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2022.09.27 外交・安全保障

ウクライナ戦争と「氷上シルクロード」構想で中露接近…高まる日本の地政学リスク

石原 敬浩

 NATO(北大西洋条約機構)のストルテンベルグ事務総長は8月末、カナダを訪問し、「ウクライナ戦争開戦後の数カ月で北極の地政学的状況が激変した」と述べるとともに、北極における中国・ロシアの戦略的連携が進むことに警告を発した。

 中国は、巨大経済圏構想「一帯一路」の一環として「氷上シルクロード」を掲げ、北極開発を進めている。北極圏には未発見のエネルギー資源が埋蔵されているとされ、中国は国有企業や国家ファンドの出資を通じて同地域の石油・ガス田開発に積極的に関わってきた。大陸が存在せず氷に覆われた北極海は、地球温暖化の影響で氷雪の融解が進んでおり、新たな航路が開けつつある。将来的にロシアの天然資源を中国に運ぶ海上ルートが生じる可能性もある。

 2013年ごろまでロシアは中国の北極進出に対し警戒していたが、ロシアによるクリミア半島併合に対する欧米の経済制裁を契機に、両国は親密度を増した。今またウクライナ侵攻によって西側諸国から強烈な制裁を受けているロシアは、さらに中国との連携を深めつつある。そこで本稿では、気候変動で注目を集める北極海の状況と、中国の北極進出およびその安全保障上の問題点、わが国への影響について考えてみたい。

氷雪融解とともに加熱する資源開発への期待

 最新の研究では、北極の温暖化のスピードは、他の地域の4倍に達するという説もある。氷に覆われていた海面が、氷雪の融解によって加速度的に太陽光を吸収し、さらに周囲の氷を融かし、海面が暖まる――という「負のスパイラル」に陥るというのである。氷で閉ざされた海が「青い海」となれば、航路航行が普通にできるようになるほか、資源開発が可能となる。米国地質学研究所は2008年、「世界で未発見の石油の13%、天然ガスの30%が北極域に存在し、その多くがロシアの領域に埋蔵されている」と発表し、世界中で資源開発への期待が高まっている。

 こうした資源の可能性に目を付けた各国は、北極域への関与姿勢を強めている。特にロシアは冷戦後に閉鎖、放置されていた旧ソ連時代の基地など100カ所以上を再開発し、軍事活動を強化している。

各国の利害が対立し、画定できない北極の領海

 北極関連国としては、直接北極海に面するロシア、ノルウェー、デンマーク(グリーンランド・フェロー諸島を含む)、カナダ、米国に加え、スウェーデン、フィンランド、アイスランドの計8カ国が「北極圏諸国」と呼ばれる。

 北極地域における唯一の外交フォーラムが「北極評議会」であり、北極圏諸国が加盟しているほか、英国、フランス、日本、中国などの国や政府組織などがオブザーバーとして参加している。同評議会では、北極における持続可能な開発、環境保護といった共通の課題について取り組んでいるが、安全保障に関わる事項は扱わないとされている(オタワ宣言)。

 大陸である南極には、地域内の過度な開発などを防止する条約がある。一方、北極は海洋であるため、安全保障に関わる沿岸国の領海やEEZ(排他的経済水域)の画定などについては国連海洋法条約の枠組みで決定するとされている(イルリサット宣言)。特に問題となるのが海域や大陸棚の境界画定だが、沿岸国の主張が対立し、決着していない。

 そのようななか、ロシアは2010年にノルウェーとの間で「バレンツ海と北極海の境界画定および2 国間協力に関する協定」に署名した。ロシアの狙いは、ノルウェーが持つ北海油田等の開発経験や技術である。しかしロシアは2014年、国際的にウクライナ領土と見なされていたクリミア半島を一方的に併合、それを契機とした西側諸国のロシアへの経済制裁によって両国の協力関係はリセットされた。

経済制裁を契機に中露が接近

 ノルウェーに替わってロシア支援に現れたのが中国である。中国とロシアは地政学的、歴史的に対立点が多い。かつてロシアは、北極海への進出意欲を露骨に示す中国に強い警戒感を示していたが、前述した西側諸国の経済制裁に対抗するために中国に接近した。2017年12月にはシベリア北西部・ヤマル半島のガス田から、初めてアジア向けに最初のLNG(液化石油ガス)タンカーが出港、その後も順調に北極海航路経由での資源などの輸送が増加している。

 NATOとロシアは、ロシアがクリミアを併合した2014年以降、対立を深めているが、焦点となっているのは北極海である。NATOを構成する英米および西ヨーロッパ諸国は、歴史的にロシア(ソ連)、ドイツなどライバル国の海軍勢力が大西洋に進出するのを、グリーンランド(G)、アイスランド(I)、英国(UK)で阻止する戦術を採用してきた。この3国を海上で結ぶ防衛ラインは「GIUKギャップ」と呼ばれ、第二次世界大戦中のドイツ戦艦ビスマルクの撃沈作戦や冷戦期のソ連潜水艦阻止作戦に寄与した。対するソ連は、弾道ミサイル潜水艦の作戦海域を聖域化し、安定的な戦略核態勢を構築するため、「ベア・ギャップ」と呼ばれるスカンジナビア半島からスバールバル諸島に至るラインでのNATO軍侵入をもくろんだ(図1)。

【図1】西側の「GIUKギャップ」とソ連の「ベア・ギャップ」

(資料)Thomas Nilsen, “American flags in the Barents Sea is “the new normal,” says defence analyst,” The Barents Observer, May 08, 2020

北極圏のカギを握るグリーンランド、アイスランド

 西側諸国とロシアが対立を深めるなか、地政学的ポイントとなるのがグリーンランドとアイスランドである。アイスランドの人口は36万人で、日本の和歌山市とほぼ同規模である。グリーンランドに至ってはわずか5万5000人で、東京都23区で人口最少の千代田区(約6万6000人、2022年1月現在)より少ない。この二つの国・地域に科学的な調査施設や観測基地建設、水産加工施設といったアプローチを積極的に実施しているのが中国である。

 グリーンランドはデンマークの自治領で、米軍基地が置かれている。しかし、冷戦期に水爆を搭載した米軍爆撃機が墜落事故を起こしたことや、基地からの汚染物質漏えいなどもあって、米軍は地域住民からあまり歓迎されていない。グリーンランド住民の9 割は先住民系で独立志向が強く、住民投票を経て 2009 年に外交や安全保障を除く広範な自治権を獲得した。最大の課題は経済問題であり、自治政府予算の半分をデンマーク政府の補助金に頼っている。独立のためには島内経済の活性化が必須であり、自治政府は中国資本の進出を歓迎していた。

 自国の軍隊を持たないアイスランドにもかつて米軍基地があったが、冷戦後に米国は基地を撤収した。そうしたなか、クリミア併合を契機にロシアとNATOの対決姿勢が強まり、NATO陣営はアイスランドの旧米軍基地を再開発する必要性が増加したが、スムーズには進んでいない。その背景には、2008年の世界金融危機の際、米国がアイスランドとの通貨スワップを拒否した一方、中国が2010年にアイスランドと通貨スワップ協定を結び、2013年にはFTA(自由貿易協定)を結んだことなどがあるとみられる。

「中露接近、グリーンランド独立・反米政権誕生」の最悪シナリオも…

 こういったなか、「氷上シルクロード」構想を推し進める中国は、北極圏を巡ってどのような動きを見せるのか。「中露の関係性の疎密」と「グリーンランドの独立可能性およびその政府の親米・反米の姿勢」を基に、シナリオ分析してみたい(詳しくは、拙稿「大国間競争時代における北極海と中国(海幹校戦略研究2020.7号)」を参照)。

【図2】北極圏を巡る各国の情勢シナリオ

(資料)石原敬浩、「大国間競争時代における北極海と中国」

 図2左上の「シナリオA」は、中露間が対立し、グリーンランドに反米(親中)政権が誕生する場合である。現在もグリーンランド独立の機運は継続している一方で、ウクライナ戦争によりロシアは中国の支援を必要としていることから、可能性は低いシナリオである。

 「シナリオB(右上)」は、独立グリーンランドに親米政権が誕生する、あるいは独立せず、中露対立となった場合である。これは西側諸国にとっては最も望ましい状態である。北極において中国はあくまで「外様」扱いであり続ける一方、ロシアがNATOに接近する。これは今年2月までは実現可能性を検討すべきシナリオだったが、ウクライナ戦争により当面(10年程度)はあり得ない想定と言えよう。

 「シナリオC(左下)」は、中露が密接な関係を構築した状態で、グリーンランドが独立し、反米政権が誕生するという、西側諸国にとっては最悪のシナリオである。この場合、GIUK ギャップに大きな欠損が生じる。在グリーンランド米軍基地の撤去、NATO離脱、それに代わって中国あるいはロシア軍の基地使用といった話は西側にとって悪夢でしかない。しかし、現状はこの可能性も高まりつつある。

 「シナリオD(右下)」は、冷戦初期の中露蜜月時代と同様な構造である。このシナリオでは、ロシアを中心とした旧ソ連諸国を中心に構成される軍事同盟(ここではユーラシア同盟と呼ぶ)とNATOが対立し、この同盟に何がしかの形で中国が加わることを想定する。この場合は競争的関係、大国間の対立構造に戻るものの、地政学的な大変化とまではいかない。現状はこの形に近く、最も可能性が高いシナリオと評価できる。

日本にも影響が及ぶ「中露北極連携」

 中露関係の進展は北極のみならず、国際社会全体の論点である。ロシア・ウクライナ戦争に中国はどのように関わり、どのような形で決着するのか、中国の「氷上シルクロード」の構想に対し、北極圏諸国はどう折り合いをつけるか、それぞれが難しい課題であり、複雑な連立方程式を解く必要がある。最悪のシナリオを避け、最善が無理ならセカンドベスト、現状維持を求める努力が重要となろう。

 気候変動と中露接近によって北極海航路が活性化し、多くの艦船が航行するようになれば、そこにおいて護衛や監視の必要から海軍や沿岸警備隊など、海上法執行機関の活動が活発化するのが歴史的必然である。筆者は 2011 年に「北極海の戦略的意義と中国の関与」と題する論考を発表した。同論考では、中国の北極への関与姿勢について「中国は、未だ確定しない北極海での様々な政策決定の枠組み、ルール・規範作りに関与し、大国として自己に少しでも都合の良い制度構築に影響力を発揮するものと考えられる」と分析した。

 それから現在に至るまでの間、中国は、北極評議会のオブザーバーに認定されて北欧各国への関与を強め、「氷上シルクロード」と「一帯一路」との融合を進めた。そして2018年には『北極政策白書』を公表するなど、着実に北極進出の地歩を固めてきた。今後の北極海を中心とする国際安全保障環境がどのように変化するのか、予測することは難しいが、中露の北極海航路を想定すれば、千島列島からわが国周辺に至る海域が重要になることは間違いない。

 9月1日から7日にかけて、ロシアは軍事演習「ボストーク(東方)2022」を実施した。同演習では、ロシア・ウクライナ戦争の影響で規模は縮小されたものの、中国の人民解放軍が陸・海・空の各軍種を参加させた。識者の中には、「『ロシア極東軍がウクライナ戦争に割かれて手薄になっている部分を、中国軍がカバーする』という意味合いを持ってくる可能性」を指摘する分析もある(近藤大介、「露軍の演習『ボストーク』に中国軍が参加、両軍を結ぶ『日本に敗北』の記憶」、JBpress、2022年8月30日)。

 わが国周辺海・空域ではここ数年、中露両軍の軍事活動が活発になっている。今後日本の安全保障は、台湾海峡、南西諸島方面のみならず、温暖化と中露接近によって経済・安全保障面で活性化する北方への配慮も不可欠となろう。

写真:AP/アフロ

石原 敬浩

海上自衛隊幹部学校 教官、2等海佐
幹部候補生学校(江田島)卒業後、艦艇勤務(しらゆき通信士、しらね水雷士、かとり機関士、ゆうばり航海長、たかつき水雷長、あまぎり砲雷長兼副長、あおくも艦長)、幕僚勤務(第1護衛隊群、64護衛隊)、陸上勤務(防衛大学教官、防衛局調査第2課、海上幕僚監部広報室)等を経て現職。慶応大学講師(非常勤)。