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2022.12.09 経済金融

「紙芝居」と笑われていたが…今や世界の先端、中国発「デジタル人民元」を徹底解説
― JNF briefing by 鈴木伸 中国「デジタル人民元構想」のいま(1)

鈴木 伸

 「今」の状況と、その今に連なる問題の構造を分かりやすい語り口でレクチャーする「JNF Briefing」。今回は、中国が普及を図る「デジタル人民元」を取り上げる。デジタル人民元は、中国の中央銀行が発行する法定通貨・人民元をデジタル化したものだ。中国は、主要国の中でいち早く中銀デジタル通貨の開発に成功し、実証実験を重ねている。一方、中国ではアリペイやウィーチャットペイといった民間のデジタル決済が浸透している。そうした中で当局がデジタル人民元を推進する狙いは何か。実業之日本フォーラム客員編集委員で、暗号資産の投資運用やブロックチェーンの開発に携わるCAICAグループの鈴木伸社長が全3回に分けて解説する。初回は、デジタル人民元の開発経緯をたどりながら、中国国民のデジタル通貨への「本音」を探る。

 中国は、他の主要経済国に先駆けて中央銀行デジタル通貨「デジタル人民元」の開発を進めてきました。まずは開発の経緯をたどってみましょう(図)。中国は2014年、デジタル人民元発行に向けた取り組みを開始するという宣言を発表しました。当時は、仮想通貨(暗号資産)が大きく盛り上がる前です。ましてや、中央銀行が発行する「法定通貨のデジタル化」については国際的にも議論が活発化しておらず、イメージも熟成されていない時期でした。中国の「デジタル人民元」構想は、当時は単なるニュースと捉える向きが多かったのです。

【図】デジタル人民元開発の歩み

2014年:デジタル人民元発行に向けた取り組みを開始
2019年:DC/EP(デジタル通貨電子決済、Digital Currency/Electronic Payment)と名付け、設計や機能開発を完了
2020年1月:中国人民銀行が基準の策定や機能の研究・開発等の基本設計が完了
2020年3月:デジタル人民元の流通に向けて関連する法律の作成に取り組む
2020年4月:マクドナルドやスターバックス、サブウェイなど19の小売企業をデジタル人民元の試運転対象店舗として紹介
2020年5月:蘇州市、公務員が受け取る手当の一部(交通費)をデジタル人民元で支給。中国4大商業銀行の一つ「中国銀行」の李礼辉元総裁が「デジタル人民元は間もなくローンチされる」と発言
2022年2月:北京開催の冬季オリンピックでデジタル人民元を会場で利用する実証実験を行う
2022年10月:中国人民銀行が、デジタル人民元を利用した取引額が8月末時点で1000億元を突破したと発表

(出所)コインポストウェブサイト(https://coinpost.jp/?p=173630&from=in_article00)などから筆者作成

 2014年の発表以降、しばらく構想の進捗は表に出てきませんでした。しかし2019年、中国政府は、自国のデジタル通貨を「DC/EP(Digital Currency/Electronic Payment:デジタル通貨電子決済)」と名付けるとともに、「設計」と「機能開発」を完了したと発表しました。

 ここでの「設計」とは、ITの世界ではプロトタイプのイメージです。「デジタル人民元はこんなことができて、こういうふうに使う」というイメージを作り上げたのが「設計」です。そして「機能開発」とは、プロトタイプを基にプログラムを作ることですが、実際には張りぼてに近いものだったのではないか。例えば「マウスで画面をクリックすると次はこの画面に変わります」といった簡単な画面デザインは作ったけれど、実際にプログラムは動いていない。紙芝居レベルだと思われていました。

 ですが、そこから間もない2020年1月、中央銀行である中国人民銀行から「基本設計完了」という発表がなされました。実際にどのようにデジタル人民元を使うかについて仕様書に落とし込んだということであり、中国人民銀行がデジタル人民元を発行する仕組みや、発行した後にどのように償却するかといったことも含め、基本的な設計がまとまったはずです。

 このことが発表された時、報道機関の受け止めは、「基本設計といっても仕様書レベルで、まだ本気ではないだろう」といったものでした。けれども、そこから2カ月たった2020年3月、デジタル人民元導入に向けた関連法令の作成に取り組むという方針が発表されました。「法改正の検討を始めるということは、中国政府は本気だ」といった意見が出始めるようになりました。

世界の評価が数年で一変

 さらに1カ月後の2020年4月、中国のマクドナルド、スターバックス、サブウェイなど19の小売企業でデジタル人民元を試せるようになるという発表がありました。複数の店舗で実際にデジタル人民元を使えるというのはセンセーショナルでした。国外の世論は、「基本設計終了からたった3カ月でここまでやるのか、うまくいくのか」という捉え方でした。

 以降、小売企業だけでなく、地方公務員の給与の一部をデジタル人民元で支払うなど、さまざまな実証実験が始まり、大きなトラブルもありませんでした。プロトタイプの動作確認ではなく、本当に使えるようになったことで、世界の評価が大きく変わったのが2020年4月ぐらいの感覚です。このあたりがデジタル人民元に関するニュースが頻繁に出てきた時期です。特に中国の場合、政府が意図的に都合の良いニュースを出している可能性もありますが、実際に進捗を確認できる状態だったので、この間に重点的にデジタル人民元構想を進めたと分かります。

 デジタル人民元のシステム開発スピードは相当速いと言えます。2014年に取り組みを開始して、2020年には実証実験までこぎ着けた。しかも、他国にないデジタル法定通貨のシステムで、大きなトラブルも出ていない。「高い品質で、早くでき上がった」ということだと思います。

 その背景にあるのはイノベーション促進政策です。中国は2015年、「中国製造2025」という産業政策を打ち出しました。中国は大国として次世代情報技術や製造業を進化させ、2025年までに製造強国入りし、建国100周年となる2049年までに世界の製造強国のトップになるという長期ビジョンです。このビジョンの下、デジタル人民元には、決済分野のイノベーションを推進することで競争政策の強化を図る狙いがあります。

 2020年5月には、中国4大商業銀行の一つ、中国銀行の元総裁である李礼辉氏が、「デジタル人民元は間もなくローンチされる」と発言しました。彼は商業銀行の元総裁に過ぎませんが、中国で重要なポジションを担っていた方には違いなく、当然、中国共産党や中国人民銀行と通じた上でオフィシャルに発言していることになります。その後、李氏は、広報的な立場で、いろいろなところでデジタル人民元について講演したり、記事のインタビューを受けたりしています。これは、中国が国を挙げてデジタル人民元を世界に向かって広報していこうという動きだったと思います。

「ゴール」でまさかのつまずき

 その「ゴール」として想定されていたのが、2022年の北京冬季オリンピックです。中国人民銀行(中央銀行)の易綱総裁は2021年7月、北京オリンピックにデジタル人民元を使用する計画を明らかにしました。世界中の選手、観光客、関係者が集まる中で、デジタル人民元をその場で使えるようにすることが壮大な構想の仕上げだったはずです。このとき世論は、「北京オリンピックは、中国の先進性や権威、それから暗に、今後ドルに負けない国になっていくといったメッセージ性を含む大きな政治的イベントなのだ」という捉え方に変わりました。

 しかし、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、北京オリンピックでは選手や大会関係者が外部と接触できないようにする「バブル方式」を採用するなど、厳格な行動制限が課せられ、デジタル人民元の決済の機会は当初の想定より大きく減ったはずです。

 北京オリンピック後、デジタル人民元に関するニュースは減少傾向にありますが、市民への無料配布や補助金などを通じて実証実験の対象都市や地域での利用は拡大しつつあり、卸売り・小売り、飲食、交通や行政サービスなどの決済に使用されています。中国人民銀行の発表によると、2022年8月31日時点で、15の省(市)の試験地域で累計取引件数は3億6000万件、取引額は1004億元(約2兆円)に達し、デジタル人民元に対応可能の店舗数は560万店を突破したもようです。

現状では国民のメリットは薄い?

 ただし、デジタル人民元が中国国民にとって魅力的な決済手段になるかはまだ分かりません。そのように考える理由は二つあります。一つは利用するインセンティブに欠けることです。国民としては、「実証実験で無料配布されたからデジタル人民元を利用したけれど、無料分を使い切った後は、紙幣でも、アリペイやウィーチャットペイといったQRコード決済でも構わない」というのが本音でしょう。むしろポイント還元されるQRコード決済の方がお得感があります。

 一方で中国政府は、独占禁止法の改正などで中国のQRコード決済事業者への関与と規制を強めるとともに、彼らのノウハウを取り込むことでデジタル人民元の普及に弾みをつけようとしているとの見方もあります。国際カードブランド「UnionPay」を運営する銀聯国際日本支社の2021年アンケート調査によると、中国におけるキャッシュレス決済手段の保有率1位(86%)は、QRコード決済を含む「スマートフォン決済」です(2位がデビットカード、3位がクレジットカード)。このように広く普及している決済プラットフォームと、そこに蓄積される大量の利用者データは、デジタル人民元を普及させたい中国政府にとって非常に魅力的です。

 例えば、デジタル人民元とQR決済アプリを連携させることで、QRコード決済とデジタル人民元を使えるスマホアプリを使っている人が、デジタル人民元を自分の銀行口座から、自分の「ウォレット(デジタル通貨を管理する電子的な財布)」に入れたときに、おまけでアリペイの残高が少し増える、そういうインセンティブを作ることでデジタル人民元の利用率を上げていくこともできるでしょう。

 もう一つは、プライバシーへの懸念です。中国国民からは「デジタル人民元を使うと利用者の個人情報が当局に把握されてしまうのではないか」という声が上がっています。確かに、デジタル決済の特性として、支払いから受け取りへの資金移動に係るデータや、取引額・取引日時といった情報を把握することは容易です。これに対し中国当局は、「マネーロンダリング対策や脱税防止といった観点からデジタル人民元の利用に係る情報を把握する」としつつ、「個人については最大限のプライバシー保護を提供する」と主張しています。本当にその主張どおりであれば、少なくともプライバシー上の懸念で利用を控えることはなくなっていくでしょう。

写真:アフロ

鈴木 伸

実業之日本フォーラム 客員編集委員
早稲田大学卒。株式会社CAICA DIGITAL代表。同社入社後はITエンジニアとして金融システム開発に携わる。暗号資産交換所Zaifを運営する子会社代表、ブロックチェーン推進協会(BCCC)理事、一般社団法人日本暗号資産取引業協会(JVCEA)理事でもあり、デジタル金融を推進。

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