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2024.10.03 外交・安全保障

ロシアと西側との狭間で揺れるインド・モディ外交の思惑と苦悩

長尾 賢

 インドのナレンドラ・モディ首相の仲介外交が注目されている。今夏にロシアのウラジーミル・プーチン大統領、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領との相次ぐ直接会談が、停戦に向けた動きと目されたからだ。ロシアとは米ソ冷戦時代から友好関係を維持する一方、西側諸国にも配慮する全方位外交のインドであれば成し得るかもしれない。だが、中国やパキスタンと敵対するインドにとってロシアは不可欠な存在でありながら、武器輸入などでは「西側」依存が高まるなど、バランス外交の重心はロシアから西側諸国に徐々に移行しつつある。難しい舵取りを迫られるモディ外交の思惑と苦悩に迫る。

 インドのモディ首相は8月23日、ウクライナでゼレンスキー大統領と会談したことが注目を集めた。モディ首相は7月にはロシアでプーチン大統領と面談し、停戦仲介の動きとみられたからだ。そもそもインドは、中立の立場でロシアがウクライナを侵略しても一度も非難せず、国連での非難決議は常に棄権。ロシアを非難したのは、ウクライナのブチャで虐殺が明るみになった時だが、その際も「ロシア」という国名には言及しなかった。

 一方で、西側諸国にも配慮。ロシアが経済制裁を科された際、インドは価格が安くなったロシア産原油の輸入を増やしつつ、その原油を精製してロシアからの輸入が困難になったフランスやハンガリーなど欧州諸国に輸出し、エネルギー不足を支援した。しかも西側諸国の対ロ経済制裁を非難しない上、プーチン大統領の訪印をまだ受け入れていない。

 モディ首相は2022年にウズベキスタンでプーチン大統領と直接会談した際、「今は戦争の時代ではない」と軍事行動の自制を促した。国連でもロシアが提案した決議に中国は賛成したが、インドは棄権。中立を掲げながらも西側諸国の対ロ経済制裁を非難し、プーチン大統領を繰り返し迎え入れる中国とは明らかに異なる。ハドソン研究所で講演したインドのスブラマニヤム・ジャイシャンカール外相も「インドは西側ではないが、反西側でもない」と語った。

 こうした態度だからこそ、モディ首相のキーウ訪問は、仲介者として一定の注目を集めている。プーチン大統領とゼレンスキー大統領の双方に直接メッセージを届けるインドの姿勢は、中国に比べ中立をより前面に押し出したものと言える。

トランプ再選想定し各国首脳動く

 しかし、ロシアのウクライナ侵略から2年半余り経過しているのに、なぜ今、仲介なのか。それは米国の大統領選挙に関係しているようだ。現在、共和党のドナルド・トランプ前大統領を民主党のカマラ・ハリス副大統領が追い上げているが、2023年前半の段階ではトランプ氏勝利の可能性が信じられていた。

 トランプ氏は以前から、ロシアのウクライナ侵略を「電話一本で終わらせる」と豪語していた。ただ、その実現には相当の準備も必要だ。もし、2025年1月の就任時に戦争を終わらせるとしたら、2024年11月の大統領選の結果が判明次第、あるいはそれ以前に取りかからければならないだろう。

 既に他国は動いていた。ウクライナの隣国、ポーランドのアンジェイ・ドゥダ大統領が2024年4月にニューヨークでトランプ氏に面会し、ゼレンスキー大統領も7月にトランプ氏と電話会談。その後、温存していた部隊を投入し、ロシアへの越境攻撃を開始した。ロシアから領土を奪えば、奪われた領土と交換できるかもしれない。停戦交渉を念頭に交渉カードを増やすという試みである。

 EU議長国になったハンガリーのオルバン・ヴィクトル首相もキーウとモスクワを訪問し、その後、米国でトランプ氏と会談。中国の動きも活発で、ロシアを頻繁に訪れる一方、ウクライナのドミトロ・クレバ外相(当時)の訪中も受け入れた。このような状況の中、モディ首相も両国を訪問したというわけである。

 トランプ氏が大統領選に勝ち、停戦交渉が実現すれば、これらの国々はロシアとウクライナの双方に人脈や情報を保有することになる。米国の必要時に、うまく提供すれば、「米国の停戦交渉は、わが国のおかげで成功した」と外交的成果を主張できる。そのため、停戦交渉を念頭に置いた動きが活発化したのだ。

ロシアに安全保障のカギ握られる

 しかし、インドの行動には根本的な疑問がある。ロシアのウクライナ侵略に中立的な立場をとるのは、適切な選択といえるのか。「今は戦争の時代ではない」とプーチン大統領に言ったならば、インドが戦争に反対なのは明白であり、ロシアを擁護する理由はないはずだ。そこには、ロシアと西側諸国との間で板挟みになったインドの苦悩が見える。

 インドは米ソ冷戦時代、ソ連の正式な同盟国だった。インド自身は「非同盟」(または「全同盟」「戦略的自立」)を主張しているが、1971年の印ソ平和友好協力条約の第9条には第三国に対する共同軍事行動について書かれており、軍事同盟としての色彩を持っていた。1991年のソ連崩壊時に同盟関係は終わったが、それまでの20年間の関係が3つの大きな影響をもたらした。

 1点目が、ロシアがインドの安全保障のカギを握る立場になったことだ。それを特に示しているのは、インド軍が保有する武器である。その武器の約5割を占めるのがロシア製。戦車や戦闘艦艇、戦闘機など前線で弾を撃つ正面装備が多く、半分程度が修理中だ。これは何を意味するのか。

 武器は高度で精密な機械でありながら、乱暴に使用されることが多い。そのため、すぐに壊れてしまう。そこで専属の整備部隊が常時対応し、使える状態にしている。つまり、武器使用には修理部品の供給が欠かせない。しかも、正面装備では大量の弾を撃つため、弾薬の補給も必要。インドがロシア製の武器を使用するということは、ロシアからの武器の修理部品、弾薬の供給に依存することを意味する。

 さらに、武器の半分程度が修理中ということは、仮に中国やパキスタンなどと大きな戦争になれば、その修理が急務となる。実は、過去に例がある。1971年の第3次印パ戦争の時だ。インドはパキスタンとの戦争を決めたが、戦車の75~80%が修理中だった。そこで、自国の部品生産を増やすと同時に、ソ連から大量の部品を送ってもらうことになったが、重くなりすぎてソ連の輸送機がインドまで飛べなくなった。そのため、戦う相手であるはずのパキスタンの空港に着陸して給油し、インドに運んできたのである。今でもロシアからの部品搬送がなければ、大きな軍事作戦はできない。これが、ロシアがインドの安全保障を握っているという意味である。

選挙資金を協力したソ連への恩義

 2点目が、実際に信頼関係が深いことだ。インドとロシアの関係は対中国を念頭に深まり、1971年には同盟関係になった。ソ連崩壊のロシアでも一貫して、インドを支援してきた。日米同盟が長い歴史を持つ信頼関係に基づくものであるのと同様、印ロ関係は長く信頼関係が続いたと言える。

 こうした関係は、インドが軍事行動を行う際にも重要だ。例えば、パキスタンは長年、イスラム過激派をインドに送り込むテロ支援戦略をとってきたとされる。これは通常戦力で勝るインドへの対抗手段として、小さな傷をたくさんつければ、どんな強い相手も弱らせることができるという「千の傷戦略」の考え方だ。

 インドは、軍事的に懲罰を行うことを考えてきたが、パキスタンに軍事行動をとれば、国際連合安全保障理事会で印パ双方に停戦を求める決議が出され、懲罰の実現は難しくなる。そこで、インドは国連安保理でロシアが拒否権を行使することに期待している。1971年の第3次印パ戦争の際、旧ソ連はインドのために2週間にわたり拒否権を行使し続け、インドのロシアに対する信頼は厚いからだ。

 ただ、両国の信頼関係は癒着にもなっていた。インドは、中国とは対照的に政治面では自由民主主義に基づき選挙で政権を決めるが、経済は社会主義であった。これはロシアとの癒着の温床という意味で「最悪の組み合わせ」と言える。インド経済は十分育たず、インド製品には国際競争力がなかったが、製品の価格を委員会で決める旧ソ連は、そんな製品にも値付けして資金や武器などに変えてくれたからである。

 これが選挙に影響する。旧ソ連から資金を得たインド企業は、その資金を政党(当時は現在の野党である国民会議派の政権が長く続いた)に寄付し、政党はその資金で選挙を戦っていたため、選挙は間接的に旧ソ連の資金で賄われた。インドでは古い世代の人ほど今でもロシアへの「忠誠心」を示す例が多い。

 3点目は、地政学的な観点から、先々にわたって印ロ間の連携が重要と考えていることだ。例えば、台頭する中国に対抗するため、ロシアの存在は欠かせない。また、敵対するパキスタンのイスラム過激派支援に対処する際、イスラム過激派が拠点とする中央アジアやアフガニスタンなどの地域に情報網を持つロシアの協力が必要になる。

 さらに、世界の将来像に対するインドの見方からも、ロシアが重要な存在であることが分かる。インドは米国の影響力が低下しつつあり、世界が多極化するとみている。そうした中、中国とパキスタンに対抗するには、その他の国と「ケースバイケース」で組むスキームが考えられる。QUAD(日米豪印戦略対話)もその一つで、ロシアとの連携も、選択肢として確保し続けたい思惑がある。

武器輸入で西側諸国と関係強化

 ただ、インドにとって悩ましいのは、新しい選択肢として西側諸国との関係の重要性が増す一方、ロシアへの信頼も揺らぎ始めていることだ。それが分かるのが、世界各国のインドに対する金額ベースの武器輸出シェアである。特に高いロシア(旧ソ連含む)を赤色、西側諸国(米国、英国、フランス、イスラエルの合計)を青色として示した(図1)。

 インドの独立当初は英国を中心に青色が大半を占めたが、1962年の印中戦争以降、旧ソ連からの武器が増え、高いシェアを維持してきたことがわかる。だが、過去10年程度を見ると、特にモディ政権下で青色の西側諸国が増加傾向となって赤色のロシアを上回り、インドにとってロシアからの武器の重要性が徐々に低下していることがうかがえる。

【図1】西側諸国とロシアの「インド」向け武器輸出シェア

(出所)SIPRIのデータベース(https://www.sipri.org/ )より筆者作成

 同様に、中国に対する西側諸国とロシアの武器輸出シェア(図2)を見てみる。旧ソ連は中国にそれほど武器を輸出しなかったが、ロシアは大量に輸出している。過去10年の傾向から見れば、ロシアは中国に対して武器を輸出する一方、西側諸国は中国への武器輸出を止めつつある。

【図2】西側諸国とロシアの「中国」向け武器輸出シェア

(出所)SIPRIのデータベース(https://www.sipri.org/ )より筆者作成

 一方、西側諸国、ロシア、中国のパキスタンに対する武器輸出シェア(図3)はどうか。黒色の中国のシェアが圧倒的に多い。足元では減少しているものの、ロシアは旧ソ連が控えていたパキスタンへの武器輸出を増やしつつある。ロシア製の戦闘ヘリコプターなどの輸出のほか、中国製の戦闘機のエンジンがロシア製であることも中パの協力関係と連関したものだ。半面、西側諸国の輸出は過去10年で減少傾向にあり、なくなりつつある。

【図3】西側諸国と中・露の「パキスタン」向け武器輸出シェア

(出所)SIPRIのデータベース(https://www.sipri.org/ )より筆者作成

 インドにとって武器を通じたロシアへの信頼度は減少傾向にある一方、新しい友好国として西側諸国の存在感は増しつつある。こうしたインドと西側諸国との関係強化は、パキスタンが支援するイスラム過激派のテロに対するインドの軍事行動でも明白だ。西側諸国はパキスタンを非難し、インドの自衛権を認める傾向が強まっており、武器だけでなく関係全体が変わりつつある。

インドの仲介外交に貢献の余地

 インドは、中国やパキスタンへの対抗上、古い友人のロシアと新しい友人の西側諸国、双方との関係を強化してきた。両者と対話できる状況を仲介に利用できるか注目されているが、実際にうまくいくのだろうか。問題はそもそも仲介が成功するような状況にあるかどうかだ。ロシアは、ウクライナ全土を占領する計画を続け、2014年以降、断続的に領土を広げている。一方、ウクライナは、今は戦時であるので西側諸国の結束により支援を受けているが、停戦すれば状況が変わる可能性がある。

 トランプ氏が仮に停戦を実現したとしても、数年程度の一時的な停戦になる可能性が高い。例えば、トランプ政権下で起きた北朝鮮のミサイル実験凍結はその一例だ。北朝鮮はミサイル開発を中止しなかったが、数年間のミサイル実験凍結には至った。だからこそ、そのような停戦が実際にできれば、インドの仲介外交が貢献できる余地はあるだろう。

写真:AP/アフロ

地経学の視点

 インドのモディ首相は9月21日、米国のバイデン大統領、日本の岸田首相、豪州のアルバニージー首相とQUAD会合を開き、共同声明を発表。海洋進出を広げる中国の脅威に備え、海洋安全保障協力を強化することで一致した。中国と対立するインドにとって、西側諸国との連携はバランス外交のカギを握り、位置付けはさらに高まっていくだろう。

 一方、長年親密なロシアとの関係が揺らいでいる。特に筆者が言うように、武器輸入でロシアから西側諸国への比重移行は注目すべき点だ。また、9月19日のロイター報道によると、インド製の砲弾が欧州の顧客によってウクライナに転用されていることにロシアが抗議しているにもかかわらず、インド政府は取引を阻止する介入の動きを見せていない。

 モディ首相は先日の選挙結果を受け3期目に入ったが、自身が率いる与党の大幅な議席減で求心力が低下し、内政に支障が出ている。米中に依存しない巧みな戦略で実利を得てきた全方位外交も、バランスの重心をうまく制御できないと国益を損ないかねない。モディ首相の外交手腕が一段と試される。(編集部)

長尾 賢

ハドソン研究所研究員
学習院大学で学士、修士、博士取得。博士論文では「インドの軍事戦略」を研究・出版。自衛隊、外務省での勤務後、学習院大学、青山学院大学、駒澤大学で教鞭をとる傍ら、海洋政策研究財団、米・戦略国際問題研究所(CSIS)、東京財団で研究員を務め、2017年12月より現職。日本では、日本戦略研究フォーラム上席研究員、日本国際フォーラム特別研究員、未来工学研究所特別研究員、平和安全保障研究所研究委員、国際安全保障産業協会ディレクター、学習院大学講師(安全保障論)などを兼任し、米印比スリランカで研究機関にも所属。著書:『検証 インドの軍事戦略―緊迫する周辺国とのパワーバランス』(ミネルヴァ書房、2015年)。2007年、防衛省「安全保障に関する懸賞論文」優秀賞受賞。英語論文も100本以上、海外メディアでのコメントは800件以上ある。

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