スペインの支配下にあったオランダは、1568年に市民革命を起こし、1579年にユトレヒト同盟を結成して覇権国の座に着いた。風力エネルギーを使った木材加工機で木造船舶を製造し、オランダは大航海時代の船舶の6割以上を保有、世界に交易を展開して支配した。風力を活用した機械は毛織物の加工や穀物の粉砕にも使われ、多くの産業を興して経済力をつけた。その後、東インド会社を作り、多くの船舶で世界での貿易事業を進める一方、アムステルダム銀行をつくって金融センターとなり、グローバル化を進展させた。
ただ、国内での産業革命には限りがあり、内需拡大に歯止めがかかった。フランスとの戦争、イギリスとの戦争で疲弊し、衰退に向かった。航海条例や軍事力から貿易利権を独占できなくなり、新大陸との中継貿易でイギリスに敗れていった。
イギリスでは1642年に清教徒革命が起こった。クロムウェルが航海法をつくりオランダに挑戦。蒸気機関をもとにした産業革命を起こし、近代資本主義経済を創り上げた。名誉革命以降、他の列強より優位に立った理由の一つは対外借入能力にある。ナポレオン戦争直前の1797年に、イギリス政府は戦費を調達するために金兌換を中断、多額の政府債務を調達した。
1815年、ワーテルローの戦いに勝ったことでイギリスは覇権国となった。ニューコメンが蒸気機関を発明、アークライトが織機を発明し、鉄道産業、造船産業、繊維産業を興した。インドから綿花を輸入し、より生産性の高い繊維機械を開発して、インドの綿製品であるキャラコ衣料を国産化。インド、アジア市場に輸出し、発展を遂げた。やがてイギリス海軍をバックに船で世界の商品の交易に力を注ぐようになり、金融資本をベースに外国を次々と植民地化して富を収奪した。
一方で、国内産業の発展は停滞し、イギリス経済は弱体化していった。アメリカなどの植民地から税金を徴収したり、インドの茶を高く売りつけることで国費を賄おうとしたが、アメリカが反発して英米戦争に発展した(1812~1815年)。
経常収支は黒字構造から赤字構造に転換した。ドイツからの賠償金が世界恐慌で支払われなくなると、債務が急増、国際収支が悪化した。金融不安が強まり、ポンドの価値が急落、イギリスから金が流出した結果、イングランド銀行も金本位制を放棄せざるを得なくなり、1931年に金本位制が停止された。1939 年8月には、為替平衡勘定からの資金流出が止まらなくなり、相場支持も停止された。
第二次世界大戦でドイツとの戦いには勝利したが、多額のポンド建て対外債務を抱え込むことになった。1945年12月には、IMF協定受入れで為替管理権を放棄する一方、英米金融協定で借款を確保した。1947年7月15日を期限とするポンド交換性回復を義務付けられたことで、1946年末ごろから金やドルの流出が本格化した。
ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスの歴史を見てきたが、覇権国の衰退局面に焦点を当てると、国内経済の衰退、戦争での疲弊、借入の増加、資本の流出といった、ある程度の共通項を見て取ることができるだろう。過去の覇権国と異なって、持続的な借入を可能とした仕組みを構築している世界最大の負債国である米国の覇権と比較してもおもしろい。
(株式会社フィスコ 中村孝也)
本原稿は、「覇権国が衰退する時(1):オランダ、イギリス【フィスコ世界経済・金融シナリオ分析会議】」の続きとなる。