埋まらぬ米露の溝
ウクライナ情勢が膠着している。米ロの二国間だけではなく、仏ロ、米EUそして国連安全保障理事会においても会合が行われているが、アメリカとロシアの溝は埋まっていない。
先週、主として軍事的側面から「「強気なロシア」と「弱気なアメリカ」」 という記事を投稿した。この記事には、ウクライナに対する軍事的圧力を強めつつあるロシアに対し、アメリカやNATOは経済制裁のみを強調、軍事的対応が限定的であることを指摘し、アメリカがロシアの軍事的強硬手段に妥協的姿勢を見せることは、インド太平洋を巡る中国との対立に悪影響を与えると記した。
その見方に変化は無いが、ウクライナ情勢の緊迫化による経済的インパクトが情勢に与える影響も無視できない。
欧州は天然ガスでロシアに依存
特に欧州諸国のロシア産天然ガスへの依存度は高く、2021年6月現在ロシア天然ガス輸出の39.2%が欧州向けとなっている。また、ロシアにとっても回復基調にある経済をけん引しているのは、原油及び天然ガスであり、天然ガスの輸出減少が与える影響は大きい。
天然ガスは、石炭や石油と比べると燃焼時に発生する二酸化炭素の量が少なく、地球温暖化対策として注目されるエネルギー源である。
ロシアは天然ガスでアメリカに次ぎ世界第2位、原油でアメリカ、サウジアラビアに次ぎ3位の資源大国だ。世界の天然ガスは約7割がパイプラインで、3割が液化天然ガス(LPG)運搬船で輸送されており、ロシアと陸続きである欧州には多くの天然ガスパイプラインが走っている。その一部は、ウクライナやベラルーシを経由しているため、パイプラインが破壊されることによる経済的影響も大きい。
ロシアは、天然ガスパイプラインとして、トルコ経由イタリアやオーストリア向けの「トルコストリーム」、バルト海経由ドイツ向けの「ノルトストリーム」及びシベリア方面に向かう「シベリアの力」の3つを中心に天然ガス供給を武器とした影響力拡大を狙っている。
このロシアの天然ガスを武器とした戦略に影響を与えているのが、ウクライナを巡る緊張状態と中央アジア諸国を巡る中国との軋轢である。
ロシアの天然ガス戦略に影響か
ノルドストリーム2はすでに完成しており、ドイツ規制当局の認証手続きを経て欧州委員会が審査をする流れとなっている。
バイデン政権は、同パイプラインがプーチン大統領の武器として使われる可能性があることから、完成阻止を目的に経済制裁を行う事を検討したが、2021年5月に受け入れ国であるドイツに配慮し、制裁を見送っている。
ウクライナ情勢の緊迫化を受けて、今年1月18日にドイツのショルツ首相は、ロシアがウクライナに侵攻すれば、ノルドストリーム2認証手続きを停止することを明らかにし、27日、欧州連合のウルズラ・フォン・デア・ライエン欧州委員長もノルドストリームの審査を停止する可能性を否定しなかった。また、アメリカとEUは28日、「供給ショックを防ぐため、世界中の多様な供給源からEUへの継続的で十分な天然ガス供給に取り組む」とし、欧州への天然ガス安定供給を維持するため連携するという共同声明を出した。
ノルドストリーム2がウクライナへの軍事侵攻を阻止するアメリカの武器となるか、ロシアの人質になるかは、EUへの天然ガス安定供給の目途がつくかどうかにかかっている。
中央アジア資源をめぐる「中露の綱引き」
次に注目されるのが、ロシアと中央アジア諸国との関係である。カザフスタンにはウランと石油が、トルクメニスタンには天然ガスの豊富な埋蔵量が確認されており、中央アジア諸国には将来にわたって石油、天然ガス及びウランの有望な産出国が揃っている。
今年1月にカザフスタンで大規模な暴動が生起した。直接の原因は燃料価格の上昇であるが、根本には長年にわたる政府の独裁的な国家運営に対する国民の不満があると言われている。トカエフ大統領は暴動を鎮圧するために、ロシアが主導する旧ソ連圏の軍事同盟である「集団安全保障条約機構(CSTO)」をつうじ、ロシア軍の派遣を要請し、要請を受けたロシアは2,500人の軍隊を送り込み、暴動を鎮圧した。
一方で、カザフスタンは、中国が主導する「上海協力機構」の構成国であり、同機構が主催する対テロを主眼とした共同訓練に参加している。また、中国と直接国境を接しており、中国が進める「一帯一路」の重要経路にもなっている。パイプラインを通じて、石油および天然ガスが中国に輸送されており、カザフスタン国家統計局によれば、中国企業数は2015年から2020年で2.2倍に増加している。
このような中、カザフスタンのトカエフ大統領が暴動鎮圧にロシアの介入を要請したところに、同大統領の中露を天秤にかけるしたたかさと、ロシアの中央アジアへの関心の高さが感じられる。トカエフ大統領は、国境を接する中国新疆ウイグル自治区に対する中国の強圧的な統治に、イスラム国家として不快感を持ち、中国への過度な傾斜を避けた可能性もある。
これに対し中国は、1月25日に中央アジア五カ国(ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン)首脳と、国交樹立30周年を祝うオンライン会談を主宰し、習近平主席は「中国と中央アジア五カ国は運命共同体である」と関係の強さを強調した。中央アジアの地政学的な位置及び豊富な資源を巡って、中露の綱引きが始まっているということだ。このようにして、ウクライナ情勢の緊迫化でEUへの天然ガス供給ルートの多角化が進み、今後中央アジア天然ガスの地位が相対的に上昇してくるものと考えられる。
ウクライナ情勢を経済安全保障の側面から見ると、天然ガスが重要な地位を占めており、武器化しているという事が透けて見えてくる。
そんな中、アメリカとEUが、欧州向け天然ガスの多角化を進めているのに対して、プーチン大統領はハンガリー及びイタリアの首相と会談を行い、ロシア産天然ガスの安定供給を約束し、NATO加盟国でもある両国の切り崩しを図っている。
天然ガスの武器化は、リスクも大きい
しかしながら、天然ガスを武器化することは「諸刃の剣」であることを理解しなければならない。欧州にとって、天然ガスの安定供給が得られないことは経済的大きなダメージとなる一方、ロシアにとっても天然ガス売却益が確保できなければ経済が低迷する。さらに天然ガスが武器化することによる新たな側面として指摘できるのは、天然資源供給ルートのパラダイムシフトの可能性である。
天然ガスの最大産出国はアメリカであるが、その主たる輸送ルートはLNG(液化天然ガス)船である。これまでは、液化、港湾インフラそしてLPG船建造に伴うコストがパイプライン輸送よりも割高であったが、2021年、ウクライナ情勢が緊迫化し、欧州へのパイプラインを経由した天然ガスの値段が高騰している。今後、LPG船による輸送ルートがコスト競争力を持った場合、天然ガス供給ルートに大きなパラダイムシフトが起こる可能性があり、ウクライナ情勢緊迫化が長く続けば続くほど、その可能性は大きくなる。
また、ロシアがウクライナに軍事侵攻した場合、アメリカとロシアの対立は決定的となり、アメリカを中心としてロシア産天然ガスに依存しない体制構築が進むであろう。交渉結果に不満を漏らしつつも、ロシアが交渉継続に合意する理由には、決定的な決裂がロシアの天然ガス戦略に与える影響を最小限としたいと考えるロシアの思惑があると考えられる。
経済のボーダレス化、産業の国際的水平分業が進むにつれ、天然ガスのようなエネルギー資源、半導体に代表される基幹部品等が安全保障上の武器となる時代となってきたと言えよう。
サンタフェ総研上席研究員 末次 富美雄
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社において技術アドバイザーとして勤務。2021年から現職。
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