● 「核兵器への認識」日本と世界で大きな違い
2022年2月27日、プーチン大統領は、西側諸国がロシアに非友好的な行動をとったとして、戦略的抑止部隊に「特別警戒」を命令したことを明らかにした。「特別警戒」は最も高い警戒レベルであり、核使用の可能性が高まることから、NATOのストルテンベルク事務総長は「危険」で「無責任」であると批判している。
広島、長崎という被爆経験を持つ日本は、核兵器に対する忌諱(きい)感が強い。核兵器の恐ろしさは、使われた際の破壊力だけではなく、放射能の影響が長く続くことにある。核兵器が「使ってはならない兵器」であることについては国際的コンセンサスがあるのは間違いないが、これは「使えない兵器」と同じではない。核兵器に対する忌諱感は国によって大きな差がある。特に、ロシアの核使用については、曖昧さがつきまとう。
2022年3月1日、米議会調査局は「ロシアの核兵器:教義、兵力及び近代化」という報告書を公表している。ウクライナ情勢に鑑み、ロシアの核兵器に対する考え方を共有することを目的としたものである。
同報告書によれば、冷戦時代、ソ連は「核の先制使用」を否定していたが、冷戦後は「先制使用」を否定しておらず、幾度か改訂した教義(ドクトリン)の中で、核兵器に依存することを示唆する表現があり、地域紛争中に使用すると脅す、「エスカレート抑止のためのエスカレート(escalate to de-escalate)」戦略をとる可能性があると分析している。
そして、2020年6月に公表されたロシアの「核抑止に関するロシア連邦国家政策の基本原則」には、「核兵器は抑止の手段としてのみ考慮」するとし、核兵器を使用する条件として(1)ロシア及び同盟国(以下ロシア等)に対し、核弾道ミサイルが発射される有力な情報を得た場合、(2)ロシア等に対する核を含む大量破壊兵器による攻撃への対応、(3)ロシアの核抑止能力を低下させるロシア政府、軍事施設への攻撃への対応、(4)ロシア等の存在を危機的状況に陥らせる攻撃への対応、の4条件を示している。
(3)及び(4)は相手の攻撃が核攻撃であるかどうかは言及されていない。また、それぞれの条件に当てはまるかどうかを判断するのはロシア自身であり、いくらでも恣意的な解釈ができる条件と言える。
● ロシア、「限定核使用」の可能性はある
最新のアメリカの核戦略は、2018年にトランプ政権で制定された「Nuclear Posture Review(NPR)」に示されている。アメリカのNPRには「戦術核」という言葉は使われておらず、「非戦略核」という言葉が使われている。「核」の射程や威力による違いではなく、使われ方による違いで区別している。
トランプのNPRの特徴は、「非戦略核による抑止能力強化」を方針としている点である。限定的な核の使用という脅しが米国や同盟国に対し優位性を得られるという潜在敵の自信を否定するためには、非戦略核を充実させる必要があるという考えかたである。明らかに、2014年のロシアによるクリミア併合時、ロシアが非戦略核を使用する可能性があったにも関わらず対応する手段がなかったことを教訓としている。
SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)の弾頭を低出力に改修することや海上発射型巡航ミサイルへの核搭載、そしてF-16の代わりにF-35Aに核爆弾搭載能力を組み入れるといった施策がとられている。これらの施策は、ロシア核戦略対応への柔軟性を増すという評価の反面、核使用の閾値(しきいち)を下げるとの批判もある。
バイデン政権は、国家安全保障戦略に引き続き、NPRを策定するとしており、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、非戦略核をどのように位置づけるかが注目される。
ロシアが2020年に公表した「核抑止の基本原則」に照らしあわせた場合、NATOから核攻撃の脅威を受けているわけではなく、更にはロシアの核戦力を低下させるような攻撃も受けておらず、核使用の条件は満足していない。しかしながら、米国や英国が主導する経済制裁やウクライナに対する軍事支援を、国家の存在を危機的状況に陥らせる攻撃とプーチンが判断する可能性はゼロではない。
ここで注目されるのが、前述したロシアの「escalate to de-escalate」戦略である。ロシア自身がこの戦略に言及したことはなく、あくまでも米国を中心とする西側諸国が、ロシアの限定核使用戦略と位置付けているものである。
東京大学先端科学技術研究センターの小泉悠特任教授は、同戦略を「進行中の紛争においてロシアが劣勢に陥った場合、敵に対して限定された規模の攻撃を行って戦闘の停止を強要する」、あるいは「進行中の紛争ないし勃発が予期される紛争に米国等の大国が関与してくることを阻止するために、同様の攻撃を行う事」と説明している。そして、「通常戦力に劣るロシアが限定的核使用を戦略として採用しているかどうかは定かではない」、とし、「核使用をチラつかせる「恐怖惹起」戦略をとり、実際の攻撃はエスカレーションの蓋然性の低い非核兵器を使うのではないか」と分析している。
確かに、核兵器使用のハードルは高く、使用される可能性は極めて低いであろう。しかしながら、「限定核使用」の可能性を全く否定することもできない。
● 核は「二度と使われない兵器」ではない
ウクライナ情勢に鑑み、我が国の防衛態勢を見直す中で避けて通れないのが、核の問題である。日本は、中国、ロシアという核大国及び自称核保有国の北朝鮮という、核に囲まれた環境下にある。「核による恫喝」は、常に考えておかなければならない課題と言える。
核問題に関するウクライナ情勢の教訓は、1994年のブタペスト覚書で核兵器を放棄(ロシアに移転)したことが、ロシアのウクライナ侵攻を可能にしたという見方をどのように評価するかである。北朝鮮は「核保有こそ国家の安全を保障する」、という考えを一層強固にするであろう。「核に対しては核」という施策を取れない日本にとって重要なことは、日本に対する核使用のハードルを如何に高く保つかに尽きる。
「核シェアリングについても国内で議論すべき」、と主張する安倍元総理に対し、岸田総理大臣は3月2日の参院予算会議で、「非核三原則を堅持していく立場から、原子力基本法を始めとする国内法を維持する観点から認めることはできない」、としている。この発言は、日本に対する核使用のハードルを上げることを含め核に関する一切の議論はしないと言っているに等しい。
3月5日、元海上自衛隊自衛艦隊司令官の香田洋二氏は、インタビューに答え、プーチン大統領の言葉を「第二次世界大戦後、人類が核兵器を手にして、初めて一番危ない綱渡りをしている」、と評価している。
非核三原則は国是という言葉が使われている。まるで決して変えてはいけない原理原則であるかのように取り扱われている。これは、ある意味、思考停止と言えるであろう。多くの人間が思ってもみなかったロシアによるウクライナへの軍事侵攻という冷徹な現実の中で、少なくとも自らの安全保障に係る議論を「国是」という言葉で封殺すべきではない。
そして、「非核三原則」の見直しという議論を行う事が、相手に我が国に核による恫喝を行った場合、核保有に向かうかもしれないとの疑心を生み、結果的に核使用のハードルを上げるという視点も忘れてはならない。核は決して「二度と使われない兵器」ではない。使われないような環境を作ることが為政者の責務であろう。
サンタフェ総研上席研究員 末次 富美雄
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社において技術アドバイザーとして勤務。2021年から現職。
写真:Russian Presidential Press Service/AP/アフロ