「衛星情報の軍事的意味」を知っていますか?
3月17日付日本経済新聞の、「ウクライナ、日本に衛星データ要請 情勢見極め政府判断」という報道を見て、筆者は驚愕した。
ウクライナは、一方的にロシアの侵攻を受けている。3月16日に、外務省ホームページを確認すると、日本政府は、今回の事態をロシアによるウクライナ侵略と位置付け、ロシアへの金融制裁、「最恵国待遇」の撤回、ビザ発給停止等の措置を講じている。また、ウクライナ国民への支援として、防弾チョッキ、ヘルメット、防寒服、天幕、カメラ、医療器材等に加え、少なくとも1億ドル規模の借款を提供するとしている。しかしながら、国家としての衛星情報提供はこれらと全くレベルが異なる問題なのである。
日本の一部勢力は、「防衛装備品の無償供与は、憲法9条に違反する」、という主張を繰り広げており、これが世界標準から見れば非常識であることは自明の理であるが、衛星情報の提供が持つ意味についての常識に疑問を持たざるを得ない。
前出の報道では、「鮮明な衛星画像は戦況の把握に活用できる。軍事戦略を左右する可能性もあるデータを渡せば、戦争への関与を強めたとも受け止められかねない」、と結んでいる。この表現は、衛星情報の軍事的意味をあまりにも低く見過ぎていると言える。
車の種類や人数までわかる…!
人工衛星が提供する情報は多岐にわたる。位置情報であるGPS信号は我々の生活に深く係わっており、カーナビや航空機の自動操縦、今後一般化する自動車の自動運転等に欠かせない。スマホで待ち合わせ場所の指定や、目当ての店を探すことができるのもGPS情報があるからである。軍事的観点からも自らの位置の確認や、長距離巡航ミサイルの正確な誘導に衛星位置情報は不可欠である。
位置情報を提供する測位衛星を保有しているのは、アメリカ、ロシア、中国、欧州であり、日本もGPS情報の補完という位置付けではあるものの、準天頂衛星「みちびき」を運用している。紛争等が生起した段階で、それぞれの測位衛星に妨害が加えられるであろうことは確実視されている。
人工衛星は世界規模での通信網の一部にもなっている。軍事的にも、広範囲の活動を行う軍隊の必須機能であり、確実な通信に加え、対妨害性や対傍受性等の機能強化が図られている。
汎用性が有る測位衛星や通信衛星に対し、偵察衛星の使用目的は安全保障である。相手が発する通信や電波を探知する「エリント衛星」、光学写真を撮影する「光学衛星」、レーダーで目標を捜索する「SAR(合成開口レーダー)」等がある。
光学写真は、かつて人工衛星を回収することにより情報を得ていたため、数日又は数週間前のデータ取得に留まっていた。最近では、衛星からのダウンリンクにより大量のデータを送付することが可能となった。更に、多数の衛星を同時運用することにより、ほぼリアルタイムの情報取得が可能となっている。
また、その精度は格段に進歩し、光学画像で30cm、SAR画像で1m以下の分解能を持っている。30cmであれば、車両の種類や人の数まで、1mであれば車両の数といったレベルの識別まで実施できる。光学衛星は夜間又は雲が多い場合撮影できない一方、SAR画像は、分解能が劣るものの、夜間及び雲を透した撮影が可能であることから、通常は両者を組み合わせて運用される。
かつて、人工衛星の打ち上げは、リスクと高額な打ち上げ費用から国家が行っていたが、最近ではリスクとコストが低下したことから、民間会社が人工衛星を運用し、撮影をサービスとして請け負うことが一般化している。日本も、政府情報衛星として光学及びSAR衛星を運用するとともに、防衛省は毎年民間会社から画像衛星データを購入しており、平成4年度概算要求では175億円を計上している。
「人工衛星」は戦争そのものも左右する!
現代戦においては、人工衛星は軍事装備の重要な構成要素であり、この優劣は戦争そのものを左右すると言っても過言ではない。中でも、国が衛星情報をどのように入手しているか、その情報がどの程度であるかは高度な秘匿が必要である。衛星情報の入手経路が分かれば、相手は全力でそれをつぶしにかかるであろう。
アメリカの情報収集能力は他を圧しており、今回ウクライナ軍がロシア軍に効果的に対応できている可能性があるのも、アメリカからの情報提供があるからと言われている。しかしながら、アメリカは決して情報を提供していることを明らかにすることはない。
衛星情報の提供は単に画像を提供する事ではない。衛星が収集する画像情報は、画像だけでは意味を持たない。画像の処理及び識別に加え、他情報と融合して判断することで初めて意味を持つ。
今回ウクライナ周辺に展開するロシア軍の車両と称する光学画像が、幾度となく報道等で流された。しかしながら、これらの車両がロシア軍の車両等であることは画像では判断できない。それがいつどこで撮影された写真なのか、地図との比較や他情報と融合して初めて有益な写真となるのである。そして、それはできるだけ直前のものであることが望まれる。1週間前の画像情報を貰っても、その意味は低い。
「衛星データ提供報道」は日本の国益に反する
3月1日に、ウクライナ副首相はツイッターでSAR画像の提供を民間宇宙開発企業や衛星画像サービス会社に求めている。そこで使われている言葉が「actionable intelligence」というものである。見たらすぐに使える、すなわち分析や評価が加えられたSAR画像が必要だとしているのである。
衛星データの提供というものは、単に情報を提供するだけではなく、所要の分析力及び他情報との融合、すなわち軍事能力の一部提供を含むものであることは世界の常識である。紛争に関与する覚悟を持って実施すべきものなのである。アメリカが衛星情報を含め、情報支援を行っていることを表沙汰にしない理由はそこにある。
今回の報道にある「衛星データ」というものがどの程度のものであるのか不明であるが、もし「actionable intelligence」を含むようなデータを意味するのであれば、これを報道することは日本の国益に反する。
日本が衛星情報を提供することは戦争への明らかな加担と捉えられ、ロシアから何らかの報復を受ける可能性もゼロではない。これもまた世界的常識である。機微な衛星情報はその国の軍事力の一部なのである。その提供は防弾チョッキの提供などとは全く違う事を理解しなければならない。
ロシアのウクライナ軍事侵攻で国際的緊張感が高まっている。あらゆる事象が情報戦ではないかとの疑いを持ってみられる現在、報道には、日本の常識に染まらない、より慎重な配慮が求められる。
サンタフェ総研上席研究員 末次 富美雄
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社において技術アドバイザーとして勤務。2021年から現職。
写真:つのだよしお/アフロ