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2023.08.22 経済金融

曖昧な「トランジション」で日本の脱炭素戦略は成功するのか
GXを国益につなげるために(1)

鈴木 英介

 熱波や豪雨、氷河の融解に伴う海面上昇。世界各地で深刻化する異常気象は、地球温暖化によるものだ。事業活動から排出される二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスが大気中で増え、地表の温度が高まっていることが主因とされ、海氷の減退や島の水没などは安全保障にも影響する。「脱炭素」は国際的課題だ。こうしたなか、日本政府が成長戦略の柱の一つとして打ち立てているのが、グリーン・トランスフォーメーション(GX)。産業革命以来の化石燃料中心の経済・社会、産業構造を脱炭素化し、同時に産業競争力を高めて経済成長を図る政策だ。しかし日本の産業構造は、鉄鋼や化学などCO2を多く排出する産業を中心に成り立っており、一足飛びには脱炭素は達成できない。そのため、GXでは段階的なグリーンへの移行、「トランジション」を推し進める。他方、脱炭素戦略で先行する欧州は、グリーンか否かという二元論的政策でルールメイクを図り、グリーン化が明確な分野にマネーを集中投下して経済成長を目指す。曖昧さがぬぐえない日本のGXを国益につなげるために何が必要なのか。3回にわたって考える。

第1回:曖昧な「トランジション」で日本の脱炭素戦略は成功するのか(今回)
第2回:「アメとムチ」で脱炭素を促す政府の制度設計、死角はないか
第3回:日本ファーストの戦略ではない 「トランジション」は世界の現実解

 今後10年間で官民合わせて150兆円超の投資を呼び込む——。

 世界各国が脱炭素社会の実現に向けた政策競争を繰り広げるなか(図1)、日本は「GX(グリーン・トランスフォーメーション)」というキーワードでグリーン戦略を推進している。化石燃料中心のエネルギー構造をクリーンエネルギー中心に転換させ、2050年に二酸化炭素や窒素酸化物といった温室効果ガス(GHG)の排出をカーボンニュートラル(排出量と吸収量の差し引きで実質ゼロ)にする、その実現に向けた政府のコミットが「150兆円超の官民投資」だ。

国・地域
(関連施策公表日)
政府支援等GHG削減目標
EU
(2020年1月14日投資計画公表)
官民のGX投資額:10年間で約140兆円2030年▲55%
(1990年比)
米国
(2022年8月16日関連法律成立)
10年間で約50兆円2030年▲50〜52%
(2005年比)
ドイツ
(2020年6月3日経済対策公表)
2年間を中心、約7兆円EUの目標と同じ
フランス
(2020年9月3日経済対策公表)
2年間で約4兆円EUの目標と同じ
英国
(2021年10月19日戦略公表)
8年間で約4兆円2030年▲68%
(1990年比)
(出所)第11回クリーンエネルギー戦略検討合同会合 資料1より編集部作成

 岸田文雄政権は今年2月に「GX実現に向けた基本方針」を閣議決定し、5月にはその裏付けとなるGX推進法が成立。150兆円の呼び水として、GXの民間投資について政府が20 兆円を支援することを決めた。20兆円の財源は、政府が2023年度から発行する「GX経済移行債」という国債だ。

 GXで中核となる概念は「移行」、具体的にはカーボンニュートラルに向けた長期的、段階的移行(トランジション)だ。脱炭素と言っても社会全体が一足飛びにGHG排出ゼロを実現できるわけではない。特に、鉄鋼や化学、セメント、紙・パルプといった産業は、製造過程でCO2を排出し、グリーン技術も発展途上なため、GHG排出削減が困難(Hard-to-Abate)だ。そうしたセクターが、燃料転換や省エネ技術などの導入によって低炭素化から脱炭素化を目指す段階的な取り組みがトランジションだ。

 移行債はトランジションを実現するために発行する債券で、近年では、特に国内企業による移行債(社債)の発行が相次いでいる。国債であるGX経済移行債の具体的な制度設計はこれからだが、Hard-to-Abate産業のトランジションは資金使途の重点項目だ。国による移行債が発行されれば世界初。トランジションへの資金供給は「トランジション・ファイナンス」と呼ばれ、日本政府はGX実現のカギとして推進している。

写真:ロイター/アフロ

二元論的な脱炭素戦略のEU

 しかし、トランジション・ファイナンスは国際的な認知が十分とはいえない。EU(欧州連合)では、対象事業をグリーンか非グリーン(=ブラウン)かで二分する「タクソノミー(分類)」政策で脱炭素化を推進してきた。

 脱炭素ビジネスに投融資する金融機関からすれば、再生可能エネルギー(再エネ)や省エネルギー(省エネ)など、企業の経済活動自体が気候変動の緩和・適応策に該当するグリーンな事業にファイナンスすることのリスクは低い。他方、GHGを多く排出するブラウン企業が脱炭素化を果たすまでには長期間を要し、トランジションに失敗する可能性もある。金融機関はリスクに見合ったリターンを得にくいだけでなく、投資家や環境NGOから「グリーンウォッシュ(見せかけのグリーン活動)」と批判される恐れもある。こうした背景から、EUはブラウン産業を市場から退出させ、グリーン産業に集中的に補助金を付けてマネーを呼び込む戦略をとってきた。

 もっとも、EUも「グリーン」「ブラウン」の完全な二元論ではない。例えば一定の省エネはタクソノミー適合とされるほか、天然ガスや原子力発電も「カーボンニュートラルへの移行期に必要な経済活動」としてタクソノミーに含められる。だがそれは、「『経過措置としての容認』といった意味合いで、トランジションそのものを投資対象とする日本のGXとは異なる」(環境金融研究機構の藤井良広代表理事)。資金調達でも、欧州では資金使途が曖昧なトランジションよりも、グリーン分野のボンドやローンが主流だ。

トランジションに懸ける日本

 では、なぜ日本はトランジションにこだわるのか——。

 経済産業省の梶川文博前・環境経済室長(現・GX金融推進室長)は、「Hard-to-Abate産業のGHG排出削減技術を育てない限り、世界の脱炭素につながらないからだ」と話す。

 梶川室長は、カーボンニュートラルを実現するには大きく四つの道筋があると指摘する。一つは化石燃料の消費を削減する省エネ。日本が得意とする既存技術であり、脱炭素の手前の取り組みと言える。

 二つ目は太陽光発電、風力発電など再エネによる電力の脱炭素化だ。コスト面や出力の安定性など課題はあるが、化石燃料を用いる火力発電にはこうした代替手段があり、すでに脱炭素の水準にある。省エネ・再エネ向けのファイナンスは、既存技術や確立された代替技術を普及させるのが目的だから、リスクは低く、民間投資でも十分発展が見込まれる分野だ。

 問題は残る二つ、「熱需要」「プロセス由来」と呼ばれるHard-to-Abate産業にまつわるGHGの排出削減だ。

 熱需要とは、生産や活動において熱エネルギーを必要とするものをいう。例えば、セメントは石灰石などを燃やし、CO2を排出しながら原料を得るが、原料の焼成には1450度以上の熱が必要となる。これほど高いカロリーは再エネでは生み出せず、現状で代替手段がない。

 プロセス由来とは、工業プロセスにおいて発生するCO2のことだ。例えば鉄鋼業では、通常、高炉で原料となる鉄鉱石から炭素で還元(酸素を除去すること)して鉄を得る。還元には石炭を蒸し焼きにして炭素濃度を高めたコークスが必要となるが、その過程で石炭は酸素と結び付きCO2が発生する。排出量を減らすために電炉への切り替えや、鉄鉱石を水素で還元する方法も検討されているが、生産効率や水素の供給手段など課題は多く、実用化はまだ先だ。

 つまり、セメントも鉄も脱炭素達成には革新的な技術が必要で、今は排出削減の取り組みを続けるしかない。一方で、2021年の世界のセメント生産量は44億トン、22年の粗鋼生産量(速報値)は18.7億トンもある。もちろんEUもセメントや鉄は作っている。「熱需要、プロセス由来に対してしっかりお金を張らないと世界はカーボンニュートラルにいかない。だからトランジションという概念には意義がある」と梶川室長は言う。

 きれいごとだけではない。エネルギー資源に乏しい日本は化石燃料への依存度が高く、高度成長期に発達した重工業はHard-to-Abate産業の典型だからだ。金融庁の「サステナブルファイナンス有識者会議」のメンバーを務め、トランジション・ファイナンスに詳しいグローバルリスクアンドガバナンスの藤井健司代表は、「GHGを多く排出する製造業を中心に産業構造が成り立っている日本は、脱炭素のスタート地点から特別な工夫と努力が必要だ」と指摘する。

 ただし、トランジションによって今あるすべての企業を生き残らせるとは政府も言っていない。梶川室長は、「Hard-to-Abate産業は基礎素材で、分野としては重要だが、その中で競争も事業再編もあり得る」と強調する。

 かつて日本は、エネルギー革命を受け、「黒いダイヤ」と呼ばれた石炭から、石油への産業構造転換を図った。だが、GXでは産業のスクラップ&ビルドは選択せず、まずは現状の産業分野を「移行」の土俵に乗せることに懸けた。

 「ブラウン」なまま終わるリスクもあるトランジションというマーケットを推進するには、国が適切な支援を行いながら、民間事業者が積極的に未知の技術に挑み、その挑戦を後押しする金融機関の取り組みが必要だ。同時に、150兆円を呼び込むには国内だけでなく海外からのマネーを引き付ける仕掛けが欠かせない。トランジション・ファイナンスの正当性を国際社会で訴えるルールメイクも必要だ。

 GXの成功には、大きなハードルがいくつも待ち受けている。次回は、GX経済移行債の具体的な仕組みを見ていきながら、政府の狙いや課題を整理していく。

写真:ロイター/アフロ

(第2回に続く)

鈴木 英介

実業之日本フォーラム 副編集長
2001年株式会社きんざい入社。通信教育教材の編集、地方銀行の顧客向け雑誌の受託編集業務などを経て、2014年4月一般社団法人金融財政事情研究会転籍。2017年4月「月刊登記情報」編集長、2020年4月「週刊金融財政事情」副編集長。2022年8月に実業之日本社に転じて同年10月から現職。

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