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2024.04.24 外交・安全保障

安倍元首相から感じた自衛隊への愛情
河野元統合幕僚長が語る「日本の安全保障」 (2)

実業之日本フォーラム編集部

 世界で高まる地政学リスクや最新の軍事動向について、第5代統合幕僚長の河野克俊氏が直言する連載企画。前編では、世界の安全保障上のホットスポットを巡るロシアや中国といった力による現状変更を図る勢力と西側陣営の対立構図や台湾有事の問題について解説。後編では、こうした緊迫する国際情勢を踏まえ、日本が打ち出す安全保障戦略のポイントや自衛隊の課題について述べる。
※本記事は、2024年3月13日開催の「地経学サロン」 の講演内容をもとに構成したものである。(構成:一戸潔=実業之日本フォーラム副編集長)

 日本政府は2022年に発表した「国家安全保障戦略」で防衛力の抜本的強化を掲げました。ポイントは、「反撃能力」の保有やそれに絡む統合作戦司令部の設置です。

 まず、相手のミサイル発射拠点をたたく「反撃能力」ですが、この保有が必要とされた理由は、周辺国で弾道ミサイルなどの研究開発が進み、従来のようにそれを迎撃する能力のみでは対処が困難だからです。「反撃は自衛権の逸脱になるのではないか」という声がありますが、法的根拠として、「誘導弾などによる攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾などの基地をたたくことは法理的には自衛の範囲に含まれる」という1956年の政府見解があります。

 私は現役のころから、バランスのとれた防衛力整備の必要性を感じていましたが、専守防衛が徹底されていたので、米巡航ミサイル「トマホーク」など相手領土に届くような長距離ミサイルは持てませんでした。今回、反撃能力に活用するミサイルとして、トマホークを米国から最大400発購入するほか、国産の12式地対艦誘導弾も射程を伸ばす改良をして配備することになっています。これは大きな一歩です。

カウンターパート不在を解消

 統合作戦司令部を新設する背景には、東日本大震災の対応への反省があります。当時、統合幕僚長だった私には、大きく分けて二つの仕事がありました。一つは総理大臣、防衛大臣に対する軍事的な補佐や助言(軍政)を行うこと。もう一つは、総理大臣、防衛大臣からの命令に基づき部隊を指揮・監督すること(軍令)です。東日本大震災のときは、非常に混乱していて総理大臣、防衛大臣への補佐の業務が大半を占め、部隊を動かすことについては手薄でした。

 そこで、役割を2つに分け、統合幕僚長は政治家に対する軍事補佐、つまり軍政に徹し、新設する統合司令官は部隊に大臣の命令を執行させて動かす軍令に専念しようという議論が始まりました。統合幕僚長のころ、私は自衛隊の制服組トップでしたので、米国の制服組トップはワシントンにいる統合参謀本部議長であり、私のカウンターパートでした。一方、ハワイにいるインド太平洋軍司令官も私のカウンターパートでした。

 当時、インド太平洋軍のハリー・ハリス司令官から、「あなたのカウンターパートはワシントンの統合参謀本部議長であり、自衛隊には私の本当のカウンターパートはいない」と言われ、その通りだと感じました。私が「軍政」「軍令」の2役をやっていたわけですから。統合司令官が誕生すれば、米国のカウンターパートも明確になり、日米同盟もより緊密化するでしょう。統合運用の観点からも大きなステップになると思います。

 ただし、恐らく日本の場合、統合司令官ができても常設の統合任務部隊はないと思うので、組織の編成や運営についてはその都度、任務に応じ編成されて統合司令官が部隊を率いることになるはずです。常に手持ちの部隊を置いているわけではないのが米国と違う点です。

有事のサイバー防衛を強化

 そのほか、国家安全保障戦略に盛り込まれた重要な点に通信や電力といった重要インフラなどに対するサイバー攻撃への防衛強化策があります。攻撃の兆候の探知や発信源の特定を行う「積極的サイバー防御」の考え方も明記されましたが、現行法では平時は攻撃を受けた後しか対処できないなど不十分です。国会の動きが鈍いようですが、ここをしっかりやってもらわないと、サイバー攻撃には太刀打ちできません。

 サイバー防御について、陸海空自衛隊と共同の部隊として「自衛隊サイバー防衛隊」が新編されたこともトピックです。しかし、同隊は自衛隊のシステムを防御するためにあるので、「国全体のサイバーの防衛をどうするのか」という問題が残ります。警察にも民間にもサイバーの部隊があるでしょうから、これらを組織化してトータルで日本のサイバー防衛を考えるべきです。今のように「自衛隊のことは自衛隊だけでやるべし」という話は、もう終わりにしないといけません。

レーダー照射事件の説明欠く韓国との連携は

 日本の安全保障環境を維持するためには、近隣有志国との連携も重要です。日韓関係について言えば、尹錫悦大統領は対日関係を重視されているので、両国の友好が進む流れは変わらないと思います。ただ、私が現役のときに、海上自衛隊のP-1という哨戒機に対して韓国海軍から射撃管制レーダーが照射されました。こうしたレーダー照射は敵対行為です。当時、再発防止と原因究明を求めましたが、結局、韓国はそれには応じてくれませんでした。

 尹大統領になっても、まだ明確な回答はありません。これを解決しない限り日米韓の防衛協力はやるべきでないとは言いませんが、自衛隊員の命に関わる話なので、この問題はどこかの時点ではっきり説明してもらいたいと思います。韓国の大統領制度は5年間で再選はできませんので、尹大統領の後任がまた野党側の反日色の強い人になったときにどう変わるのか不安がありますね。

自衛隊は政治に近づけて統制

 統合幕僚長として4年半過ごして一番印象に残っているのは、安倍晋三総理大臣(当時)に4年半お仕えしたことです。生まれ育った環境は全く違いますが、同じ昭和29(1954)年生まれで、時代背景をともにしている面がありました。安倍氏は近現代史をよく勉強されていました。安全保障や自衛隊、過去の軍隊のことも含め高い関心を持たれ、自衛隊への愛情もとても深い方でした。そういう意味で私としては大変ありがたかったわけです。

 安倍氏が従来の政治家とは異なるのは、シビリアンコントロールのあり方を整理されたことです。日本は戦前、軍の独走を経験しているので、それを抑止するため、戦後の自衛隊に対してシビリアンコントロールを徹底しています。私の認識では、安倍総理が誕生する前のシビリアンコントロールの考え方は、「自衛隊を極力政治から遠ざけておくこと」でした。しかし、安倍総理は「シビリアンコントロールというのは、自衛隊を政治に近づけてコントロールする」という考え方です。私もそれが正解だと思います。

総理が硫黄島で驚きの行動

 2012年12月に第2次安倍政権が誕生して約4カ月後、硫黄島を視察訪問された時の写真が私の手元にあります(写真)。太平洋戦争で日米両軍の激戦地となった硫黄島では、約2万人の日本兵が戦死し、うち1万人の遺骨が見つかっていないため、いまだに遺骨収集が続いています。当時、私は海上幕僚長でしたので、海上自衛隊が管理する硫黄島には私が責任者として安倍総理をお迎えしたわけです。

硫黄島の滑走路にひざまずき戦没者に哀悼の意を表す安倍元首相の写真
【写真】硫黄島の滑走路にひざまずき戦没者に哀悼の意を表す安倍元首相(2013年4月14日、制服姿の河野氏が写真提供)

 硫黄島の視察が終わって、次の視察地である父島への飛行機までご案内しようとしたその時、全く予想しない場面が私の目前で展開しました。それが先ほどの写真です。総理は滑走路にひざまずき、手を合わせ、こうべを垂れていたのです。その後、滑走路を撫でていました。いまだに滑走路の下にも遺骨が眠っています。それをよくご存じで、そういう行動に出たのでしょう。報道陣は父島に先立ち誰もいませんでしたので、国民にアピールするようなパフォーマンスではなかったわけです。

 私は、たまたま自衛隊のカメラマンが撮った写真を記念にもらい、自分の宝物として家の引き出しに入れていました。しかし、私も退官し、安倍総理も退かれたので、これを世間に伝えるのが私の責任ではないかと思い直し、引き出しから取り出して事あるごとに紹介するようにしたのです。そんな矢先に安倍氏の暗殺事件が起きてしまったわけです。安倍氏は歴史観、国家観のある政治家だと評されることがありますが、私も同感です。こうした価値観の根底にあるのは、戦没者への哀悼の念だと思います。

 安倍氏の言葉で一番印象に残っているのは、「実際に戦って、どれぐらい犠牲が出るのか」と聞かれたことです。機密に関わるので、どのような戦いを想定した質問だったかは申し上げられませんが、有事のことをそこまで真剣に考えておられたわけです。それと、明るい方でした。指導者は明るさを持っていないと人はついていかないと思います。私も週1回は自衛隊の行動を説明するために安倍総理に面会していましたが、恐れ多いことに安倍総理に冗談を言えるような関係でした。時には大笑いしてくれましたし、それぐらい明るく素晴らしい方でしたね。


河野 克俊:川崎重工業株式会社 顧問
1977年に防衛大学校機械工学科卒業後、海上自衛隊入隊。第三護衛隊群司令、佐世保地方総監部幕僚長などを経て、海将に昇任し護衛艦隊司令官、統合幕僚副長、自衛艦隊司令官、海上幕僚長を歴任。2014年、第五代統合幕僚長に就任。3度の定年延長を重ね、在任は異例の4年半にわたった。2019年4月退官。川崎重工業株式会社顧問。筑波大学国際学修士。著書に『統合幕僚長 我がリーダーの心得』(ワック出版局)がある。

地経学の視点

 「台湾有事は日本有事」――。2021年12月、安倍晋三元首相が生前に台湾のシンポジウムにオンライン参加した時の言葉だ。中国側が軍事的手段を選ばないよう自制を促す取り組みの必要性も訴えた。しかし、それから2年余りが経過した今、海洋上の軍事ライン「第1列島線」内の聖域化に欠かせない台湾の統一に向け、中国の圧力は高まるばかり。

 では、台湾有事で日本の自衛隊は何ができるのか。米軍の軍事介入を条件とした後方支援や日本へのミサイル攻撃などに伴う防衛出動に限られる。他国の軍隊と異なり、法律に根拠のないことは全くできないからだ。河野氏はそれでも「日本を守るための行動で中国軍と戦うことになれば、間接的に台湾防衛に寄与することはあり得る」と指摘する。

 自衛隊の制約はあるものの、4月から日本政府は防衛力強化に向けて整備するインフラ施設として、全国7道県の16空港・港湾を指定し、自衛隊や海上保安庁が訓練や物資輸送をしやすくする。また、日米両政府で自衛隊と在日米軍の双方に運用計画の策定や共同訓練に対応する調整窓口を設置し部隊連携を円滑にする。こうした備えに加え、日米韓の軍事同盟や日米比豪の軍事訓練も含めた重層的な枠組みを通じて、中国の包囲網を形成し、軍事行動への抑止力を高めていくことが一段と重要になる。(編集部)

実業之日本フォーラム編集部

実業之日本フォーラムは地政学、安全保障、戦略策定を主たるテーマとして2022年5月に本格オープンしたメディアサイトです。実業之日本社が運営し、編集顧問を船橋洋一、編集長を池田信太朗が務めます。

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