「今」の状況と、その今に連なる問題の構造を分かりやすい語り口でレクチャーする「JNF Briefing」。今回は、元・海上自衛官で、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令などを歴任、2011年に海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官した実業之日本フォーラム・末次富美雄編集委員に、東シナ海を舞台とした認知線について説明してもらった。
そもそも、認知戦とは何でしょうか。
上図は、防衛省防衛研究所の八塚正晃氏が、中国「国防白書」に示された軍建設構想に、中国が最近力を入れ始めている知能化戦争の発展段階を当てはめたものです。中国は2050年に世界一流の軍隊を建設することを目標としています。現在は、初期から中期に移行したという段階に位置付けられています。
AIなどの先端技術を利用した「知能化」に重点を置き、次第に深化させていくことを想定しています。中国は従来、「三戦」、いわゆる世論戦、心理戦、そして法律戦を重視すると言われていました。知能化戦争とは、その中の世論戦と心理戦、この2つの発展形として、認知領域における戦いを先端技術を駆使して遂行するというものです。
政治及び外交を含む国家戦略に基づき、軍隊が作戦を考え、そして現場で戦術を駆使して相手に勝利するというのが戦争における国家の活動モデルです。それら全ての段階に人が関与します。この人間の心理に働きかけることにより、戦争を含む国家の動きを左右することができるというのが認知戦です。いわゆる認知領域に働きかける戦争であり、アメリカでは、影響作戦(Influence Operation)ということで、軍事作戦の一形態に分類されています。
ウクライナ戦争においても、ロシアがやっている偽旗作戦だとか、あるいはアメリカがやっている情報の積極的開示は全て情報戦に位置づけられますが、認知戦とも分類できると思います。
最近では、アノニマスというハッカーグループがロシアのネットワークにサイバー攻撃を仕掛けております。認知戦は、国家主体だけではなく、犯罪組織にも実施可能という側面があります。
図の下段に示しているように、いわゆる陸海空という従来の領域に、最近では宇宙、サイバーなどが戦闘領域(ドメイン)として認識されています。これらに加えて、改めて、いわゆる認知領域、認知戦(Cognitive Warfare)というものが注目されるようになったと言えます。
この認知戦の最大の特徴は、平時、有事に関わらず行われることにあります。
認知戦というものをそのような形で整理した上で、最近の東シナ海における中国の動きを見ますと、まさにその認知戦が行われているということが言えると思います。
下図は、最近の東シナ海における中国の動きです。
掘削設備関連というのは海底資源、天然ガスと石油の採掘設備のことです。5月20日に、外務省は、東シナ海の日本と中国との地理的中間線の西側で、中国が新たなプラットフォーム、構造物1基を設置する動きを確認し、アジア大洋州局長から中国大使館次席公使に強く抗議しています。
それにもかかわらず、6月29日の段階でプラットフォームを新たに設置したことを確認し、強く抗議したことが伝えられています。
次に7月4日に、尖閣諸島周辺の日本接続水域内に中国艦艇が入域したということで、外務省外務審議官が懸念を示しています。7月7日、第11管区海上保安部は、中国海警局の船、これは常時、尖閣諸島周辺を行動していますが、そのうちの2隻が、7月5日から7日の間、約64時間17分という、長時間にわたって尖閣諸島の領海内を航行したと公表しています。これは今までの最長の時間です。
掘削設備及び尖閣諸島関連、中国と日本の間で、中国の既成事実化しようとする行動に対して日本がこれに抗議するという認知戦が激化しつつあると言えます。
下図に東シナ海における日中の立場を説明しました。
日本の主張は、排他的経済水域がそれぞれオーバーラップする場合には衡平の原則に基づき解決するという国連海洋法条約第59条に基づくべきというもので、いわゆる中間線を主張しています。
これに対して中国は、国連海洋法条約第76条の大陸棚の規定に基づくべきという主張です。中国の大陸棚は沖縄トラフ、図の青いところになりますが、沖縄に近いところまで伸びています。これが中国の大陸棚であると主張しています。
現時点で両国の合意得られておりません。現在の日本の法的立場は、本来は、東シナ海の境界は確定しておらず、境界が確定されるまでの間は中間線までの水域での主権的権利を主張するというものです。しかし中国が中間線を認めていない状況下では、領海基線から200海里(排他的経済水域の範囲)までは日本の権限がある、というのが現実の立場になります。
現在中国は、日中中間線の西側で採掘をやっておりますが、日本としては認められないというスタンスをとっています。
下図は、中国が海底資源の開発を開始した1990年代の状況です。
この青の線が日中中間線ですが、このぎりぎりのところに日本名で言う白樺、それと楠があります。この2つは、ガス構造が日本側に連続しているという調査結果が出ています。いわゆるストローで吸い上げられるように、中国のほうに原油、もしくはガスが吸い上げられるということで、日本としてはここの開発は容認できないと主張しています。
2008年には、日中間で東シナ海開発に関する合意が結ばれました。この日中合意を示しているのが次の図です。
日中は次のような共同開発について合意しました。すなわち、現在、中国が開発しているところよりも北側、翌檜付近の日中中間線にわたる部分を共同開発区域に定めて、そこの開発区域を共同で開発する。また、先述の白樺(中国名:春暁)については、中国の法律に従って日本の企業が参加することを歓迎する。
この合意のあった2008年は、ちょうど中国の胡錦濤政権のときです。日本は安倍政権から福田政権で、いわゆる「戦略的互恵関係」を結ぶということで、日中関係が非常に良好な状況でしたので、こういう形での合意が結ばれました。
しかし以後は、2010年の中国漁船の衝突事件、あるいは2012年の尖閣国有化などを受け、ほとんどこの合意に基づく政府間の協議は行われていないというのが現状です。
2022年6月末のガス田の状況を下図に示します。
日中中間線の西側に全部で18基の掘削施設が既に設置されています。6月に、図の13と14が新たにこちらに設置されたという状況です。炎が描かれているものが、掘削が行われていることを示すものです。
次いで、東シナ海における中国資源開発に関する日本の基本的立場を下図に示しました。これは外務省のホームページに日本の立場として明確に示されているものです。
東シナ海において、日中中間線西側には18基の構造物を確認している。日本の立場としては、日中中間線をもとに境界確定を行うべきという立場にかかわらず、その境界が確定していないということで、日中中間線西側とはいえ、中国が一方的に開発行為を進めていることは遺憾である。2008年合意に基づいて交渉再開に応じるように求める――。これが、基本的な立場です。
これに対して、中国はほとんど反応を示していません。
この背景には、先述のように2008年合意が中国にとって逆に重荷になっているということがあります。あまりこれを目立たせたくないということで、これに対する反応はしないということです。一方で、中間線の西側については、日本の要望に沿った形で淡々と資源開発を継続するというような方向で進んでいます。
先ほどの地図を見ると、日中中間線を越えていると推定される白樺と第1基には採掘に着手していることを示す炎が描かれていません。つまり、採掘はまだ実施されてないと見られ、、日本側の主張に一定の配慮がなされていることは感じられます。
次に、尖閣諸島関連について説明していきます。言わずもがなのところもありますが、尖閣諸島に対する日本の基本的立場を改めて下図に示しました。
かなり古い話になりますが、1895年に、他国の支配が及ぶ痕跡がないということを確認した上で、国際法上正当な手続きで日本の領土に編入したというのが日本の基本的立場です。
現在では、無人島ですが、一時期は200名以上が居住していました。鰹節工場が営まれ、海鳥の羽毛を採集することを生業とする島民が居住していました。写真にあるように、「古賀村」という村ができるほど多くの住民が生活していたと言われています。
地図を見てれば分かるように、沖縄本島や石垣島との位置関係を見ると、台湾や中国大陸に極めて近いということは言えると思います。
尖閣諸島周辺における中国公船の活動状況を次図に示しました。青の線が接続水域、これは島の24マイル――大体50キロぐらいですけれども、に入った延べの隻数を示しています。赤の棒グラフが、そのうち領海に侵入した数となっています。
先月末までの状況を示したものです。この図の変化を見ていくと、大きく分けて、中国の法執行活動という側面と、日本に対する圧力の強化という2つの側面が見えてきます。
まず中国の法執行活動の側面です。7月5日から7日の3時、60時間以上という長い時間、領海内に入ったという事実があり、これに対して、中国外務省の報道官の記者会見において述べた内容を示しています。すなわち、尖閣諸島は中国固有の領土である。日本の右翼漁船が繰り返し違法に侵入し、中国の主権を著しく侵害した。漁船への接近は、法に則った執行である。60時間以上入ったのは、漁船がいたから、それに対する対応として入った――などが主な主張です。
中国は、領有権を主張し、法執行船を常に配備しているので、日本の漁船が尖閣諸島の領海内に入った時には何らかの対応を取らなければ施政権を行使しているとは言えない。したがって、当然のこととして行動する、という理屈です。日本としては受け入れられない行動ですが、中国としては実施しなければならない行動――いわゆる法執行活動という面があると言えます。
もう一つの側面は、日本に対する圧力の側面です。何らかの事象が発生したときに、それに対して圧力を加える意味で、接続水域に侵入したり、あるいは領海に侵入したりするという行動原理です。例えば例年、対日戦勝記念日(9月3日)の前後、主に8月が多いのですが、中国船の侵入の数が非常に増加する傾向があります。上で示したグラフのⅢ、Ⅳあたりです。
また、日本に対して圧力をかけるという外交上の必要性から侵犯を増加させる傾向もあります。例えば尖閣国有化を契機としたもの、グラフのⅠです。また、グラフのⅡとⅤの増加は、2016年、南シナ海の領有権に関して、国際仲裁裁判所において中国の主張が無効であるという裁決が出て、それに対して日本が支持するという言い方をしたことへの対応と見られています。
今後、尖閣周辺における中国の活動を見ていく上で、上記のどちらに基づくものなのかというものをよく見極める必要があるのかなと思います。もっとも、いずれにしても、法執行活動の常態化が進みつつあることは間違いありません。その内容は、今のところ警告または近接というところにとどまっていますけれども、それらより強い、拿捕、あるいはそのまま拉致するというようなことにつながれば、これに対応をせざるを得ず、そうなれば緊張が高まることになります。今後の中国の行動の変化に注目していく必要があります。
下図に要点をまとめました。
中国は、東シナ海における資源開発と尖閣諸島における法執行活動を常態化させることにより既成事実を積み上げるという認知戦を行っている。私たちはこのような認識を持つ必要があります。
これに対応して、日本はどう対応すべきか。従来どおりではありますが、警戒監視を継続して、その状況、資源の採掘状況だとか法執行船の活動というものを把握して、必要があれば適宜公表する。併せて、必要に応じて中国側への抗議を申し入れる。こうした行動が必要と考えます。
一部マスコミなどで「もっとやるべきだ」「遺憾と言っているだけではだめだ」などという意見が出ています。中国に対して海底資源開発や公船の活動を既成事実化させないための施策について、何らかの形でこれを変化させた場合、日中の相互不信というのは極めて深いものがあるので、その意図を深読みすることによりエスカレーションしていく可能性があります。対応を変える場合には、慎重な対応が必要となるのです。認知戦の難しさと言えるでしょう。
最後に、参考として、認知戦の一例として挙げます。7月13日に「解放軍報」に掲載されたアメリカと中国の軍首脳テレビ会議の写真です。
左が中国人民解放軍の李作成中国軍事委員会委員(連合参謀部参謀長)、右がアメリカの統合参謀本部議長、マーク・ミリー大将です。
この写真を見比べてください。中国の李軍事委員は何か言い聞かせるような感じで、それをかしこまってミリー参謀長が聞いているというような印象を受けます。双方の背後を見ると、中国側には中国の五星紅旗とアメリカの星条旗がありますが、アメリカ側には国旗としては星条旗しか確認できません。このような儀礼的な対談における写真としては極めて異例と言ってよく、米中の心理戦、互いに相手に対する不快感なり、何だかの形での圧力を加えるという意味での心理戦が垣間見られる写真だなという印象を受けました。これも認知戦の1つなのかもしれません。
提供:第11管区海上保安本部/AP/アフロ