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2024.11.01 外交・安全保障

米中対立で負担増す経済安保、日本は供給網分析で合理的な規制案示せ

菊池 咲

 11月に米国で行われる大統領選挙の結果次第では、中国に対する経済規制が一段と強まるだろう。日本はじめ対中関係が深い国々の規制対応コストなどがかさみ、経済安全保障への影響が懸念される。筆者は、日本は米国の対中政策にむやみに追随するのではなく、グローバル企業の協力の下、サプライチェーンの把握・分析を通じて、より「解像度」が高い規制対象範囲を提示し、西側諸国の経済安保政策を主導すべきだと説く。

 経済安全保障(economic security)という言葉がグローバルアジェンダとなって久しい。ポスト冷戦を象徴する自由貿易を前提とした経済モデルは過去のものとなり、経済活動を通じてもたらされる安全保障上の脅威を低減することが、各国の通商政策および産業政策の最重要課題となっている。

 もっとも、米国が自国の経済政策を経済安保政策として再定義した2010年代後半までの貿易管理は、敵対国に対する武器や大量破壊兵器に関連する技術の輸出規制がメインであった。半導体のような民生利用が大半を占める製品や技術が規制対象となるのは、制裁対象国への輸出などごく一部のケースに限られていた。

 だが、米中対立が激化し、米国が中国を安全保障上の脅威と認識するようになったことで、その様相は大きく変化した。当初の対中政策のコンセプトであった「デカップリング(経済分断)」は、欧州が提案した「デリスキング(リスク回避)」へと軟化したものの、半導体以外の分野でも規制強化は続いており、中国とのビジネスコストは高まる一方だ。

 米国の経済安保政策を正確に把握することはとても難しい。米国の貿易管理規制は難解な構造で、複数の法律や行政令を相互参照しながら読み解く必要がある。加えて、政策議論は日々目まぐるしく変化しており、新たな法案の提出や行政令を駆使した運用強化も頻繁に起きている。

 こうした状況への対処には米政府の政策目標を理解し、次の一手を予測する必要がある。そのため、われわれのチームは度々ワシントンD.C.を訪れ、政府関係者や政策立案に携わる専門家と意見交換を行い、最新の政策動向の把握に尽力してきた。その上で現状分析すれば、法規制化すべき論点はおおかた実行に移され、議論の方向性はより広範なデリスキングの推進に移行していると言える。米大統領選でバイデン政権の政策をおおよそ引き継ぐと思われるカマラ・ハリス副大統領が勝てば、方向性は維持されるだろうし、対中タカ派の多い共和党のドナルド・トランプ前大統領が勝てば、対中政策がより強化される可能性がある。

対中政策を強行できる2つの構造的要因

 この状況は、日本企業にとって厄介である。日米の貿易に占める中国の割合は共に高く、一見すると対中国のデリスキング政策は日米に等しく困難なものに思われる。2023年のデータによると、米国の対中輸入はメキシコ(15.4%)に続く第2位(13.9%)で、対中輸出はカナダ(17.5%)、メキシコ(16.0%)に次ぐ第3位(7.3%)。また、日本の対中輸入は第1位(22.1%)、対中輸出は米国(20.1%)に次ぐ第2位(17.6%)であった。しかし、米国には中国とのデリスキング政策を強行できる構造的な要因が2つある。

 1つ目は、ワシントンにおいて、国家安全保障は政策の最優先事項であるという点だ。財政的に見ても、国家安全保障は米国で大きな比重を占める。歳出に占める防衛費率は13%と日本の2倍となり、絶対額では約15倍に達する。加えて、世界最大の軍事大国・米国にとって、国家安全保障は対外政策の「一丁目一番地」でもあり、国家安全保障を理由とした政策は優先的に対処される傾向にある。

 2つ目は、1つ目の要因とやや矛盾するが、一般の米国民は国家安全保障にさほど興味がないという点だ。国家安全保障は重要課題であるが、選挙の争点にはなりづらい。地元有権者に訴求するためには、彼らの生活に直結するトピックが必要になる。さらに、米国民の8割は全輸入額に占める中国の割合を実際より多く見積もっており、米中間の貿易に不公平感を抱いている。その結果、国会議員はワシントンで国家安全保障を議論し、地元では対中貿易規制とサプライチェーンの米国回帰を語ることを好むようになる。こうした構造的要因が重なり合うことで、現在の米国は経済合理性を度外視した経済安保政策を実行しやすい環境にある。

 一方で、貿易規制もサプライチェーン強靭化も、米国だけでは経済安保政策としての効果は限定されてしまう。だからこそ、われわれがワシントンで意見交換をする際の米国側の関心事は「いかに日本を米国の経済安保政策に追随させるか」にあった。しかし、経済合理性を度外視した政策が続けば、経済規模も地理的環境も経済構造も異なる日本の追随が難しくなる。米国の経済安保政策をフォローするにつれ、「米政府は日本の置かれた状況をどこまで理解しているのか」という疑念が生じるようになった。

 この疑念が確信に変わったのは、筆者が今夏にハワイにある安全保障系シンクタンクを訪問した時だ。意見交換した現地の専門家は、ワシントンの日本を含むアジアに対する「解像度」の低さを指摘し、アジア太平洋地域の同盟国・友好国との協調を阻害する可能性に懸念を示した。

 アジア太平洋地域の多くの国にとって、経済は是々非々のトピックであり国家安全保障と必ずしも一体ではない。国家安全保障・防衛の文脈では中国を脅威と認識する一方、経済安保の文脈では米国と協調することを望む国でも米国に追随して中国との経済的関係を弱めることは容易ではない。

 しかし、前述の専門家は「ワシントンはこうしたアジア諸国の状況を理解できていない」と指摘。その上で、「このまま米国が国家安全保障と同様に経済安保を推し進めれば、アジアの同盟国・友好国との関係に亀裂が生じたり、逆に彼らが中国との関係構築にかじを切ったりするリスクがあるのではないか」と懸念していた。

 目の粗い規制に巻き込まれ不要な費用負担

 この問題提起は、日本の経済安保政策にとっても重い意味を持つ。なぜなら、日本の経済安保政策は米国の影響を大きく受けてきたからである。例えば、2022年10月に米国で導入された一連の半導体規制について、日本は米国に追随する形で規制強化を実施した。米国は重要技術保護政策で「Small yard, High fence(範囲は狭く、規制は厳しく)」の原則を強調しているが、近年規制対象範囲は拡大傾向にあり、米国はさらなる規制強化を日本に求めている。米Bloombergの報道によれば、米下院中国特別委員会から在米日本大使宛てに半導体製造装置の対中輸出規制強化を求める書簡が送付され、対応できなければ日本の半導体装置の対中輸出に米国政府の許可を必要とするための米国規制域外適用強化を行う可能性まで言及されている。

 規制が強化されれば、中国に販売できる製品はさらに限られ、規制対応コストの上昇も相まって、企業の利益には無視できない状況となる。米国の経済安保政策の強化は、米国とのビジネス関係を通じて企業の中国との向き合い方にも影響を及ぼす。直近では日本製鉄のUSスチール買収を巡り、日本製鉄の中国事業がCFIUS(対米投資委員会)審査の争点となっている。企業側は中国との事業拡大はおろか事業継続の選択さえリスクになっている。

 経済安全保障は本来、国家安全保障上の脅威をもたらす国の軍事能力拡大に寄与しないよう、経済にも一定程度国家安全保障の文脈を反映することだ。そして、経済の相互連関が強まったグローバリゼーション以降の世界で経済安保政策を単独で行うことは不可能であり、同盟国・友好国の協調は必要不可欠である。

 また、戦い方が多様化した現代において、脅威をもたらす国の軍事能力拡大に寄与しないためには、軍事用途に限定された技術や製品のみを経済安保の対象とするのでは不十分であり、半導体のような軍事にも民生にも使用されるデュアルユースの技術や製品でも「一定の」規制が必要になる。だが、現状の米国による経済安全保障政策は「一定の」の部分が曖昧なまま進んでおり、中国との経済的関係が米国と比べて強い国々は、米国との協調に懐疑的な視線を向けている。

 このまま米国の政策に追随しているだけでは、日本企業は米国による目の粗いリスク認識に基づくデリスキングに巻き込まれ、必要のないコストを支払わされる可能性があるのではないだろうか。

日本は西側諸国の経済安保政策を主導すべし

 経済安全保障の目的を達成しつつ、中国との是々非々の経済的関係を維持するには、中国との経済的関係に対する解像度を高める必要がある。具体的には、サプライチェーンの「5W1H」を明らかにし、サプライチェーンのどの部分で中国が関与し、その関与から発生する国家安全保障上のリスクがどの程度なのかを把握・分析することである。米国はこれにかかるコストと目の粗い対策を実施するコストをてんびんにかけ、後者を選択したと考えられる。

 だが、日本をはじめとするアジア太平洋諸国にとっては、前者の方が選択に値するのではないか。アジア太平洋諸国の中でサプライチェーンの下流(モノの販売)に位置するのは日本であり、日本が主導権を取ることは自然な流れだろう。今後、日本が取るべき経済安全保障政策とは、やみくもに米国に追随することではなく、サプライチェーンの把握・分析を通じて、より解像度の高い規制範囲を提示することで、西側諸国の経済安全保障政策を主導することであろう。経済安保政策の立案・実行は日本政府の仕事となるが、サプライチェーンの把握・分析は企業の協力がなければ実現し得ない。

 既に2022年5月に成立した経済安保推進法で、基幹インフラのサプライチェーン把握が事実上義務化されている。しかし、筆者は規制対象でなくても、中長期的なグローバル戦略を検討する企業は全て、サプライチェーンの把握・分析が必要不可欠になると主張したい。

 これまでは「米国追従の経済安保政策に起因するコストや損失は、企業の責任で発生したものではない」と対外的に説明することが可能であったかもしれない。だが、経済安保の概念がもはや新しいものではなくなり、事業環境の前提となりつつある昨今、コストを甘受するだけでは説明責任を果たせなくなるだろう。サプライチェーンから完全に中国を切り離すことが困難ならば、そこから生じるリスクを把握し、取るべきリスクは取るという決断も必要になる。

 先日、台湾の経済安保専門家に「経済安保推進法の基幹インフラ審査制度に対する日本企業の反発は相当だったと思うが、どうやって制度施行につなげたのか?」と質問された。私が「そもそも日本企業は政策に強く反発するメンタリティを備えていない」と回答したところ、その専門家は衝撃を受けていた。台湾と日本の状況をそのまま比較することはできないが、少なくとも自社に有利な競争環境を作ったり、一定のリスクを取ったりするには自社の状況を適切に、必要に応じて政府に対しても声を上げていくことが望ましい。

供給網の把握・分析は経営戦略上の羅針盤

 とはいえ、サプライチェーンの把握・分析は「言うは易く行うは難し」だ。一般的な企業がTier1(1次下請け)以降のサプライチェーンの把握には、委託先や下請け企業への質問票などを用いて地道にサプライチェーンの洗い出しが必要になる。日本では途中で商社を経由するケースが多いことも想定されるため、商社におけるサプライチェーンのトレーサビリティ(生産・流通履歴の追跡)も欠かせない。何をどこからどれだけ仕入れ、どこに販売しているのかを明らかにした後、それぞれの取引先を国や企業レベルで分析することが重要となる。

 日本は国家安全保障や経済安全保障上の高リスク国を明示していないため、米国の輸出管理規制であるEARを参照したリスク判断を行うことが妥当だろう。企業のリスクは、軍民融合の度合いや政府との関係などに基づき評価されるため、サプライチェーン・インテリジェンス分析ツールを使ってリスク判断を行うことが適切だろう。その上で、輸入の場合は国や企業レベルの代替可能性(技術、期間、コストなど)を検討して自社の国や企業への依存度、輸出の場合は製品や技術の先端性や重要性、デュアルユース性を評価する。

 その際、自社の技術に対する経済安全保障面からの客観的評価も必要不可欠だ。筆者の経験上、日本企業は自社の技術を過小評価しがちである。技術的には目新しいものではなくとも、他の国や企業では簡単に代替できない製品技術は、経済安全保障上重要な技術として評価し、情報流出リスクを低減するための施策を検討すべきである。

 ここまで把握・分析ができれば、「是々非々で中国との取引関係を継続できる分野」「規制の必要がないことをロビイングすべき分野」「今のうちから代替先を検討すべき分野」「仮に規制強化となった場合は諦める分野」といったカテゴリー分けが可能となり、中長期的な経営戦略を検討する上での重要な羅針盤となるはずだ。

 今後、日本に求められる経済安全保障政策とは、こうした企業の把握・分析力を用いて、より解像度の高い規制範囲を米国に提示することで、西側諸国の経済安保をリードしていくことであろう。

写真:AP/アフロ

地経学の視点

 いよいよ米大統領選が本番を迎える。日本製鉄のUSスチール買収を巡ってはトランプ前大統領、ハリス副大統領の両候補とも反対を表明。選挙を意識した過剰な保護主義が経済安全保障問題を盾にして日米間の溝を作っている。日本の経済安保は以前から米国の対中経済規制によって規制対応コストなどの負担を強いられてきた。大統領選挙の結果に関わらず、この方向性は基本的に変わらないだろう。

 菊池氏が指摘するように、米国では国家安全保障に関する政策は最優先に対処される傾向にあり、対中貿易に不満を抱く米国民が多いという構造的要因が背景にあるからだ。国会議員はワシントンで経済安全保障を議論し、地元では対中貿易規制とサプライチェーンの米国回帰を語ることを好み、この2要素が重なり合うことで経済合理性を度外視した経済安保政策を実行しやすい環境にある。

 日本がサプライチェーンに潜むリスクを把握・分析し、より解像度の高い対中規制範囲を米国提示することは容易なことではない。しかし、米国追随と規制コスト負担を甘受し続けるのであれば、日本の経済安保政策は画餅に帰す。今こそ日本の役割が求められている。(編集部)

菊池 咲

EYストラテジー・アンド・コンサルティングマネージャー
米系金融機関でクレジットリスクの分析・管理に従事した後、2019年より日米の大学院にて安全保障(国際政治、核抑止、認知戦)を学び、2021年より現職。安全保障や経済安全保障を専門とするリサーチャー兼コンサルタントとして民間企業の各国経済安保政策への対応を支援する傍ら、多摩大学ルール形成戦略研究所研究員として経済安保及び認知戦に関する研究に従事。「国家による認知戦の台頭とICT サービスがもたらす新たな 安全保障上の脅威の考察―認知戦のレンズを通してみる米国のRESTRICT Act(法案)―」 (共著)などの論稿執筆も行う。

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