ウクライナ戦争で苦境に陥るロシアは、現場トップを次々と交替させている。今年1月に4人目の総司令官となったゲラシモフは、連邦軍から私兵まで複雑な組織を指揮せねばならない。ロシア正規軍らと共に戦う民間軍事会社「ワグネル」は、ドネツク州の要衝「バフムト」を守るウクライナ軍を攻囲するなど重要な役割を負うが、国際法上は「傭兵」であり、違法な運用だ。加えてワグネル創設者プリゴジンの増長がロシア当局の脅威となっており、ゲラシモフはジレンマに陥っている。ワグネルを管理下に置けなければ、ロシアがプリゴジンを排除する可能性もある。
ロシアのショイグ国防相は1月11日、ウクライナにおける「特別軍事作戦(ウクライナ侵攻作戦)」のロシア合同部隊司令官(以下、総司令官)に、参謀総長のゲラシモフ上級大将を任命したと発表した。プーチン大統領の承認を受けた措置である。
9カ月で総司令官が3度交代
2022年2月24日に開始された「特別軍事作戦」は、当初、作戦全般を統括する指揮官がおらず、部隊間の調整が不十分であった。そのため、4月10日に黒海沿岸とクリミア半島を管轄する南部軍管区司令官のドヴォルニコフ上級大将が総司令官に任命された。5月に入ると、北西部に侵攻したロシア軍部隊は、ウクライナ軍の反撃により国境線まで撤退。6月25日にドヴォルニコフ上級大将は総司令官を解任され、国防省政治総局長のジドコ准将が東部軍管区司令官の配置に就くとともに、次の総司令官に任命された。
9月に入り、ウクライナ軍の本格的な反攻が始まり、ロシア軍は北東部と南部で撤退などを強いられた。ジドコ准将は10月5日に東部軍管区司令官を解任され、8日に航空宇宙軍総司令官のスロヴィキン上級大将が新たな総司令官に任命された。
ゲラシモフ上級大将の就任も含めると、およそ9カ月で現地部隊の総指揮官が3回も交代したことになる。今年1月23日、ウクライナ国防省情報総局副長官スキビツキー少将は自国メディアの取材に応じ、「プーチン大統領は、3月までにドネツク州とルハンシク州の全域を制圧するようゲラシモフ参謀総長に指示した」と答えている。欧米諸国の軍事支援を受けてウクライナ軍が本格的な反撃を準備するなか、ゲラシモフ参謀総長はウクライナ軍の反撃に備えつつ、大規模攻勢に転じることを迫られている。
連邦軍から私兵まで…複雑な部隊構成
ロシア国防省は1月11日の報道発表で、ゲラシモフ参謀総長の総司令官任命の理由として、(1)解決すべき課題の範囲の拡大、(2)特殊軍事作戦における指導力の向上、(3)軍の各部門間の緊密な連携、補給の質と部隊指揮の効率性――の3点を挙げた。
「解決すべき課題の範囲の拡大」とは、欧米諸国からの軍事支援の下、ウクライナ軍の本格的な反攻を受け、各地で苦境に陥っている軍の立て直しを想定したものとみられる。また、「指導力の向上」や「部隊指揮の効率性」は、「特別軍事作戦」に参加している多様な部隊の作戦指揮や補給を一元化して効率化を図る狙いがあると考えられる。
ウクライナで戦っているロシアの部隊構成は非常に複雑だ。まず、国防省の指揮下にあるロシア連邦軍が挙げられる。連邦軍は、海軍歩兵と空挺軍を含めた延べ12個師団と40個旅団を基幹とする陸上戦闘部隊で構成される。そして、別の指揮系統として、(1)大統領直属の「国家親衛隊」、(2) FSB(連邦保安庁)に所属する「国境軍部隊」、(3)内務省に所属する「警察部隊」――といった政府機関の武装部隊がある。
さらに州兵的な位置付けとして、昨年9月30日にロシアに併合されたドネツク州とルガンスク州の親露派分離主義勢力「ドネツク人民兵」「ルガンスク人民兵」の義勇兵部隊や、チェチェン共和国カディロフ首長の私兵部隊も、ウクライナにおいて戦闘を行っている。
また、SVR(対外情報庁)が統括する「ドンバス義勇兵連合」とグルジア親露派分離主義勢力「南オセチア共和国軍」の義勇兵部隊、民間軍事会社「ワグネル」の傭兵部隊も、非政府機関として各組織の指揮系統に従って作戦行動を行っている(図1)。ゲラシモフ参謀総長は、効率的な武器弾薬や糧食の補給態勢を整え、一元的な作戦指揮の態勢を確立するため、ウクライナ東部と南部に展開するロシア側部隊の再編成を進める必要がある。
【図1】ゲラシモフ総司令官着任後のロシア軍の指揮系統
一元的な作戦指揮を阻む「民間軍事会社」
今回の再編成において問題となるのは、民間軍事会社「ワグネル」の傭兵部隊の存在である。戦時国際法である「陸戦の法規慣例に関する規則」1条では、「戦争の法規、権利、義務は正規軍にのみ適用されるものではなく、下記条件を満たす民兵、義勇兵にも適用される」とされている。その「条件」とは、(1)部下の責任を負う指揮官が存在すること、(2)遠方から識別可能な固著の徽章を着用していること、(3)公然と兵器を携帯していること、(4)その動作において戦争法規を順守していること――の4点である。
ウクライナ親露派分離主義勢力の「ドネツク人民兵」と「ルガンスク人民兵」は、前述のようにロシアによる併合の法的手続きが完了しており、ロシア連邦構成主体であるチェチェン共和国カディロフ首長の私兵部隊と共に、州兵的な政府機関の武装組織と解釈される。また、「南オセチア共和国軍」と「ドンバス義勇兵連合」は、非政府機関の武装組織である「義勇兵」と解釈される。
しかし、「ワグネル」の傭兵部隊は、これらの武装組織とは異なる。プーチン大統領は2018年12月の記者会見で、「ワグネル」について「国家の組織ではないが、法律に違反しない範囲で世界中のどこでもビジネス上の利益を推進する権利を持っている」と、同組織を「軍事部門のビジネスを行う営利団体」と位置付けている。
「ロシア連邦軍参謀本部規則」に基づき、参謀本部は「軍およびその他の準軍事組織に対する最高司令官(大統領)の決定の実現」という任務を有しており、その権限は「準軍事組織」である連邦軍以外の政府機関や義勇兵部隊にも及ぶ。しかし、「ワグネル」はビジネス上の利益を追求する民間企業と位置付けられていることから、参謀本部が一元的な指揮を及ぼすことは困難だ。
戦局好転のカギだが…「増長」に懸念
「ワグネル」は、2014年設立の傭兵運営会社である。「オリガルヒ」と呼ばれる新興財閥に近い存在のプリゴジンによって創設され、元参謀本部情報局特殊部隊中佐を司令官とした。14年のウクライナ内政混乱において「ワグネル」の傭兵部隊が動員されたほか、15年のシリア内戦でもロシア連邦軍が軍事介入する前に投入された。以後、組織を拡大しながら、スーダンやリビアなどの内戦にも傭兵を投入してきたといわれる。
国防省と大統領府は、プーチン大統領へ近づこうとするプリゴジンを警戒しているようだ。ロシア独立系メディア「メドゥーサ」の報道によると、「ワグネル」は昨年2月に開始されたウクライナ侵攻において作戦参加の準備を整えていなかった。参謀本部がプリゴジンに侵攻に関する情報を事前に与えなかったからだ。しかし3月に入り、ウクライナ北東部戦線でウクライナ軍の激しい抵抗を受けてロシア連邦軍が敗退したことから、国防省は「ワグネル」傭兵部隊のウクライナ投入を決意したようだ。3月末に北東部戦線に投入された「ワグネル」傭兵部隊は、5月7日、東部ルハンシク州の交通の要衝ポパスナを占領した。プーチン大統領は、この功績により6月末にプリゴジンに対してロシア英雄勲章を授与したという。
「ワグネル」は、9月に入ると受刑者からの戦闘員の募集も開始した。組織拡大に伴い、プリゴジンのプーチン大統領への影響力も増大していった。プリゴジンは現地におけるロシア連邦軍の指揮官たちを批判、プーチン大統領に彼らの解任を要求するのみならず、批判の矛先をショイグ国防相やゲラシモフ参謀総長にも向けていった。
米カーネギー国際平和財団のタチアナ・スタノバヤ研究員は、「ショイグ国防相とゲラシモフ参謀総長が1月10日の深夜にプーチン大統領のもとを訪れて『民間軍事会社ワグネルがロシア連邦軍の作戦を妨げている』と訴えた」とし、「ロシア連邦軍に対する批判と発言力を高めるプリゴジンに対して警戒心を抱きつつあったプーチン大統領は訴えを受け入れ、翌11日、プリゴジンへの牽制といった意味も含め、ゲラシモフ参謀総長を総指揮官に任命した」と論じている。
プリゴジンへの警戒感を指摘する声はほかにもある。ISW(米戦争研究所)は1月16日、東部ドネツク州バフムト近郊の都市ソレダル占領の戦果を巡って「ワグネル」と国防省の主張が対立した際、「プーチン大統領が『ソレダル占領は国防省と参謀本部の成果である』としたことは、プリゴジンの影響力を弱体化させるための意図的な試みであった可能性が高い」と分析している。その一方でプーチン大統領は、ソレダル占領に功績のあったとする「ワグネル」戦闘員に勲章を授与してもいる。
1月25日、ウクライナ軍はソレダルから撤退した。ウクライナ国防省のマリャル次官によると、ロシア軍はソレダル占領により、バフムトを防衛するウクライナ軍の補給路を断つことが可能となったという。ISWの報告書によると、「ワグネル」の傭兵部隊は、ソレダル周辺の戦闘において1万5000人を超える死傷者を出しつつも同地を制圧し、バムフトへ前進を続けている。ウクライナ東部の前線に投入された約5万人の「ワグネル」傭兵部隊は、ゲラシモフ参謀総長にとって戦局好転へのカギを握る存在となっている。
「傭兵」を使い続ければ、ロシア自身が裁かれる恐れ
戦時国際法である「ジュネーブ諸条約第1追加議定書」47条は、「傭兵は、戦闘員である権利又は捕虜となる権利を有しない」とし、「傭兵」とは次に示す6つの条件すべてを満たすものと定義している。
・武力紛争において戦うために現地または国外で特別に採用されていること
・実際に敵対行為に直接参加していること
・主として私的な利益を得たいという願望により敵対行為に参加しており、紛争当事者の軍隊の類似の階級に属するものや類似の任務に従事する戦闘員に対して支払われる報酬額を相当上回る額を支給されること
・紛争当事者の国民ではなく、また、紛争当事者が支配・占領している地域の住民でもないこと
・紛争当事者の軍隊の構成員ではないこと
・紛争当事者でない国が自国の軍隊の構成員として公の任務で派遣した者でないこと
「ワグネル」を上記条件に照らしてみると、まず、ロシア国内のみならずキリギスなど中央アジアの旧ソ連構成国や、セルビアなど国外からも要員を採用しており、ウクライナで戦闘行動を行っている。そして報酬は月額約56万円以上といわれ、ロシア正規兵士の約11万円に比べ5倍以上だ。さらにロシア連邦軍とは別の独自の指揮系統により行動していることから、すべての条件に該当する。つまり、「ワグネル」の戦闘員は、戦時国際法上の戦闘員である権利を有さず、戦闘を行うことは戦時国際法上で違法となる。
なお、欧米の民事軍事会社やフランスの外人部隊も一見「傭兵」のように思えるが、前者は敵対行為に直接参加していないこと、後者は正規軍であることなどから、いずれも戦時国際法上の「傭兵」の条件は満たさない。
もしロシアが「傭兵」を運用し続ければ、ワグネル兵がウクライナに捕らえられた場合に「捕虜」として扱われないという当事者側のリスクのほか、ロシア側としては、戦後、違法な戦争犯罪行為を行ったとして国際裁判で裁かれる恐れがある。こうしたことから、ゲラシモフ参謀総長が「ワグネル」の構成員を戦闘員として作戦に使用するためには、「ワグネル」をロシア連邦軍の指揮下に入れることが必要となる。
1月26日、米国政府は「ワグネル」を「国際犯罪組織」に指定し、追加制裁を行うことを発表した。これに先立つ1月23日、ゲラシモフ参謀総長は、「ワグネル」を含むすべてのロシア側戦闘員に対して「正式な軍服の着用、頭髪と髭の整備」を命じ、正規軍として規律の振粛を図った。これに対してプリゴジンは「ゲラシモフ参謀総長はワグネル部隊を弱化させるための命令まで下した」と非難している。現状において、プリゴジンが「ワグネル」の戦闘員に対する指揮権を素直にゲラシモフ参謀総長へ移管することは考えにくい。
ロシアがプリゴジンを排除する可能性も
2月3日、ゼレンスキー大統領は、ロシア軍が攻囲する東部ドネツク州の要衝バフムトについて「明け渡さない。力の限り戦う」と宣言した。実際、2月5日時点で東部ドネツク州バフムトの市街地北部では激戦が続いており、プリゴジンも「ウクライナ軍がバフムトから撤退する兆候はない」と述べている。ウクライナ軍は、バフムトで防衛戦を展開し、ロシア軍を損耗させた後、米欧製戦車などを実戦投入して本格的な反攻に移る構想を描いているようだ(図2)。
【図2】2月6日時点の戦況とワグネル部隊の展開状況
バフムト攻囲戦において「ワグネル」の傭兵部隊は、膨大な死傷者を出しつつもロシア連邦軍部隊の前面に立って戦っており、ロシア軍にとって重要な戦力の一部を構成している。欧米諸国の軍事支援を受けて増強しつつあるウクライナ軍が本格的反撃に向け準備するなか、ゲラシモフ参謀総長が、「ワグネル」をプリゴジンの指揮から外し、一元的な指揮の下に置けるか否かは、今後、特に東部戦線におけるロシア軍の作戦の成否に大きな影響を与えるであろう。
ゲラシモフ参謀総長が「ワグネル」を含めたロシア武装組織を一元的に指揮すれば、すべての兵力の集中と分散を意のままに行え、ウクライナ軍が本格的な反撃準備を整える前に膠着した戦況を打開できる可能性がある。しかし現状、プリゴジンは扱いが難しい「要注意人物」である。カーネギー国際平和財団のスタノバヤ研究員によると、プリゴジンは国防省と参謀本部、大統領府や外務省から警戒の対象となっているのみならず、多くの囚人たちを「ワグネル」に採用したことにより、法務省や検察庁、連邦保安庁(FSB)からも脅威と受け止められているという。
ロシア国有通信社ノーボスチは1月24日、ロシア大統領府のペスコフ報道官が「ウクライナの特殊機関がプリゴジンを暗殺しようとする可能性がある」と語ったと報道した。この発言には、額面どおりの意味に加え、「もう一つの意図」があるように思える。つまり、プリゴジンがゲラシモフ参謀総長による一元的な指揮を拒否し、独自の指揮系統の下で「ワグネル」を運用させ、組織の勢力拡大を図っていった場合、「ウクライナ特殊部隊の犯行」に名を借りたプリゴジンの排除が行われる可能性も否定できない、ということだ。
2月9日、プリゴジンは、「ワグネル」は「受刑者の採用を打ち切った」とSNSに投稿した。これは、大統領府、国防省や参謀本部、FSBがプリゴジンに抱く警戒心を緩和させようとする意思の現われであろうか。
写真:代表撮影/ロイター/アフロ