防衛省は4月、海上自衛隊と陸上自衛隊の特定秘密漏えい事件についての調査結果と懲戒処分を公表した。海自の事件は、特定秘密保護法上の「特定秘密」を扱う資格のない隊員(必要な適性評価を受けていない隊員)を、取扱者に指定。護衛艦「いなづま」にある戦闘指揮所で、特定秘密に当たる船舶の航跡情報を取り扱わせていたというものだった。陸自でも、訓練中の指示・伝達の際、特定秘密の情報を知るべき立場にない隊員に当該情報を伝達する事案が発生した。
その後7月に入り、追跡調査の結果、同様の不適切行為が海上自衛隊の複数の艦艇でも行われていたほか、航空自衛隊でも漏えいが起きていたことが判明。防衛省全体で、特定秘密保護法の適切な運用がなされていなかったことが確認された。これに加え、潜水作業に参加する際に支払われる「潜水手当」の不正受給や不正喫食、パワーハラスメントをしたとして218人が処分された。海自では、海上幕僚長が事実上の引責辞任。潜水手当不正受給事案に関し、隊員が逮捕されていたにもかかわらず、防衛大臣への説明が不十分であった点もシビリアンコントロール上の問題と指摘されている。
これら一連の不祥事の中で最も影響が大きいと思われるのが特定秘密漏えいに関する問題である。
特定秘密に関するコンプラ、適性検査の課題
特定秘密保護法は2014年12月に施行され、今年で10年目を迎える。同法は、安全保障に関する情報を(1)防衛、(2)外交、(3)特定有害活動(スパイ行為など)の防止、(4)テロリズムの防止――の4類型に分類。公になっていないもののうち、特段の秘匿の必要性があるものを大臣などが指定し、保護することを目的としている。同法に基づき、年に1回開かれる「情報保全諮問会議」で、内閣府は施行状況を報告している。
今年6月に行われた同会議で、4月に明らかになった特定秘密漏洩事件に関し、現在整備が進められている経済安全保障のセキュリティー・クリアランス制度に関する法律の運用に大きな影響を及ぼすことが指摘された。指摘事項を踏まえ、考えなければならないことは、以下の三点である。
第一に法令等順守(コンプライアンス)に関する関係者の意識改革がある。今回、防衛省において特定秘密取り扱いに関する不適切事項が相次いだ背景には、防衛省職員の特定秘密に接することへの「なれ」があったことは否定できない。
内閣府によれば、2023度末現在で、特定秘密の総件数は751件で、そのうち約6割の429件が防衛省の所掌だった。さらに、特定秘密を扱うことができる人の総数は、2023年度末で13万5479人、うち防衛省は12万1302人となっている。扱う特定秘密の数と扱う関係者の多さから、防衛省全体に特定秘密を扱うことに緊張感が欠けていた可能性がある。
さらに、従来から扱っていた情報であるが故に、その取り扱いが根本的に変わったことに無頓着だった可能性もある。経済安全保障上のセキュリティー・クリアランス制度においては、その対象者は特定秘密以上に民間事業者に対象者が拡大する。単に法律などの内容を説明するのではなく、特定秘密を含む重要情報を取り扱うことへの緊張感を高める教育の必要性が浮かび上がった。
二点目は、適性調査と人事の適正な組み合わせがある。海自の事例の一つは、適性調査を実施していない隊員を護衛艦の戦闘指揮所に配置。特定秘密の取扱者に指定したことに加え、特定秘密を目にすることができる配置につけたものだ。護衛艦乗員は必ず固有の配置を持つ。適性調査を終了していない隊員は、特定秘密を取り扱う配置につかせることはできない。少子高齢化が進む日本では、自衛隊員の確保に苦慮しており、報道によれば2023年度の自衛官採用計画の達成率は過去最低の51%となり、今年度も同様の傾向が続くとみられている。
筆者が現役当時から、護衛艦の定員割れはほぼ常態化しつつあった。限られた人員にもかかわらず、適性調査未実施で配置に付けることができないこととなれば、艦艇の安全運航に必要な配置すら欠員する事態が生じかねない。当フォーラム記事(本格始動するセキュリティー・クリアランス制度、越えるべき3つのハードル参照)で指摘したように、適性調査には一定程度の期間を要するとすれば、人員不足はさらに加速する。
三点目は適性調査の対象となる隊員の範囲をどのように考えるかである。6月に開かれた「情報保全諮問会議」で問題提起されたように、特定秘密は取り扱う人間を限定し、漏えいする可能性自体を低くしなければならない。「Need to Know(必要な者のみが知り得る)」が情報の原則である。
一方で、自衛隊の相対的な強さを維持するには、適正な人事異動による緊張感の維持が不可欠である。このため、現在特定秘密を扱う配置についていなくても、将来、特定秘密を扱う配置につく可能性がある人間には、あらかじめ適性調査を義務付けることも考えなければならない。さらに有事における人の損耗を考えれば、緊急事態に備え、できるだけ多くの隊員の適性調査を実施することも考慮すべきである。
この考え方に立つと、適性調査の範囲はさらに拡大し、調査に要する時間も長期化する。有事における戦闘を意識せざるを得ない自衛隊において、対象となる隊員の範囲と所要の調査期間のバランスは常に念頭に置かなければならない課題である。
セキュリティー強化と業務効率化のバランス
セキュリティーと業務の効率化は反比例する面が多い。セキュリティーを厳しく担保しようとすればするほど、業務の効率化から遠ざかるということは永遠の課題だ。言うまでもなく、セキュリティーを確保するために、船を動かすことができない、飛行機を飛ばすことができないというのでは本末転倒だ。
大事なことはバランスを取ることである。今回の防衛省の特定秘密取り扱い上の不具合は、そのバランスを考える上で、貴重な教訓を与えたと言える。そして、この教訓は経済安全保障上のセキュリティー・クリアランスにかかわる運用要領を検討する上で参考としていかなければならない。今回の事件を防衛省だけの不祥事とするのではなく、日本の安全保障上の強靭性を高めるための糧としていかなければならない。
写真:ZUMA Press/アフロ
地経学の視点
世間を騒がせた自衛隊の大量処分問題。海上幕僚長が事実上の引責辞任となった事態は重く、海上自衛隊OBである筆者の危機意識が本文からよく伝わる。セキュリティー・クリアランス制度が本格始動すれば、「重要経済安全情報」を取り扱う民間企業の従業員も適性検査の対象となる。本来、重要情報の扱いに関するプロである自衛隊員がこうした失態を起こしたことは先行きに不安を残す結果となった。この顛末(てんまつ)をどう生かしていくかによって、日本の経済を含めた安全保障が大きく左右されることを防衛省・自衛隊は意識すべきと言える。
一方、隊員の意識の欠如もさることながら、人員不足といった自衛隊が長年抱える潜在的問題が背景にあることにも注目すべきであろう。戦後、自衛隊に対して厳しい目が向けられていた時代を経て、隊員たちの地道な努力により国民と共に歩む自衛隊の姿が確立されてきた。その半面で、人員を確保できていない現状は残念なことだ。絶え間ない世界の紛争や東アジア情勢、集団的自衛権の行使容認といった現実を見るにつけ、若者の「自衛隊離れ」が起きている可能性もある。
とは言え、自衛隊の存在は不可欠だ。自衛隊だけでは解決できない問題をいかにしてサポートしていくか。最終的に、国民の生命・財産を守る責務を持つ国会議員たちの危機意識を問い続けなければならない。(編集部)