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2022.02.22 コラム

ウクライナによる攻撃を「自作自演」!大規模侵攻を正当化か…ロシア情報戦の「恐るべき全貌」
初代陸上自衛隊システム防護隊長 伊東寛

伊東 寛

ロシア、「偽旗作戦」を開始 

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻への危惧が広がっている。マスコミ報道では、ウクライナ国境にロシア軍が集結、ベラルーシにおいては共同訓練が行われており、黒海でも3艦隊合同訓練が行われている等、ロシアによる軍事的な示威行動はすでに実施されている。

他にもロシアによるウクライナ侵攻のおそれが高まっている根拠として、上記のような国境周辺の軍増強に加え、意図的にデマを拡散させる偽装工作が既に行われているとの見方もある。それは親ロシア派へのウクライナ政府軍による攻撃などを自作自演する「偽旗作戦」と呼ばれる行動につながるものだ。これは2014年にロシアがウクライナ領クリミア半島を併合した際にも侵攻を正当化する手段として利用された。

本コラムでは、少し時間を遡り2014年のウクライナ情勢をめぐる幾つかのトピックを振り返るとともに、ロシアの現状変更の新しい手段としての(いわゆる)ハイブリッド戦(ロシア人自身は必ずしもこのような闘い方をハイブリッド戦とは呼んでおらず、それは多分に西側による命名である。)について解説したい。

2014年、ウクライナで親米政権が誕生

2014年1月、ロシアとの関係を深めるヤヌコビッチ大統領に対するマスコミ等の批判的報道にあおられ、ウクライナ国民の政府への非難が高まり、それはやがてキエフの広場での大規模なデモの発生に至った。これを受けて2月には議会は大統領解任を決議し親米政権が誕生した。

実は、それまでウクライナの国民感情はそれほど反ロシア的ではなかった。これは反ロシア感情が強いエストニアとはやや違う点である。現地の日本人からの情報では、マスコミが意図的に政府の腐敗を取り上げたり、反政府デモの様子を実際より過大に報道したりするなど、この政変の裏にアメリカの情報機関による世論操作があったともいわれている。

この政変が最近のウクライナ危機につながっているわけである。ロシアから見れば安全保障上重要な周辺国の一つが親米に変わったことは大きな問題であり座視できない。特にクリミア半島セヴァストポリには黒海艦隊の基地があり、ソ連崩壊後もロシアが同基地を租借していた。ウクライナが親米になると、黒海艦隊が基地を失い、ひいては黒海におけるロシアの影響力が低下する。これはロシアにとって重要な国防上の問題である。

クリミア危機から始まった、ロシアの「新しい戦い方」

2014年2月28日、クリミア半島に設置されていたウクライナ国営通信事業者「Ukrtelecom」の通信センターがサイバー攻撃を受け、サービスの提供が妨害された。数日後、同社の施設が正体不明の人員によって占拠され、インターネットのケーブルが物理的に切断された。これにより、同社は半島と他のウクライナの間のインターネット接続を全く提供できなくなった。

こうして、クリミア半島はインターネット上、完全に孤立してしまい、ロシアはクリミア半島でのインターネット活動を自由に管理することができるようになった。これはサイバー封鎖と呼ばれている。さらに、ロシア軍は電波妨害機を使用し、クリミア半島の一部の地域での携帯電話サービスの利用も妨害した。こうしたサイバー封鎖/情報遮断を行ったうえで、クリミア半島において住民投票を行い、その結果、クリミアはクリミア共和国としてウクライナから分離独立し、その後、ロシアによって併合されたのである。

注目すべきはロシア正規軍が注意深く表に出ることを避けていたという点である。つまり、昔のように軍隊の力を持ってある地域を併合するのではなく、軍事力は補助的に用い、情報操作/世論工作により、あくまでも住民の意思による分離独立とロシアへの併合を演出したのである。これはロシアによる「新しい戦い方」である。

事態の1年前、2013年1月にロシアのゲラシモフ参謀総長は将来戦の特徴について以下のように発言している。

○軍事的手段と非軍事的手段が同じ程度に広範に用いられる

○軍事的領域と非軍事的領域の境界がますます曖昧になる

○物理的な戦場においてだけでなく情報空間においても戦闘が生起する

○現代の戦争が変質していることにより、戦争の政治的目標の達成に対する軍事的手段と非軍事的手段の貢献の比率は1:4であることが理想である

つまり、以前からロシアは現状変更の新しい戦い方を研究してきており、2014年のクリミア併合時に、その考え方を適用したのである。

ウクライナ大統領選挙でも、ロシアが世論を操作

2014年5月に行われたウクライナ大統領選挙において、投票集計システムに対するサイバー攻撃が行われた。実際の票の集計とテレビの集計報道にズレがあったのだ。しかもサイバー攻撃により操作された集計結果の数字の方がロシアのテレビで流れた。このことは、ロシアのハッカーとテレビ局は投票数改竄に関し事前調整をしていたことを意味する。実際には、このサイバー攻撃が選挙結果発表の直前に明らかとされたことから、この攻撃により選挙結果が左右される事はなかったとされている。

それでも、選挙にあたり多くの情報工作がおこなわれていた。当時のウクライナのサイバー状況は極めて複合的であった。多国籍を含む一般人、フリーガン、各国情報機関、メディア、各国陸海空軍、著名人、政治家、投資家、などの人間が同時に動き、最初はマッチの火がポツポツついたぐらいだったものが、メディアが煽ること、あるいはそれを利用することで世論の動揺が野火のように広がっていった。そこでは、SNS、YouTubeなどの動画配信、テレビやラジオや新聞などの既存メディア、さらには、盗聴盗撮や合成音声の利用まで、多種多様な手段が用いられていたという。このような世論操作工作により、ウクライナの世論が異常なスピードで動いていた。

対岸の火事ではない

これまでのロシアの新しい戦い方/ハイブリッド戦について、過去の事例を述べたが、まとめると以下のようになるだろう。

まず、サイバー・電磁攻撃で敵を「情報的に」孤立させ、分断する。その対象は軍隊だけではなく、むしろ政治機構や国内の報道機関である。その上で情報操作が実施される。武力行使は必要最小限とし、使う場合は精鋭の特殊部隊を少数利用するに止める。最終的には地元住民の意思に基づきロシア軍が介入したという形式を重視する。

現在のロシアはサイバー空間を単なる情報通信のインフラとして見ているわけではない。情報戦が生起する領域として、いわゆる第5の戦場として見ているのだ。この領域における優勢を確保することが、戦闘、戦争、ロシアの安全保障にとって必須であると考えている。そのための準備も怠っていない。

サイバー軍である情報作戦部隊の創設(2017年)や各種ドクトリンがすでに規定されている。2008年のジョージア紛争におけるサイバー攻撃実験、2019年のサイバー鎖国演習など、実戦的な研究・訓練を踏まえた上で着々と力をつけている。さらに、ロシアでは、プーチン大統領のKGB人脈につながる、政府機関と民間のセキュリティ企業やサイバー犯罪組織との相互依存関係もあると指摘されており、これらがロシアの国家的サイバー攻撃に加担する可能性も見過ごせない。

今後のウクライナ情勢だが、ロシアは、国際法をあからさまに逸脱することは極力避けつつ、ロシアの安全保障上の緩衝国を維持するという点だけは譲らないという立場で、現在進行形の情報戦をさらに強力に継続するとともに、アメリカの出方を見ながら、その外交交渉を進めると考えられる。

従って、私は決定的な武力侵攻の可能性は低いと見ている。しかしながら、現在進行中の米中関係もあり、プーチン大統領がアメリカの警告は言葉だけに過ぎないと判断する可能性もある。そこはしたたかなプーチン大統領である、チャンスがあればそれを見過ごすことなく電撃的な軍事侵攻も無いとは言えない。いずれにせよ、ウクライナ情勢は、アメリカの関与が不可欠であり、それにより中国の動きにも影響を与える。台湾有事、尖閣紛争などを見据える日本としては、ウクライナ情勢は決して対岸の火事ではない。

(編集者追記)

2022年2月21日、ロシアは安全保障会議でウクライナ東部2州(ドネツク、ルガンスク)の一部地域の独立を承認し、プーチン大統領は、この2つの地域からの要請に沿う形で、平和を維持する目的で軍を派遣するよう指示したことが伝えられている。(2月22日記)

写真:REX/アフロ

伊東 寛

工学博士
1980年慶応義塾大学大学院(修士課程)修了。同年陸上自衛隊入隊。技術、情報及びシステム関係の指揮官・幕僚等を歴任。陸自初のサイバー戦部隊であるシステム防護隊の初代隊長を務めた。2007年自衛隊退官後、官民のセキュリティ企業・組織で勤務。2016年から2年間、経済産業省大臣官房サイバー・セキュリティ・情報化審議官も務めた。主な著書に「第5の戦場」、「サイバー戦の脅威」、「サイバー戦争論」その他、共著多数。

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