ゲスト
野口悠紀雄(一橋大学名誉教授)1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授などを経て、一橋大学名誉教授。専門は日本経済論。『中国が世界を攪乱する』(東洋経済新報社 )、『書くことについて』(角川新書)、『リープフロッグ』逆転勝ちの経済学(文春新書)など著書多数。
聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)
白井:2021年3月17日に英シンクタンクのZ/Yenグループなどが発表した国際金融センター指数では、東京は7位という結果でした。「国際的な投資家の間で、日本市場の開放性や英語力を持つ人材がいるのかという疑問がある」と指摘されており、今回のスコアは振るいませんでしたが、1年前の2020年3月調査では、東京はニューヨーク、ロンドンに次ぐ3位という結果でした。香港が「国家安全法」制定に揺れている現状もあり、日本では「グローバル金融センターとしての従来の香港の機能を日本が代替したい」という議論も浮上しています。金融の可能性についてはいかがお考えでしょうか。
野口:高度サービス業への転換が必要な日本にとって、金融は非常に重要であることに間違いはありません。
イギリスには目立った製造業がありません。経常収支も赤字です。そのイギリスがやっているのが金融業です。お金を借りて、貸すという仲介で成り立つ経済もあり得るのです。世界中の人はロンドンが金融の中心であると考え、ロンドンの金融力を信頼している。
アメリカも経常収支は恒常的に赤字ですが、それを続けていられるのは、他の国がアメリカに投資をしているからです。アメリカの経済が、将来、さらに発展していくだろうという 期待から、他の国はアメリカに投資を続けている。それでアメリカ経済はうまく回っています。世界中が、アメリカは成長の力を持っていると考えていることが重要です。
ただし、金融業で日本が世界のトップに立つのは難しいでしょう。実現可能性と本来あるべきことの間に大きなギャップがあります。金融業で新しいビジネスモデルを確立するということができれば、重要な産業になり得るでしょうが、この見通しはなかなか難しい。アメリカのように海外からのお金を引き付けられるような産業が日本にあるのか、日本に対する投資が増えていくかも大きな課題です。
マネーをデータとして使えるということが重要なのです。必ずしも国民の管理というわけではなくても、信用スコアリングの利用法がある。これに日本の金融は気づいていないように見えます。
日本の金融のビジネスモデルは手数料を軸にしたものです。日本の電子マネーの手数料は非常に高い。手数料が高いから電子マネーが日本で使われないのです。一所懸命、加盟店 を開拓してもなかなか使ってくれず、普及率が低い。普及率が低いからデータが集まらない。データが集まらないからビッグデータとしては使えない。だから手数料に依存せざるを得ないという悪循環に陥っています。
このビジネスモデルを大転換する必要があります。高度成長期の日本の金融の収益源は、 預貸金の利鞘でした。低い金利で預金を集めて、高い金利で貸す。これが1980年代ごろか ら機能しなくなり、代わりに送金やいまの電子マネーなどの手数料などでビジネスモデルを立てようとしましたが、これは間違いだと思います。
第四次産業革命が金融に与える影響は甚大で、金融の性質を変え、金融のビジネスモデルを大転換させます。それに適応できなければ、生き残ることはできません。今後の金融のビジネスモデルは、収益源がビッグデータであるということを理解した上で、どういう新しいビジネスを展開できるかを考えるべきです。それを行ったアントは未曾有の収益の仕掛けをつかむことができた。そして、それを見た共産党は黙っていられなくなったのです。
一方、デジタル円は不可能です。やろうと思ってもできないでしょう。中央銀行デジタル通貨は2層構造になっており、中央銀行と中間機関があります。問題は中間層に何が入るかです。 中国の場合では、人民銀行が発行し、4大商業銀行が消費者との間をつなぎます。中間層に入らない銀行の預金は流出し、成立しない可能性が出てきます。
日本には金融機関がたくさんあります。メガバンクをこの中間層とすれば、その他の銀行は全部なくなってしまいます。特に問題なのは地銀です。デジタル円が発行されると、地銀はなくなってしまう可能性があるのです。数が多すぎるため、あまりに大きな社会的な変化であり、実現できないと思います。
また、地銀のビジネスモデルも成り立たなくなります。地銀は資金コストも高いですが、中央銀行のデジタル通貨の手数料はおそらくゼロです。あらゆる人が使うわけですから、ゼロでなければ困ります。地銀はそのコストを埋められないでしょう。日本の地銀はコストの上でデジタル通貨の仕組みには太刀打ちできないのです。中国には日本の地銀のようなものはないという意味では、日本の地銀は一種のレガシーなのかもしれません。
白井:当局は、日本の中でディエムのようなステーブルコインを作るという動きを認めるで しょうか。
野口:認めるかどうかよりも、そもそも無理ではないでしょうか。法的にではなく、実力の 問題です。ディエムは手数料がゼロなのです。だから、ビジネスを成り立たせるためには、データを使うしかありません。大規模で展開し、そこでビッグデータを集めて、そのデータを何かに使うというのが、ビジネスモデルなのです。第四次産業革命下のマネーは、データをビジネスモデルの基本にしないと成り立たない。日本でそのような電子マネーを作れるでしょうか。QR コード決済の電子マネーが乱立していて、どうしようもない状態に見えます。
電子マネーはばらばらです。ここまで電子マネーが乱立している国はありません。数百のものが乱立していて、隣の店でも同じものは使えないという世界では、そこをデータとして利用するというのは無理でしょう。これも金融機関がビジネスモデルの転換を誤っているからです。手数料中心のビジネスモデルしか考えておらず、データとして用いるという発想がないということです。
今の電子マネーのように手数料が3%では、店はやっていけません。
白井:本来、そういう状況であれば、誰かが出てきてその市場を制圧するのが一般的でしょ うが、どうしてそのようなイノベーターが現れず、この状態で放置されているのでしょうか。
野口:どうしてこの状態で放置されているのかは不思議ですね。日本における電子マネーの 政策は、キャッシュレス比率を高めるということであり、そのためにポイント還元などが実 施されました。そういうことが重要ではありません。政策は完全に間違っています。レガシーも大変深刻な問題です。日本のレガシーは、主としてメインフレームコンピュータが残っているということです。1970年代に達成した銀行オンラインの仕組みが、日本でレガシーとして残っています。ATMで幾らでもお金が出てくるので、電子マネーを使うインセンティブがありません。進歩を阻むレガシーです。日本では現金が便利すぎるのです。
日本はメインフレームコンピュータで世界最先端の銀行システムを作り上げましたが、 問題はそのシステムがその後も残っていることです。メインフレームから脱却しなければなりません。しかし、脱却したからといって解決できるわけではない。古いシステムから脱却したはずのみずほ銀行は、また事故を起こしてしまいました。
白井:日本の金融が、世界の潮流からここまで取り残されているという先生のお話は、ショッキングですらあります。高度なサービス産業化した金融業が、第四次産業革命によってさらにデータ産業へと転換していく一方で、製造業においても過去のレガシーからの脱却と戦略の再構築こそ、日本がいま最も真剣になすべきことであると、改めて痛感いたしました。
きょうは多岐にわたる話題を、長時間にわたってお聞かせいただきまして、本当にありがとうございました。博覧強記の先生から、さまざまな重要な示唆を与えていただいたと感じております。これからも、「実業之日本フォーラム」にご指導ご鞭撻をいただければ幸いです。
(敬称略)
【編集後記】 文:白井一成
5年前に初めて野口先生にお目にかかりました。ブロックチェーンや暗号資産の未来についてお話を伺ったことを覚えています。その後、何度かお会いする機会をいただいておりますが、いつも先生の鋭い洞察力には驚嘆させられます。世の中を緻密に構造化し、その枠組みのなかで将来の方向性を導かれます。幅広い議論にもかかわらず、すべてにおいて論理的な整合性が保たれるため、圧倒的な説得力を持っています。
今回、初めて対談という形でお話させていただきました。議論の前提となる言葉の定義付けに、野口先生の強いこだわりを感じました。確かに、同じ言葉でも、双方の認識が違うと、議論が拡散してしまいます。言葉の定義という土台をしっかり固めてから、議論を進めるプロセスは、非常に効率的であり、大変勉強になりました。また、zoomでの対談であったため、直接お会いするよりも議論に集中でき、いつもよりも増して野口先生のロジックの鋭さが際立ち、非常に濃密な時間となりました。そのなかでも、特に日本の製造業の凋落と、金融業の未来という2つのポイントがとても心に残りました。
まず、戦後日本の高度経済成長を支えた製造業中心の産業構造を、時代に合わせて転換することができず、世界の潮流に完全に乗り遅れているという事実です。野口先生は10年以上前から警鐘を鳴らしていましたが、現実的には、ほとんどの日本企業がモデル転換をできずにいます。
中国の改革開放によって、中国はグローバル市場に組み込まれました。中国が工業化し、国際的な分業体制が変わったことにより、中国が代替できる旧来のモデルは没落し、中国が代替不可能なモデルに転換できれば生き残れるというルールに、国際的な競争環境が変貌していたのです。また、インターネットなどの情報技術が、世の中を創り変えるという認識を十分に持てていませんでした。旧来からの製造業は、製造業中心のままでも垂直統合モデルから水平分業モデルへ転換するか、高度サービス産業中心の産業構造に転換すべきだったのです。台湾ではTSMCのような水平分業の製造業モデルが構築され、アメリカではGAFAMに代表されるようなインターネットプラットフォーマーという高度サービス産業が台頭しました。両者は、グローバル経済を支えるうえで必要不可欠な存在となっており、また、地経学的にも非常に重要な意味を持っております。
今後の日本を考えると、早急にモデル転換が必要であり、その環境を整えることが大事であると痛感いたしました。私なりに、野口先生のインプットを整理したのが、図1になります。世界的には、製造業、サービス業共にフェーズ3に移行しつつあるなかで、日本の産業構造はまだフェーズ1で留まっているのが見て取れます。
次に、金融業のビジネスモデルが、利ざやを稼ぐ構造から、データ解析によるマネタイズモデルへ移行しつつあるなか、すでに中国はそれを体現しており、一方で巨大な負のレガシーを持つ日本が、それに全く対応できていないという現実を、明らかにされたことでした。
なお、中国は既存の技術による電子マネーをベースとしたモデルから、トークン形式のデジタル人民元を使ったモデルへの転換を進めつつ、BSN(ブロックチェーンサービスネットワーク)というサービスも構築しており、デジタル人民元と経済活動のシームレスな連動も模索しています。気がつくと、日本は金融分野でも2周遅れになっていたということです。
野口先生の著書『データ資本主義 21世紀のゴールドラッシュの勝者は誰か』でも論じられていたように、今後の経済はデータ収集と解析が駆動するという今までとは全く違うモデルとなります。私の理解では、これは図1で示したフェーズ3の世界の到来となりますが、金融分野においても同様の構造が当てはまると考えております。
西側諸国の企業は、データを営利目的で利用することで、運営コストを消費者に転嫁しないと、野口先生は指摘されています。これは莫大な運営コストを払ってもなお企業が十分な利益が得られることを示唆しています。消費者目線で考えると、いつ、誰に、どういう名目で、いくら払ったのか、という情報を、特定の企業に提供することと引き換えに、資金の送金や管理などの利便性を得るということになるわけです。
しかも、これらのサービスは、日本企業でなく、海外企業が提供するだろうというのが、野口先生の見立てです。また、野口先生は、アマゾンがなぜステーブルコインのサービスを進めないのか不思議であるとのことでしたが、私も拙著『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元」でもアマゾンコインに言及している通り、アマゾンの業態とステーブルコインとの相性はとても良いと考えております。アマゾンが仮にステーブルコインを発行し、サイト内でのショッピングの利便性を高め、金融機能も実装すれば、消費者のみならず出店者もそのコインでの決済、貯蓄、投資、及び借入などを行うでしょうし、アマゾンのサイト外での利用も促進されるだろうと思います。日本人の多くがアマゾンコインで資産を保有する時代がくれば、日銀の通貨主権は揺らぐ可能性もあるでしょう。
これは夢物語では片付けられないと思います。日本は、インターネット革命という大きなパラダイムシフトに、十分に対応できず、産業転換を起こすことができませんでした。結果として、我々は、GAFAM(Google , Amazon, Facebook, Apple, Microsoft)というアメリカ企業の高度サービスに囲まれた生活をしていますが、十数年前までは、そういった生活を想定していなかったはずです。金融面でも、海外の企業に日本の全ての金融産業を支配されることも想定しておかなければなりません。金融データを収集し、インターネットでの高度サービスのデータと統合することができれば、その事業体は圧倒的な競争力を得るでしょう。現在でも、GAFAMの時価総額は、すべての東証上場企業の時価総額の合計を上回っておりますが、仮にアメリカ企業が金融データを支配することになれば、富の日米格差は今まで以上に大きく開くということになります。
中国は主に国民管理のために金融データを利用するだろうと、野口先生は説明されています。その証左として、アリペイを運営するアントグループの上場中止を挙げられており、国民管理によるイノベーションの阻害よりも、秩序維持を優先するとのことです。2013年のエドワード・スノーデンの事件によって、アメリカのNSA(国家安全保障局)が、プリズムという仕組みを構築し、市民の監視にSNSや通話記録などの収集や解析を行っていたことが明らかにされました。その後、情報収集を制限する法律が制定され、現在どのような活動を行っているかは不明ですが、当時と比べ現在はデータ量や技術面が飛躍的に向上しており、ここに金融データが追加されると、さらに精緻な分析や予測が可能となります。集積されたデータは、経済活動を駆動するだけでなく、プライバシー保護や安全保障にも大きな影響がありますので、慎重な議論が求められると思います。