NATO(北大西洋条約機構)は6月29日、12年ぶりに戦略概念を更新した。2010年に制定されたもともとの戦略概念は、1999年以降の安全保障環境の変化やNATOの東方拡大、域外活動の活発化を受け、NATOの役割を再定義し、新たな課題にどのように対応するかを規定するもので、「欧州大西洋地域の現状は平和であり、NATO領域に対する通常戦力による脅威は低い」が基本的な情勢認識だった。
NATOとロシアの協力は戦略的に重要で、ミサイル防衛やテロ対策、海賊対策を含む共通の関心における対話と実務協力を進めるとしており、本来の任務であるロシア脅威への対処への考え方はまったくうかがえないものだった。
迷走していたNATO
主敵を失った防衛同盟は迷走した。2014年のロシアのクリミア併合の際は、NATOはロシアへの批判と国連決議に基づく経済制裁への参加のみを行い、その存在感を示すことは全くできなかった。さらに、NATOを軽視するトランプ米大統領の発言やNATO加盟国であるトルコがクルド人制圧のためにシリア内戦へ介入したことなどを受け、マクロン仏大統領は2019年11月に「NATOは脳死状態にある」とまで酷評した。
対ロシアという伝統的な武力衝突以外の脅威に対処する同盟としてNATOを再定義したことが、逆にそれぞれの国の脅威認識の差を際立たせてしまい、集団として行動することが難しくなったのである。
その後の2021年6月に開催されたNATO首脳会談のコミュニケ(声明書)においては、NATOを強力で歴史上最も成功した同盟と表現し、結束を再確認している。上述したマクロン大統領の発言を受け、NATOとしての在り方を見直したとみられる。同コミュニケには、ロシアの高圧的な行動を欧州・大西洋地域の安全保障上の脅威として明確に記されており、NATOが本来の目的に回帰することを示唆するものであった。
「ロシアは直接的脅威」と言及
今回新たに公表された戦略概念には、「欧州大西洋地域は平和ではない」との認識のもとで「ロシアは重大かつ直接的脅威である」という対ロシアの姿勢が明確に示された。さらに、2010年の戦略概念では言及されていなかった中国に対しても、その政治、経済および軍事的影響力拡大の意図が不明確であるとし、「ルールに基づく国際秩序への挑戦」と記されている。
また、NATOの中核的任務を「抑止と防衛」・「危機未然防止及び管理」・「協調的安全保障」として従来の任務を踏襲する一方で、危機が発生した場合の即応部隊を現在の4万人から30万人に増加させる方針が示された。NATOが対処すべき脅威の規模は国家レベルであるという認識に基づく数と推定できよう。
アメリカによる核抑止を安全保障の中心とし、英仏の核戦力には敵性国家の意思決定を複雑化する効果を期待し、アメリカの前方展開核兵力と核・非核両用戦術航空機(DCA)による核シェアリング(共有)の重要性を強調する姿勢に変化は無い。また、トルコが難色を示していたスウェーデンとフィンランドのNATO加盟も、三か国共同文書の採択により進められることが明らかとなった。
日本は、NATOに何が期待できる?
日本の安全保障を考える上で注目されるのは、インド太平洋方面に対するNATOの関与に何を期待するかである。
昨年8月に英海軍の最新鋭空母「クイーン・エリザベス」がインド太平洋方面に展開され、日本周辺において日米英蘭の共同訓練が行われている。加藤勝信官房長官(当時)は昨年9月6日の記者会見で、日英の防衛協力が「新たな段階に入ったことを象徴している」と評価した。英国の虎の子である空母の日本周辺への展開は、NATOの同方面における安全保障上の役割の強化に大きな期待を抱かせるものだった。
6月のNATO首脳会談に初めて日本の首相が出席したことに加え、韓国やオーストラリア、ニュージーランドの各首脳が参加したのも、対中国としてのインド太平洋におけるNATOの役割の拡大に期待を持ったためであろう。
NATO各国、対中認識に差異
NATO新戦略概念に中国への言及があったことは、上述した観点からは一定の成果と言えるだろう。しかし、中国への脅威認識にはNATO内で差異が認められる。
新戦略概念では、中国を「我々の利益、安全保障や価値観に挑戦している」としているものの、「直接的な脅威」とされたロシアと比較すると脅威認識は低い。一方、3月に公表された米国防戦略のファクトシートでは中国を「最重要の戦略的競争相手(most consequential strategic competitor)」とし、「深刻な脅威(acute threat)」とするロシアより優先的に対処しなければならないとしている。脅威の優先順位が、アメリカと他のNATO諸国では異なっている証拠だ。
中国に対する欧米内の認識差は米調査会社Pew Research Centerの調査結果からも明らかだ。6月29日に公表されたこの調査結果によると、中国を好ましくないとする人の割合は高い順に、日本(87%)豪州(86%)スウェーデン(83%)アメリカ(82%)で、韓国は今回初めて80%を超えた。これらの地域における中国への警戒感の大きさは同等だった。これに対し、欧州諸国の中国への警戒感はやや低く、50~70%だった。
さらに、中国との二国間関係について、日本やアメリカの80%以上の回答者が「悪い」としているのに対し、欧州諸国はスウェーデンを除いた半数以上の国の回答者が「関係は良い」としている。つまり、欧州諸国は中国を「好きな国ではないが、関係が悪化しているわけではない国」と認識しているということだ。ここに、ロシア程の脅威感は無い。
「対中バランサー」にはならない
新戦略概念を見る限り、NATOは対ロシア共同防衛の性格を明確にしており、インド太平洋方面への軍事的リーチを拡大することは考えられない。むしろ、NATOとロシアの欧州方面における対立が、アジア太平洋方面で中露協力が進むことにつながる可能性がある。また、中露の首脳同士は2月4日の共同宣言において「無限の友情」を誓っており、日本周辺で長距離爆撃機や艦艇の共同巡航を行うなど関係強化が進んでいる。
NATOと安全保障上の関係を強化することは当然だが、具体的になにが期待でき、なにが期待できないのかを見極めることが極めて重要だ。その際、日本周辺とNATOの主要地域である欧州との「距離の壁」を十分に認識しておかなければならない。
日本、韓国、豪州、ニュージーランドの各首脳がNATO首脳会談に参加したことや、情勢認識において中国に言及があったことをもって、NATOに対中バランサーとしての軍事的影響力を期待することはできない。