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2022.05.23 コラム

豪州9年ぶりの政権交代、親日米・対中強硬のモリソン敗北の理由
寺田貴の「豪州から世界を見る」(1)

寺田 貴

 5月21日、オーストラリアで連邦議会総選挙が投開票され、労働党が最大議席を獲得することが確実となり、その結果、党首アンソニー・アルバニージー氏が第31代の首相に就任することが決定した。オーストラリアでは9年ぶりの政権交代である。そして、その2日後には、東京に飛び、モリソン前首相が外交政策で最重視していたQUAD首脳会議に参加、国内より先に海外で首相デビューを果たすこととなった。

 今回の選挙では労働党の地滑り的勝利とまでは言えないものの、次期党首候補(つまり首相候補)でもあったフライデンバーグ財務相の敗戦や、シドニー、メルボルン、ブリスベン、アデレード、パースといった富裕層が多い州都選挙区で多くの議席を失ったことを考慮すると、有権者による自由・国民党連合政権への明確な否定であったと言えよう。

 その最大の要因は、モリソン前政権、そしてそれまでの保守政権が世界の潮流と逆行する形で温室効果ガス排出削減への取り組みを避けてきたことにある。オーストラリアの火力発電への依存度の高さや世界第1位の石炭輸出量から、その後ろ向きの姿勢には国際社会も批判を強めていたが、モリソン前政権の強固な姿勢の背景には石炭派議員の存在があった。石炭産業は政治献金を通じて特に連立を組む国民党に強い影響力があり、モリソン前首相自身も豪州連邦議会に石炭を持ち込み、同産業維持を訴えたことがあった。記録的な躍進を遂げた緑の党など二大政党以外の候補――特に気候変動対策を訴え、キャンペーン色にちなんで「ティール(青緑)」と名付けられた独立候補が、その支持者による大規模な選挙資金もあって、既存政党、特に自由党の議席を奪ったことが、今選挙の大きな特徴である。

 日本、そして世界にとって重要な政策項目は外交、特に対中関係である。モリソン政権は中国による経済的抑圧に対して強い態度で挑み、そのため両国の要人交流が断絶するなど豪中関係は史上最悪とまで称されるほど冷え込んだ。新型コロナウイルスのパンデミックを受けて、2020年4月、「(中国・武漢で)何が起きたのか、独立した調査が必要だ」とモリソン首相(当時)が発言したことがきっかけで、中国は不当に豪輸入品への関税を引き上げ、ワインや牛肉など中国市場から主要産品が締め出されるなど貿易紛争に発展した。結果的に、市場の多様化や新規開拓等を通じて純損失こそ限定的だったが、豪財務省の推計では同国の輸出の約4割を占める対中輸出で累計約54億豪ドル(約4860億円)の損失を計上した。

 さらに中国は、今年4月、南太平洋の島嶼国・ソロモン諸島と安全保障協定を締結したが、この条約で中国軍部隊が恒常的に駐留できることに加え、これまでオーストラリアが担っていた治安維持のための警察力派遣も中国が代替する可能性も浮上した。2000キロメートルというオーストラリアの目と鼻の先まで中国の脅威が一気に接近したことに国民は衝撃を受け、「こうなることは分かっていたのに無策だった」「行き過ぎた対中強硬策が取返しのつかない失態を招いた」などとモリソン政権に批判が集まっていた。

 だが、政権批判層の受け皿になるべき労働党は、一般的に対中融和的と受け止められており、対中関係の悪化は、基本的には保守連合にとって追い風になると考えられていた。このことは、中国共産党機関紙「人民日報」系の「環球時報」が「オーストラリアの首相にはアルバニージー氏がふさわしい」とその選好をあからさまに主張したことにも見て取れる。

 ワイン業界など、もともと対中ビジネスで潤っていた層に行き過ぎた反中強硬政策を批判する声もあったが、貿易戦争が長引く中でサプライチェーンの代替を進め、中国市場で失った輸出額の8割以上は他市場で取り戻せつつある。またCPTPPやRCEPに加え、新たに英国、インド、EUなどとも自由貿易協定(FTA)締結を目指しており、貿易の多角化に向けた努力が続く。つまり以前ほど経済的な理由で対中関係を改善すべきという声がオーストラリア国内で聞こえてこなくなった。そこにソロモン諸島に脅威が及ぶに至り、2大政党は中国を警戒する見方では差がなくなったと言えるだろう。

 特に、労働党は対中融和の姿勢を改め、与党同様に中国脅威論を訴える戦略に転じた。アルバニージー氏は5月8日、モリソン首相とのテレビ討論で「中国共産党は習近平のもとでより攻撃的になった。当然、対応する必要がある」と訴えた。以前の状況とはもはや異なり、両党の差は、対中強硬か融和かという「そもそも論」ではなく、強硬を前提としたうえでの、その程度や方策に関するものである。労働党は選挙期間中、「強気一辺倒で無策だったためにソロモンを取られた」と、中国脅威論を前提としてモリソン政権を攻撃し続けた。結果、今回の選挙の争点は、先に挙げた気候変動や豪ドル安で進んだインフレへの対応策、新型コロナ・パンデミック後の国内経済対策などになった。

 確かに、ロシアによるウクライナ侵攻や中国・ソロモンの安全保障協定締結など、一部、外交評論家の間では地政学のリアルなパワーゲームが世論に影響を与える「迷彩色の選挙」とも呼ばれたが、皮肉にも、その影響があまりにも強すぎて争点にならず、両党の勢力をむしろ均衡させたと言えるだろう。

 モリソン前政権はAUKUS(3か国)とQuad(4か国)、そしてFive Eyes(5か国)から成る米国主導の対中「3、4、5包囲網」にすべて参加することで、同盟国との協力を重視する米バイデン政権から戦略的パートナーとしてこれまでにない扱いを得ることを目指した。それは、中国の高圧的な扱いに屈しないための不可欠な「後ろ盾」であるからだ。ここにバイデン大統領が5月の来日時に発表したインド太平洋経済枠組み(IPEF)が加わる。26年にも及ぶ議員生活の中で外交経験がほぼ皆無であるアルバニージー新首相が東京で何を経験し、今後いかなるインド太平洋政策を展開するのであろうか。本フォーラムでは、日豪関係を含むオーストラリアのインド太平洋戦略について、地経学的な立場から連載していきたい。

 

写真:AP/アフロ

寺田 貴

同志社大学 教授
1999年オーストラリア国⽴大学院にて博士号取得。シンガポール国⽴大学人文社会科学部助教授、早稲田大学アジア研究機構准教授を経て、2008年より現職。この間、英ウォーリック大学客員教授、ウィルソンセンター研究員(ワシントンDC)などを歴任。2005 年にはジョン・クロフォード賞を受賞。

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