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2022.08.04 外交・安全保障

両軍の動きから見えてくるペロシ下院議長の訪台、米中双方にとっての「想定外」

末次 富美雄

 ペロシ米下院議長は2日、中国の強い反発のなか台湾を訪問し、翌日には蔡英文(ツァイ・インウェン)総統と会談を行った。ペロシ氏は訪問の理由を「台湾民主主義を支援するという、アメリカのゆるぎない関与を示すもの」としつつも、中国と台湾は1つの国に属するという「一つの中国」というアメリカの政策を変更するものではないことも付け加えている。

中国、ペロシ氏訪台を強く批判

 訪台をめぐって人民解放軍の機関紙「解放軍報」は3日、中国の各種政府組織や中国の国会に相当する全国人民代表大会(全人代)常務委員会、中国人民解放軍を指揮する中国共産党中央委員会、外交部(外務省)、国防部(国防省)、中国の国政助言機関である全国政治協商会議(政協)の声明を公表し、各組織からの強い批判を伝えている。

 加えて国防部は「台湾独立を断固として阻止するため、一連の標的型軍事訓練を実施する」と伝えており、その訓練エリアは台湾を取り囲むように設定された6つの海域だ。これら海域における実弾射撃訓練は8月4日12時から8月7日12時までとされている。

米政府、現状変更はしない予定

 ペロシ氏の台湾訪問に関しては、バイデン米政権内にもさまざまな意見があったと報道されており、米CNNは7月17日、アメリカ国家安全保障当局者がペロシ氏に対し、訪台に踏み切った場合のリスクについて内々に説明を試みたことを報じている。また、バイデン大統領は7月20日、今回の訪台をめぐって「今は良い考えではないと米軍は考えている」と米軍の持つ懸念について発言した。つまり、米政権は訪台した場合のリスクが大きいことをあらかじめ認識していたのだ。

 7月28日に行われた米中首脳電話会談のなかでも台湾問題が大きく取り上げられたとみられており、ホワイトハウス高官の記者会見によると、バイデン大統領は会談で、台湾に対する従来の政策に変更は無いとした上で、現状を変更する「双方の動き」に反対すると述べた模様だ。中国の現状変更を試みる動きを牽制(けんせい)するだけでなく、アメリカとしても現状変更を試みるつもりが無いことを明確に述べたということだ。

バイデン氏、訪台に前向きではなかった

 バイデン政権の一連の発言などを考慮すると、政権としてはペロシ氏の訪台に前向きでは無かったと考えられる。いわば、ペロシ氏に押し切られたと見る方が適当であろう。

 一方で、アメリカ国家安全保障会議(NSC)のカービー戦略広報調整官は訪台直後の記者会見で、ペロシ氏の訪台は議会の独立した権限のもとで行われたものであることや「一つの中国」という政策に変更はないことを強調した上で、訪台をバイデン政権として支持すると述べ、状況を静観する模様だ。

 注目すべきは、通常下院議長の海外訪問には軍用機が使用されることや、訪問中の安全を保障するのは政府の役割であることを強調している点である。軍の行動はあまり明らかにされることはないが、今回の各種報道を通じて得られた米軍の動きを概観した上で、それがペロシ米下院議長の訪台にどのような影響を与えたのかを確認してみよう。

ペロシ氏、中国周辺空域避けて飛行

 ペロシ氏を乗せた米軍機の飛行経路は世界の航空機を追跡する「フライトレーダー24」でリアルタイムに確認できた。マレーシアのクアラルンプールを出発後、インドネシアのカリマンタン島(ボルネオ島)からフィリピン東方を飛行し、東側から台北に着陸している。明らかに、中国が人工島を建設し海空のコントロールを強化している南シナ海を避けている。さらに、当日は戦闘機などが沖縄の米軍嘉手納飛行場から飛び立ったと報道されていることから、同機の護衛を務めたものと推定できる。ペロシ氏を乗せた航空機に中国が何らかの妨害をかけてくることを抑止するためだ。

習近平は予期していなかった

 次に米海軍艦艇の動きである。米海軍協会は8月1日、同日付の米海軍艦艇の展開状況を公表している。それによると、フィリピンの東方では米軍横須賀基地(神奈川県横須賀市)を母港とする米原子力空母ロナルド・レーガンや巡洋艦1隻、駆逐艦1隻の計3隻が、台湾東方では最新鋭戦闘機F35Bを20機搭載した強襲揚陸艦トリポリが行動していた。空母には60機程度の戦闘攻撃機が搭載されていることから、合わせて戦闘機80機、水上艦艇4隻がペロシ氏の搭乗機支援に従事していたのである。

 これに対し台湾の国防部(国防省)によると、台湾南東部の台湾防空識別圏を8月2日、中国のJ-11(8機)やJ-16(10機)、早期警戒機KJ-500(1機)、電子戦機Y-9EW(1機)、電子偵察機Y-8ELINT(1機)の計21機が飛行。翌日には台湾海峡北部にJ-11(6機)とSu-30(16機)、南部にJ-11(5機)の計27機が飛行している。これまでの最大規模は56機で、H-6長距離爆撃機が参加していない。台湾への威嚇としては低レベルだ。

 さらに中国海軍艦艇の動きも、7月30日から31日にかけてルーヤンⅢ級駆逐艦1隻とジャンカイⅡ級フリゲート1隻が南西諸島を通過し、太平洋に進出しただけである。米海軍と比較すると低調と言える。

 米中の台湾周辺での軍展開状況を見る限り、ペロシ氏訪台に対していかなる強硬手段も辞さないとする中国国防部の発言と乖離が大きい。7月28日の米中首脳電話会談で、中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席は台湾問題に関し「火遊びは身を焦がす」と上から目線の発言をしており、バイデン米大統領の「現状を変更する双方の動きに反対する」との言葉を引き出したことも相まって、中国はペロシ氏の訪台は無いと見ていた可能性が高い。

3期目目指す習氏に逆風

 秋の中国共産党大会で3期目を目指すと見られる習氏にとって今回のペロシ米下院議長の訪台は逆風となるだろう。特に留意が必要な点は中国の民意だ。おりしも8月1日は中国人民解放軍創設95年周年記念日であり、軍の党への忠誠心、国民の愛国意識の高揚を図っていた。

 中国外務省はペロシ氏訪台への批判の中で、「中国は5000年の歴史と14億人以上の人口を持つ大きな国であることを忘れてはならない」としており、米中電話首脳会談においても習氏は「中国の民意に背くべきではない」と民意を重視する姿勢を示している。民意を煽(あお)ることによって、逆に民意に引きずられる危険性がある。

大規模訓練命ずる可能性も

 中国軍の軍事演習はペロシ氏が台湾を離れた今月4日に始まったことから、アメリカへの配慮ではないかとの分析があるが、おそらくは軍としての準備が整っていなかったと見る方が自然であろう。今回面子(メンツ)をつぶされた習氏が、4日からの軍事演習である程度大規模な訓練を命ずる可能性もある。中国の空母「遼寧」と「山東」がそれぞれ出港したことも伝えられており、訓練規模の大きさを予感させる。

 一方で、米軍が兵力増強を企図する場合は距離が大きな問題となる。ハワイから台湾周辺までは約4000マイル(約6400キロメートル)なので、速力20ノット(時速37キロメートル)で約8日間、グアムからは約1400マイル(約2200キロメートル)なので約3日間が必要だ。兵力バランスが大きく中国に傾いた場合、中国がより行動を過激化させる可能性があるだろう。台湾国防部は4日午後1時56分(日本時間同2時56分)台湾の東北部と西南部の海域に、中国軍が弾道ミサイル復数を発射したことを明らかにしている。演習規模と内容に注目が必要だ。

末次 富美雄

実業之日本フォーラム 編集委員
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後、情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社にて技術アドバイザーとして勤務。2021年からサンタフェ総研上級研究員。2022年から現職。

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