実業之日本フォーラム 実業之日本フォーラム

編集長から

 欧州の黒い大地を、ロシア軍戦車の履帯が踏みにじるように進む——。21世紀の今日、にわかには信じがたいアナクロニズムをニュース映像で日々目の当たりにしています。力による一方的な現状変更を強いられ、それに抗う激戦地の街には、日常を追われ、あるいは生命や財産を奪われて嘆く人たちの嗚咽が響いています。

 その現実を、孤高の権力者が理性的な判断能力を失って暴走した結果であり、歴史の「例外」であると考えることもできます。あるいは、そのように考えたくなります。しかし本当にそうなのでしょうか。

 ドゥルーズ/ガタリの言葉を援用するなら、20世紀における人・モノ・カネ・情報の流れはすぐれて樹木的——大きな幹から枝分かれしていくように中央集権的なものでした。ところが、インターネットそのもの、あるいはインターネット的なものの登場と普及によって、21世紀に入ると、人・モノ・カネ・情報はお互いがピア・ツー・ピア的に複雑かつ不規則に結びつき、絡み合うリゾーム(地下茎)のように行き来するようになりました。WEB3の時代、この傾向はますます加速するはずです。

 いわば、大動脈・大静脈に収斂する必要なく、絡み合う毛細血管をたどって人やモノなどが行き交う時代。その自由な移動がもたらす経済成長が私たちを豊かにしていくことで、歴史上、いくたびも戦禍を招いた政治、あるいは国家というものを私たちはついに克服できるのではないか。そんな「グローバリズムの夢」を見られたのが、21世紀初頭、ついこの間まで私たちが立っていた地平でした。

 しかし、欧州における壮大な実験・EU(欧州連合)はブレグジット(英国の離脱)というかたちで挫折し、米国には自国第一主義を標榜する大統領が生まれてTPPからの離脱を決めました。全人類共通の敵と言っていい新型コロナウイルスのパンデミックに対して、ほぼすべての国は国境を閉ざしました。

 人間が、かつての経済学がそう見たように真に合理的なのであれば、リゾームの自由の中で誰もが最も有利な場所に移動して生活を営むはずです。しかし現実には、シェンゲン条約と通貨ユーロの採用で経済圏が統合されているにも関わらず、自分たちの国が破綻寸前まで追い込まれてもギリシア人の大半はドイツに移住しようとはしませんでした。自動車産業が衰退した米国内陸部で貧困にあえぐ人たちも、テクノロジーを学んで西海岸で働くよりも自分たちを肯定してくれる大統領を選びました。

 私たち人間が、経済合理性などというものを優に凌駕するほどに、心の奥深いところを生まれ育った土地の文化や風土というものに根ざしている生き物であるということの証左でしょう。その、人間という存在を考えるうえで避けて通れない理不尽な土着性が、リゾームの時代だからこそ逆に浮かび上がってきているのです。

 ウクライナ戦争は残念ながら稀有なエラーではなく、その時代が行き着いた帰結の1つではないでしょうか。人類がすでに克服したかのように思えていたものが蘇り、私たちがやがてたどりつく帰結だと思っていた景色の前で立ちはだかりつつあります。かの地の砲声が覚ますのは、グローバリズムの夢なのかもしれません。

 世界を前に進める努力を放棄して、20世紀のヘゲモニー・ファイトに向けて時計の針を戻すべきではありません。しかしまた、楽観がもたらす夢が覚めたいま、自由主義経済だけでは国家や政治を超えることは難しいという現実から目を背けるべきでもありません。私たち「実業之日本フォーラム」は、地面がないと生きていけず、その地面を動かすこともできず、そして何より、ただそこに産まれ落ちたというだけでどうしようもなくその地面を愛してしまう不合理な生き物が織りなす世界の現実——地政学と向き合い、これを読み解き、経済・社会の「いま」を描きながらその先を照らすことを試みていきます。どうぞご期待ください。

2022年5月2日
編集長 池田 信太朗