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2022.10.24 コラム

なぜ米中は対立するのか…宥和を図り「底辺への競争」に敗れた民主主義の誤算
「経済のグローバル化」は、平和の担保たり得ず

呉 軍華

 今年は日中国交正常化50周年の年に当たるが、実は米中関係を歴史的に変えた「ニクソン訪中から50年」でもある。ニクソン訪中当時、「ソビエト連邦の脅威への対抗」という共通の目的から米中は協調し、両国は事実上「準同盟国」となった。しかし、米国が期待した中国の民主化は果たされることなく、準同盟関係は解消された。経済力の高まりと共に表面化した中国の権威主義的行動は、日米両国との緊張を生んでいる。

 この50年間の日中関係および米中関係を振り返ると、共通する特徴を見いだすことができる。それは、中国の日米両国に対する目線が、格下として仰ぎ見る目線から同格の横目線へ、そして今や「上から目線」に変わってきていることだ。こうした変化を背景に、とりわけ近年、日中関係と米中関係は劇的に揺れ動いてきた。

 共産党最高指導部サイドが公の場でこうした「目線の変化」を訴えたのは、習近平総書記(国家主席)が初めてである。習総書記は2021年3月6日、国政助言機関である「全国政治協商会議」に参加している各界代表との会議で、屈辱を味わった自分たちの世代と違い、今や中国の若者は「平視(横目線)」で世界を見られるようになった、と誇らしげに訴えた。

 この「平視」には、本来の意味での横目線以上に、「俯視(上から目線で世界を見下ろす)」の意気込みがにじみ出ている。近年、習総書記は世界の潮流を「東昇西降」、つまり中国(東)が勃興し、米国をはじめとする西側諸国が衰退の一途を辿っているとの認識を繰り返し表明し、中国の外交関係者も、「戦狼」と呼ばれる極めて強硬な姿勢で日米を含む国際社会に臨んできているためだ。

「経済のグローバル化」を背景に自信を深める中国

 日米に対する中国の目線がここまで劇的に変化したのは、国際社会を動かすパワーバランスが中国側にシフトしているためだ。とりわけ2008年の国際金融危機の際、中国は大規模な景気対策を打って世界経済を引っ張り、国際社会で一気に存在感を高めた。それを可能にしたのは、ポスト冷戦時代に未曽有の規模と速度で展開された「経済のグローバル化」であった。

 経済のグローバル化の本質は、経済学でいう「比較優位」を資本がグローバルレベルで追求することである。グローバル化の主役は先進国の企業だが、国ベースで見れば、「底辺への競争(Race to the bottom)」、つまり外国企業の誘致のため税や労働・環境基準などを緩和し、ビジネスに関わるコスト競争で優位が立てる国が最大の勝者になる。だが、このような競争に勝つために、人権や環境などが犠牲となり、強制労働や環境破壊につながってしまうようなことが起きかねない。

 改めて強調するまでもないが、政治制度は「底辺への競争」の勝敗を大きく左右する。異なるイデオロギー・価値観に基づく政治体制――例えば専制主義体制と民主主義体制――が統合せず、いわば「政治のグローバル化」がなされないまま「経済のグローバル化」を進めれば、民主主義体制の国々は相対的に衰退する。専制主義は、環境を破壊し国民に痛みを強いるような「底辺への競争」では、民主主義より有利に政策を進められるからだ。

ポスト冷戦時代で「中国が最大の勝者」になった背景

 民主主義国は開発志向の強い非民主主義国に勝てない――。これはなにも新たな現象ではない。国家ではなく地域での比較になるが、計量経済史の研究で1993年のノーベル経済学賞を受賞した米国の経済学者ロバート・フォーゲル氏によると、南北戦争が勃発する直前の1860年における米国の地域別農業生産性を比較すると、奴隷制の南部が北部より40%も高いという(Time on the Cross: the Economics of American Negro Slavery, with Stanley L. Engerman, Wildwood House, 1974)。

 無論、「専制主義的国家」ということだけで経済のグローバル化時代の勝者になれるわけではない。ポスト冷戦時代において、中国が経済グローバル化最大の勝者になれたのは、1970年代末、経済成長を至上命題に始動した「改革開放路線」の影響も大きい。①経済のグローバル化という「外部要因」と、②成長実現のためなりふり構わず外国資本の誘致を目指す中国共産党の強い開発志向という「内部要因」が相互に働く構図の下、日米欧の先進国を中心に、各国の企業はこぞって生産拠点を中国に移した。

 こうして中国は、グローバルサプライチェーンを支える「世界の工場」になった。そして高成長が続くにつれ、中国の人々の所得は急速に上昇し、中国が世界で最も重要な市場の一つとして台頭した。「世界の工場」と「強大な市場」を柱に成長を続けた結果、共産党一党支配体制下の中国政府のマネーパワーは劇的に増し、「富国」を果たした後に「強兵」も図られた。増強されたチャイナパワーは、第二次世界大戦後、自由と民主主義の価値観に基づき米国主導によって築かれた国際秩序を改めつつある。香港を締め付け、高度な自治を認める「一国二制度」を形骸化させたことや、「一つの中国」原則の下、武力行使をちらつかせながら台湾統一を図ろうとする動きがその典型である。

なぜ西側諸国は専制主義国家の助力を仰いだのか?

 こうした成長経路で明らかになったように、イデオロギー・価値観の違いをそのままにして経済のグローバル化を進めた場合、中国と米国、ひいては中国と西側諸国が必然的に対立に向かってしまう。しかし、先に挙げたフォーゲル氏の研究を取り上げるまでもなく、「底辺への競争」に起因する問題は1930年代の米国ですでに提起されていた。

 それにもかかわらず、なぜ日米欧の民主主義諸国の企業は、中国を含む非民主主義体制の国々に活路を求め、エネルギー供給をロシアのような異質な国に大きく依存する行動を取ったのか――。ソビエト連邦の初代指導者であったウラジーミル・レーニンは、「資本家たちは、われわれが彼ら自身の首を絞めることになるロープさえ、われわれに売りつけようとする」という言葉を残したとされる。共産主義の信奉者らしい言葉と一蹴するのはたやすいが、資本の貪欲性を鋭く突いた表現ともいえよう。イデオロギー・価値観の違いを無視し、ひたすら比較優位を求めてグローバルに利益を求める西側諸国の企業行動は、確かに資本の貪欲性の視点からある程度説明できる。

 しかし、西側諸国の中国に対する行動原理はそれだけでは説明しきれない。企業の自発的行動だけでなく、米国を含む西側諸国の政府も、自国企業の中国市場参入と生産拠点の中国移転をサポートしてきたからだ。その理由としてよく聞かれるのは、「中国で経済が成長すると、中産層が育つ。中産層が拡大すれば、国民の権利意識の高まりから政治体制はいずれ多元化に向かうだろう」というものであった。西側の政府としては、イデオロギー・価値観的に対立している国の経済成長をあえて支援する以上、民主主義の原理原則につじつまが合う論理が必要だというのはある意味当然である。

 しかし、実際の中国は政治体制の多元化が進むどころか、むしろ権威主義から専制主義に向かっている。このような中国を目の当たりにして、「裏切りだ」と、まるで被害者になったかのような声が日米欧諸国の一部から聞こえてくる。

専制主義の台頭を招いたのは、民主主義の「二つの特質」

 西側諸国がこうした対中政策をとった背景には、先に挙げた多元化についての「期待的観測」に加え、民主主義が内包する「二つの特質」も大きな役割を果たしたと思われる。一つは、宥和という名の「DNA」である。換言すれば、「自国の危機に直結しない限り、たとえ他国を犠牲にしても対決を避けようとする特質」だ。第二次世界大戦時、英国やフランスは、チェコスロバキアやポーランドといった他国を犠牲にしてナチスドイツの野心をなだめようとした。一方、米国もほぼ限界までナチスドイツや日本との正面衝突を避けようとした。この構図は、ウクライナ侵攻に踏み切るまで日米欧諸国がとっていた対ロシア政策と全く同じである。

 もう一つは、最適な表現か否かは別にして、西側諸国では対内政策と対外政策がダブルスタンダードで運用されており、いわば「偽善」の側面を抱えていることだ。

 1989年6月4日、北京で民主化を求める学生運動が軍隊によって鎮圧された。「天安門事件」である。民主主義の原理原則に反する行動であるため、西側諸国の政府は一応の非難と抗議をし、一定の制裁に動いたものの、実質的な行動を取るには至らなかった。当時の日本の対応を例にとろう。2020年に公開された外交文書によれば、日本政府は天安門事件が起きた日、主要7カ国(G7)による対中制裁案を拒否し、中国に宥和的な姿勢で臨む方針を固めたという。

 米国のブッシュ政権(当時)も、事件直後に中国を非難しつつも、北京に密使を派遣し、中国に関係維持の意向を伝えた。こうした対応を見る限り、少なくとも当時の日米両政府は、人権保護を含む自由民主主義の普遍性を訴えつつも、中国で起きている人権侵害をあくまで他国の事情とし、無視する方針を取っていたことは明らかである。

「チャーチルの名言」の真意

 第二次世界大戦で英国を勝利に導いたウィンストン・チャーチル元首相は、民主主義について、「最悪の政治形態と言うことができる。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」と喝破したといわれる。「宥和」と「偽善」をキーワードに民主主義の歴史と現実を見れば、それは確かに「最悪の政治形態」と評してよかろう。

 しかし、どこかの国や人々がその「最悪」の代償を払う羽目に遭うことがあっても、現存する他の政治形態との競争を制するのは、やはり民主主義である。

 歴史を振り返るまでもなく、専制主義は、強力な資源動員力を頼りに、一時的に民主主義を凌駕するほどの経済・軍事的パワーを有することがあっても、いずれ自己破壊のプロセスを辿る。どのような立派な理想を掲げようとも、専制主義的な政権である以上、やがて政権維持が自己目的化する。しかも、それに伴って政治・経済的に行き詰まっても、政権交代による抜本的な軌道修正ができないために、自己破壊に至るからだ。

 一方、民主主義は、他者を犠牲に「宥和」と「偽善」で一時しのぎはできても、いずれ専制主義等から攻め込まれることによって自らも存亡の危機に直面する。ただし、民主主義は危機を乗り越えるために、政権交代といった政策の抜本的修正を可能とするメカニズムを有している。だから、他の政治形態との競争を制するのは結果的に民主主義になる――これがチャーチルの言葉の真意であろう。

民主主義の脆さと強さを踏まえ、「富民強国」を

 習総書記は、10月16日に開幕した中国共産党大会で、毛沢東元主席以来の長期任期に入ると見込まれている。党大会初日で行われた報告で、習総書記は「中国式現代化は、人類が現代化を実現するための新たな選択を提供した」と宣言し、産業革命以来近代化をリードしてきた西洋文明との対決姿勢を改めて示した。「目線の変化」とその変化を生み出したパワーバランスのシフトが米中ならびに日中関係悪化の要因だとの分析が正しいならば、「国の実力」は平和を守る唯一の手段といえよう。

 これまで国際社会が目指してきた「経済のグローバル化」は平和の担保にはならず、民主主義の宥和のDNAは、専制主義国家ロシアの侵略を止めることはできなかった。今後、「第二のウクライナ」を生まないために、民主主義は経済のみのグローバル化の限界を見極めつつ「宥和」と「偽善」を克服しなければならない。日本にとって、特に必要なのは当事者意識で米中対立を考えると同時に、難しくても成長の軸足を国内に据え付け、その成果の確実な分配によって民を富ませ、国を強くする「富民強国」であろう。

写真:新華社/アフロ

呉 軍華

株式会社日本総合研究所 上席理事
中国復旦大学卒。東京大学大学院博士課程修了後日本総合研究所入社。2020年から現職。