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2021.06.03 対談

通貨覇権の行方:デジタル法定通貨の可能性
野口悠紀雄氏との対談:地経学時代の日本の針路(5-2)

白井 一成 野口 悠紀雄

ゲスト
野口悠紀雄(一橋大学名誉教授)

1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授などを経て、一橋大学名誉教授。専門は日本経済論。『中国が世界を攪乱する』(東洋経済新報社 )、『書くことについて』(角川新書)、『リープフロッグ』逆転勝ちの経済学(文春新書)など著書多数。

 

聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)

 

白井:ドルの寿命が尽きつつある可能性がたびたび指摘されています。2019年8月23日、 マーク・カーニー英中銀総裁が「ドルが世界の基軸通貨としての地位を失い、その代わりに バスケットベースのデジタル法定通貨が使われることになる」と米国で演説したニュース は、FRBや米メディア・金融界に衝撃を与えました。

しかし現状では、アメリカドルは紛れもない基軸通貨です。国際送金を担う SWIFT(国 際銀行間通信協会)によると、決済総額のうちドルの構成比は第1位の42.2%(金額ベー スで2019年末時点、第2位はユーロで31.7%)。BIS(国際決済銀行)の「2019 Triennial Central Bank Survey」によると、為替売買代金に占めるドルの構成比は第1位の88.3%(売 買合計200%換算でのシェアで2019年4月時点、第2位はユーロで32.3%)。そしてIMF によると、外貨準備高に占めるドルの構成比は60.9%(2019年末時点、第2位はユーロで 20.5%)です。

野口:世界が決済の手段として認めている通貨が基軸通貨であり、それは経済力で決まるも のです。現在の基軸通貨はドルです。安全保障の問題が関係していることは事実ですが、経済的な要因のほうがはるかに大きいでしょう。ドルという通貨に対する信頼です。アメリカの経済が強くて安定しているためにドルが基軸通貨になっていることに対して、中国はその状況を崩すことができません。

白井:確かに、IMFは2015年11月の理事会で新たな特別引出権(SDR)の評価バスケッ トを承認し、2016年10月から人民元の組み入れが実施されましたが、2019年9月時点での人民元の比率(金額ベース)は第5位の1.95%、人民元の売買代金(200%換算でのシェア)は4.32%の第8位、2019年9月時点での世界の外貨準備高における人民元のシェアは1.88%に過ぎません。統計によって人民元の活用度合いは異なりますが、人民元は 2%程度の存在感、主要通貨の中で5番目程度の位置にとどまっています。

野口:覇権を握る要素はあくまでも経済力です。技術革新がこれに影響することはあり得るでしょうが、中央銀行デジタル通貨がこれに影響するという意見に対して、私は懐疑的です。 中央銀行のデジタル通貨がトークンとして発行されれば、消費者の利便性が高まることは間違いありません。中国のデジタル人民元はトークンという形をとることとなり、1年以内には発行されるでしょう。

一方、アメリカはデジタル通貨については消極的で、中央銀行のデジタル通貨を発行するという計画は今のところありません。少なくともトランプ政権のときはそうでしたし、民主党政権になって少し変わるのかと思っていましたが、今のところそういう情報の発信もないようです。

デジタル人民元が発行されるのにドルが何もしなければ、ドルの利便性は相対的に低下 します。しかし、デジタル化によって利便性が高まることが、ドルの価値にそれほど影響す るとは思いません。他の要因の影響のほうが大きく、基軸通貨であり続けるかどうかはアメリカ経済の強さ次第です。

白井:貨幣の供給が大きく増えたことによる通貨価値への影響についてはどうお考えでしょうか。

野口:コロナ対策でマネーの供給、マネーストックが増えています。これは、金融機関がコロナ対策で緊急融資をしているのが大きな原因です。ドル価値への影響については、他の条件が不変でアメリカのマネーストックだけが増えているのであれば、ドル安要因になるでしょう。ただし、他の国のマネーストックも増加しています。アメリカでも日本でも同様です。だから、必ずしもこのことはドルの減価要因とは言えないでしょう。ドルと他通貨の為替レートの変化には、さまざまな要因が影響します。過去1年間については、顕著なアメリカの金利低下がドル安につながったのは間違いないでしょう。

日本では、マネーストックは増えていますが、消費者物価の上昇率は高くありません。物価は必ずしもマネーストックで決まるのではありません。貨幣数量説を信じている人は、貨幣の供給が増えると物価が上がると言いますが、これはマネーの流通速度が変わらなかった場合の話です。コロナ禍では、マネーの流通速度が顕著に低下しました。企業は支払いに備えてマネーを保有しています。だから、マネーの供給速度が下落し、マネーストックが増えても物価が上昇しないのです。

白井:かつてフリードリヒ・ハイエクは「良貨が悪貨を駆逐する」と言いました。法定通貨あるいは法定デジタル通貨という中央集権通貨というカテゴリーと、ビットコインのような非中央集権通貨のカテゴリーの立ち位置については、ハイエク的な、貨幣が乱立して強いものが生き残るような世界がやってくる可能性はあるのでしょうか。

野口:それはビットコイン的な世界です。DAO(Decentralized Autonomous Organization: 分散自立型組織)というものが考えられています。これが現実化すれば、人間が関与せずに事業が運営されていきます。ビットコインもそういうものかもしれません。

私は、ビットコインに期待し、非中央集権的な分散的なマネーが使われるようになる世界を夢見たのですが、ビットコインでは価格変動が大きすぎて、実際の支払いには使えませんでした。非常に残念です。しかし、ディエムのようなステーブルコインが、それに取って代わる可能性が出てきています。ディエムはドルにほぼ1対1にリンクすると言っています。国が発行する通貨に代わってそういうものが支払手段になるような世界が来ることを期待しています。

それが実現すれば、国際的な分業も非常に簡単になります。在宅勤務は国内に限ったものではなく、日本の会社はインド人をインドにいたままで使うことができますが、その場合に残る問題が給料の支払いです。いまの仕組みでは、それが非常に面倒です。しかし、ディエムのような仕組みが出てくれば、そのコストはほとんどゼロになります。日本人を使うのと同じです。これは、インド人のIT技術者だけではありません。製造業が国際的に水平分業化する上でも、お金のやりとりが必要になりますが、ゼロコストで可能になれば促進されるでしょう。

リブラはディエムに名前が変わりましたが、決して死んだわけではなく、発行される可能性があります。今年中に発行されるとも言われています。ビットコインは価格が変動するために支払手段として使いにくいのですが、ステーブルコインのディエムはそうではありません。従来の法定通貨にかわる可能性がある重要性を持っています。

ディエムもデータを得るわけです。そのデータをどう使うかはわかりませんが、ディエムの発行財団であるディエム協会、あるいはその後ろにいるフェイスブックは国ではありません。中国の共産党とは違うのです。それを国家管理、国民管理の道具には使わないでしょう。国とは違うということが、私がディエムに期待する理由です。

ハイエク的な世界がやってくることに対して、国は極めて強い抵抗を示しています。それはフェイスブックのリブラが発表されたときの各国の当局の反応を見れば明らかであり、 今後も最大限の抵抗をするでしょう。ドルや円などの法定通貨とディエムの戦いです。どち らが勝つか。私はディエムが勝つことを願っていますが、国家は通貨発行という権力を決して手放そうとはしないでしょう。

白井:ディエムの詳細はまだ発表されていませんが、先生のご指摘の通り、その発行と管理は非営利組織が行うとされています。これは、ビットコインに代表されるような完全な非中央集権(パブリック型ブロックチェーン)を達成しているわけではありませんが、利害関係を有しない複数のメンバーがチェーンを管理するため、一定程度の改竄耐性や透明性を有していると考えても良いと思います(コンソーシアム型ブロックチェーン)。一方、特定の管理者がチェーンを完全に管理下におく場合をプライベート型ブロックチェーンと呼び、理論的には改ざんも可能になります。ビットコインのような価格変動を排除した法定デジタル通貨やステーブルコインの未来を展望する場合、コンソーシアム型か国家によるプライベート型かというチェーンの客観性の軸と、金融データを国家管理で扱うのか、民間企業やそのコンソーシアムのようなものが扱うのかというデータ管理やその利用という軸。この2つの軸の掛け算が必要ということですね。コンソーシアム型のブロックチェーンで最低限必要な改竄耐性や透明性を担保しつつ、民間がデータを扱うというのが一番望ましい世界というイメージでしょうか。

野口:その区別が非常に重要です。ディエムがそういうものになってくれることを期待して います。ディエムの他に国際的なデジタル通貨が現れる可能性も十分あるでしょう。グーグルやアップル、あるいはアマゾンがどうして黙っているのかは不思議です。

白井:国が発行する法定通貨からステーブルコインに利用の中心が移行していく可能性も ありそうですが、アメリカはそれでも構わないと思うのでしょうか。

野口:FRBやアメリカ政府は、決してそう思わないでしょう。ディエムが使われるように なれば、FRBは必要なくなります。だからリブラに対して猛烈に反対したわけです。既存 の仕組みを破壊するのですから、既得権を持っている人は猛烈に反対するわけです。リブラ はそれで潰されました。日本でも同じことが言えるでしょう。日本銀行が要らなくなってし まうわけですから。

(写真:ZUMA Press/アフロ)

(敬称略)

白井 一成

シークエッジグループ CEO、実業之日本社 社主、実業之日本フォーラム 論説主幹
シークエッジグループCEOとして、日本と中国を中心に自己資金投資を手がける。コンテンツビジネス、ブロックチェーン、メタバースの分野でも積極的な投資を続けている。2021年には言論研究プラットフォーム「実業之日本フォーラム」を創設。現代アートにも造詣が深く、アートウィーク東京を主催する一般社団法人「コンテンポラリーアートプラットフォーム(JCAP)」の共同代表理事に就任した。著書に『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤誉氏との共著)など。社会福祉法人善光会創設者。一般社団法人中国問題グローバル研究所理事。

野口 悠紀雄

一橋大学 名誉教授
1940年、東京に生まれ。 1963年、東京大学工学部卒業。1964年、大蔵省入省。1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授などを経て、2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問、一橋大学名誉教授。著書に『情報の経済理論』(東洋経済新報社)『土地の経済学』、『バブルの経済学』(日本経済新聞社)、『ブロックチェーン革命』(日本経済新聞出版社)など多数。近著に、『平成はなぜ失敗したのか』(幻冬舎)、『「超」AI整理法』(KADOKAWA)、『経済データ分析講座』(ダイヤモンド社)、『「超」現役論』(NHK出版)、『だから古典は面白い』(幻冬舎新書)、『中国が世界を攪乱する』(東洋経済新報社)などがある。

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