ウクライナ危機や米中摩擦による世界の分断が急速に進むなか、利害が対立する国との関係修復はより困難を極めていくだろう。かつて、第二次世界大戦後の日本はいかにしてアメリカとの関係を修復していったのか。そこでは東京都港区に位置する「国際文化会館」が大きな役割を果たしていた。<求められる日本の「引き算のデザイン」、GAFAがインテリアに凝る理由>に続き、完全な民間独立でありながらも国際的な役割を果たしてきた国際文化会館の現理事長・近藤正晃(まさあきら)ジェームス氏に、国際社会の進むべき方向や日本が担うべき役割について聞いた。
ロックフェラー財団が「日本に関与し始めたワケ」
白井:国際文化会館はロックフェラー財団からの多額の寄付により設立されています。ロックフェラー財団は、フィランソロピー(社会的な公益活動)を目的とし、石油産業で富を築いたジョン・ロックフェラーによって、1913年に設立された世界最大級の民間慈善団体です。
ロックフェラー財団はフィランソロピーを目的として活動する一方で、そこにはアメリカ政府関係者も数多く関与していました。アメリカからすると、第二次世界大戦直後のソ連による共産主義の拡大を防ぐだめに日本国民のマインドをアメリカ的な資本主義へと変えていく必要があったのでしょうし、ロックフェラー財団がアメリカ政府の人間を中にいれながらも非営利組織として活動することはロックフェラー家の利益にもつながっていたと思います。アメリカ政府は非営利のロックフェラー財団を利用して独占的な資本主義の遂行に対する批判をかわしていたのでしょうか。
近藤:現在の財団はプロフェッショナルで科学的な組織になっているものの、設立当初はロックフェラー家や国の有力者の影響も受けていたと思います。ロックフェラー家の初代はアメリカで独占的な資本主義によって巨額の富を成したため、憎まれることが多くありました。もともとキリスト教の文化から若い頃から寄付には熱心でしたが、結果的には財団が一族の名誉回復のために大きく寄与したことは確かです。しかしその後、流れは変わっていきました。
初代が設立した石油会社スタンダード・オイルには2代目も当初は在籍していましたが、3代目のジョン・ロックフェラー3世からはそこで働いていません。現在は5代目ですが、気候変動対策のために財団の資金は石油株には投資しないというところまで関与は薄くなっています。さらに、ロックフェラー財団の理事長には三代目までロックフェラー家の人が就いていましたが、それ以降は外部の適任者が就任しています。今は財団の理事にロックフェラー家の人はいません。
これは偶然ではなく、ジョン・ロックフェラー3世はロックフェラー財団を一族から離れた、真に公の機関にすべく一歩ずつ改革を進めたのです。このように、何代かを経て元の家が関与しないところに至る財団のケースは珍しく、これは成功例とも言えるでしょう。こうしてロックフェラー家はMOMA(ニューヨーク近代美術館)やシカゴ大学の創設などにも関わりつつ、徐々にプロの経営者に委ねて永続性を目指していきました。
「フィランソロピーへの議論」は続けるべき
近藤:フィランソロピーは、良くも悪くもチェック&バランスがない活動であるため、オーナーが自分の裁量で公益性を主張し、民主的でない形で資源を投与することが可能です。特にアメリカでフィランソロピーを始める人は巨大な富を持っていることが多く、政府以上の資金投入を行うこともあります。
このような形で市民生活に大きな影響を与える事業を行うこと自体に問題はないのかという議論が起こることは健全ですし、厳しい目で見られ続ける必要があるのは確かです。アメリカでは実際に、独占資本による利益の蓄積に対する批判や、寄附に対する税金をきっちり徴収し最終的にはパブリックマネーでの事業遂行をすべきだという意見もあるのです。
初めてロックフェラー財団の理事長にファミリーと関係のない人を迎えることに決めたのはジョン・D・ロックフェラー3世で、利益のしがらみをなくすために舵を切りました。彼は、さまざまな事業をプロフェッショナルな人にマネジメントさせることが成功への近道だということがわかっていたようです。しかし、当時副大統領の職務を終えてロックフェラー家のファミリービジネスに戻ってきた弟のネルソン・ロックフェラーは、財団自体はロックフェラー家のものだという考えを持っていたため、兄の決断に強く反対したそうです。結果的に、ジョン・D・ロックフェラー3世の決断が正しかったからこそ、ロックフェラー財団の活動が現代でも尊重されているのでしょう。
第二次世界大戦が終わった当初は、日本を資本主義へ引き寄せるためになされた行動もあったと思います。戦後の日米関係の強化、文化交流の促進、そして復興のための踏み込んだ施策を実行したのは、ロックフェラー家の人だったことに間違いはありません。それは日本の70年以上の平和と繁栄を生む基礎を作りましたが、今、国際秩序が再び不安定化する中で、その歴史をきちんと検証し、教訓を学ぶことが大切です。
日本とは段違いの「アメリカの寄付額」
白井:アメリカの税金が優遇される寄附制度の存在が、実質的には相続税を軽減することにつながり、富裕層の固定化を助長しているという側面はあるものの、ロックフェラー家のような富裕層が設立した財団が政府の対応できない社会課題に取り組むことはアメリカのパワーになっていると思います。例えば、米マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏によって設立されたビル&メリンダ・ゲイツ財団は、コロナ禍に入る前から感染症対策に取り組んでいました。このようにして、アメリカは社会課題解決のために素早く投資をしてきたのです。
一方で、日本政府は重要な社会課題が何かわかっていても、まだ起こっていない未来に対してなかなか資金を投じることができません。仮に政府が支出を決めた場合でも、問題を認知してから実際の行動に移すまでに相当の時間を要します。
また、長期的視点によって適切に資源配分をするアメリカのようなやり方を日本で実現しようとすれば、富裕層への優遇につながるのではないかという批判や、本当に必要なところにそのお金が使われるのかわからないという懸念の声も出てくると思いますし、そこにはそもそもまだ起こってもいない課題への資金投入をいかに評価するかというジレンマも生まれるでしょう。政府が対応できない課題は民間に任せるべきだという声もあります。いったい、どのようなバランスが望ましいのでしょうか。
近藤:フィランソロピーにとって最も重要なのは「実験的な資金」です。政府はしっかりと検証し、吟味されたものを国民に広く提供すると言う役割を持っていますが、フィランソロピストにはその試験段階で、失敗しても新しい実験をたくさん行うという役割があると思います。実験の数が少ない国はソーシャルイノベーションが起きにくくなります。そこには税制も含めた大きな改革が必要だと思います。
「税制を変える」だけではダメ
近藤:一方で、日本でもアメリカのような寄付金に対する税制優遇だけをすれば解決するわけではありません。私は以前、「一般財団法人あしなが育英会」の理事をしていたことがあります。これは事故、病気、災害、自殺などで親を亡くした子供たちに奨学金などの支援をする非政府組織です。2012年、世界の非営利団体で資金集めにおいて先駆的な取り組みをおこなった団体に贈られる世界ファンドレイジング大賞を、あしなが育英会・玉井義臣会長が日本人で初めて受賞しました。1967年の設立から今日までに1000億円の寄付を集めた実績が評価されたためです。
あしなが育英会への寄付のように、多くの人が有意義なことを支援するという日本人の国民性は、昔からお寺や神社、お祭りの場面などでよく見られました。例えば、東大寺大仏は当時の人口の約半分である260万人もの人々が協力して作られています。
どうしたらより多くの寄付を集められるのかという課題を考えるときは、寄付される側と寄付する側のどちらに問題があるのかについてのさまざまな意見が出てきます。「日本でもアメリカのような寄付金への大きな税制優遇があれば、たくさん寄付金が集まるのに…」という意見はよく聞きます。同様に寄付を受ける側ができる努力もたくさんあると思います。
例えば、アメリカの美術館では新しい展示会を祝してよくカクテルパーティが開催されますが、寄付者はそこに参加するだけで新しいアーティストなどさまざまな美術関係者と交流することができます。美術館側は参加者が寄付をしたくなるような場所づくりをしているのです。
このように、何か寄付をしたい、力になりたいと思っている人がいても、その気持ちを行動に移させる方法を考えていく必要がありますし、そこへの取り組みはまだ十分に行われていないと思います。仲が良い取引先の人から寄付してほしいとお願いされたから寄付をするというようなことはたくさん行われていると思いますが、そのような行動には限界がありますよね。結局日本には、アメリカのような寄付金への税制優遇と、人々に寄付したいという気持ちを起こさせるような努力の両方が必要なのではないでしょうか。
若者は良い意味で「国に期待をしていない」
白井:これは企業経営の組織設計に似ていますね。よく、「自社株をあらかじめ決められた価格で取得できるストックオプションなどの業績連動給があれば仕事を頑張るのに…」と言うサラリーマンがいますが、仮にそれがあったとしてもそもそも組織へのロイヤルティがなければ、業績連動給の枠組みをいかに最大限利用できるかにだけ考えがとらわれて、組織の長期的成長への貢献がおろそかになってしまいます。まず長期的視点での組織への貢献をしようとする人たちがいて、その人たちをサポートするのが業績評価の枠組みなのです。
寄付の観点から考えてみると、確かに美術館に寄附してもほとんどは何も見返りがありません。だからこそその美術館は寄付をしてもらえるような取り組みをもっとしていかねばなりませんし、寄付をサポートする税制も新たに作る必要がありますよね。そしてこれは日本の組織文化における根深い問題だと思います。どのようにすれば日本人の心に火をつけることができるのかを真剣に考えなければいけないですね。
近藤:そう思います。そうした中で、最近の若者は健全な発想を持っているとも思います。私は今年55歳で、バブルの終わり頃に社会人になったので、まだ日本企業に勢いがあった頃を覚えています。しかし今の学生たちは、そもそも生まれた年にはバブルが崩壊していたため、大企業や政府の威信に乗っかっていれば希望があり、これからサステナブルで社会正義がある日本が訪れるなどとは思っていません。そして彼らは、自分自身で未来を創る、そうしなければ良い未来は来ないとわかっています。
そういう人が増えていて、彼らは仲間を募って環境問題に配慮したグリーンな活動をしたり、子ども食堂を始めたりするなど、楽しく前向きに取り組んでいます。ですから、悲観的にならずに、そういう若者にもっとチャンスを与えていけるような制度を作っていきたいと思っています。
写真提供:国際文化会館(国際文化会館設立募金のためのティー・パーティー(1952年11月))