、ベンチャーキャピタルは投資先と利害が対立せず応援する仕事なのが面白そうだと思ってジャフコを選びました。入社してちょうど1年目のときのことです。私の7年先輩だった村口さんとランチをご一緒する機会がありました。村口さんは休暇を取ってアメリカのベンチャーキャピタルを視察し、帰国されたばかりでした。そこで言われたのが、『アメリカのベンチャーキャピタルはinvolvement(関与)する』ということだったんです。

 当時の日本のベンチャーキャピタル業界では、儲かっている会社を探して『上場を目指しませんか』と口説きに行くのが主な仕事でした。一方、アメリカのベンチャーキャピタルの仕事は、創業期に関与して企業を育てること。やっていることが、まったく違ったんです。そのことを村口さんから教えられ、自分なりに本を読んで勉強し始めて、『アメリカのように独立した個人によるパートナーシップ制のベンチャーキャピタルをやりたい』と考えるようになりました」(赤浦さん)

8年半の修行後に起業

 アメリカのベンチャーキャピタリストは平均して8年ほど、徒弟制度のような感じで修行して独立するケースが多いということを知った赤浦さんは、「ジャフコで8年働いて30歳で独立しよう」と決意します。そして実際に8年半働いた後、ジャフコ出身者5人で独立。以後、創業期の企業に特化して投資育成事業を手掛けています。

 「97年3月、当時勤めていたジャフコで、人生のミッションを決める機会があったんです。ジャフコにはチーム制があり、チームのミッションを決めるにあたって、まず自分自身のミッションを決めなければならない。そこで先々独立するという目標とは別に、人生のミッションとして決めたのが『21世紀のソニー、松下、トヨタ、ホンダが生まれるきっかけを作ろう』ということでした。自分が本田宗一郎や松下幸之助になるのではなく、そういう人が生まれるきっかけをつくることが人生のミッションだ、と決めたんです。『自分がいなければこの会社は生まれていない』ということに自己満足したい。それがいいか悪いかではなく、『とにかくゼロイチばかり作りまくるんだ』と決めた。以来、一度もぶれたことはありません。それが人生のミッションですから」(赤浦さん)

 次回後編では、赤浦さんが取り組む「ベンチャーキャピタリストづくり」についてご紹介します。
<後編(7月4日配信)に続く>

【赤浦徹さんプロフィール】
インキュベイトファンド代表パートナー
91年に新卒で日本合同ファイナンス(現ジャフコ)に入社。8年半にわたり投資部門に在籍し、前線での投資育成業務に従事する。99年に独立し、インキュベイトキャピタルパートナーズを設立しベンチャーキャピタル事業を開始。以来、一貫して創業期に特化した投資育成事業を行う。2010年にインキュベイトファンドを設立。2013年7月より一般社団法人日本ベンチャーキャピタル協会理事。2015年7月より常務理事、2017年7月より副会長、2019年7月より会長。

藤野 英人

レオス・キャピタルワークス株式会社 代表取締役 会長兼社長 最高投資責任者(CIO)
野村投資顧問(現:野村アセットマネジメント)、ジャーディンフレミング(現:JPモルガン・アセット・マネジメント)、ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントを経て、2003年レオス・キャピタルワークス創業。中小型・成長株の運用経験が長く、ファンドマネージャーとして豊富なキャリアを持つ。「ひふみ投信」シリーズファンドマネージャー。 投資啓発活動にも注力する。JPXアカデミーフェロー、東京理科大学上席特任教授、早稲田大学政治経済学部非常勤講師。一般社団法人投資信託協会理事。

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