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2024.09.27 経済金融

50年以上続く中国の差別的戸籍制度、農村出身者が背負う人生の「ハードル」

中島 恵

 中国で今、さまざまな社会・経済問題が噴出している。2024年7月の若年層の失業率は17.1%と厳しい状態が続く。不動産不況も深刻だ。中国恒大集団の債務問題を筆頭に、多くの不動産企業が経営難に陥っている。少子高齢化問題の解決も糸口が見えない。2023年の出生人口は約902万人と、政府は3人目までの出産を認めたものの、子どもの数は一向に増えず、人口減少に拍車がかかっている。

 このような問題は、それ自体の深刻さに加え、個別の事情もある。ただ、中国をウォッチする上で、すべての問題、事象に通底しているのが、戸籍制度に根差す格差問題だ。中国の戸籍制度を知れば、なぜこうした問題が起きているのかについて、その一端を理解することができる。

 そこで、本稿では、中国の戸籍制度について、筆者が取材で直接中国人から見聞きした話を交えながら、解説し、その実態をひも解いていきたい。

就職難を深刻化させる戸籍制度

 中国の戸籍制度ができたのは建国(1949年)から9年後の1958年。計画経済時代、都市の重工業発展のため、都市住民の食料供給を安定させ、社会保障を充実させ、農村から都市への人口流入を防ぐことなどを目的として制定された。以来、1980年代に改革開放が本格化しても、農村から都市への移動は厳しく制限されており、現在でも一部を除いて継続されている。

 中国人の戸籍(中国語では「戸口」という)は主に2つに分けられる。都市戸籍(非農業戸籍)と農村戸籍(農業戸籍)だ。全ての人はこのどちらかに属している。現在、おおまかに都市戸籍は45%、農村戸籍は55%となっており、農村戸籍保有者は社会保障、教育、医療などの面で、常に都市戸籍保有者よりも不利な状況に立たされている。これがさまざまな場面で格差や不公平感を生む大きな要因の一つになっている。

 具体的に見てみよう。まず、都市戸籍とは都市に生まれた人が持つ戸籍という意味だ。しかし、人口規模や地域による具体的な定義はなく、詳細は複雑なので、ここでは北京市、上海市などの巨大都市のケースについてのみ説明する。北京市の場合、都市戸籍は2つに分けられる。個人戸籍と団体戸籍(中国語では集体戸籍)だ。このうち、個人戸籍とは生まれも育ちも北京市の人の戸籍を指す。これは最もシンプルなパターンだが、中国に生まれた限り、最も有利な立場に置かれ、進学、就職、社会保障の面で優遇された生活を約束された人々である。

 団体戸籍とは北京市に住んでいるものの、生まれながらの北京人、いわゆる北京っ子(中国語では「老北京」と呼ばれる)とは明確に区別されるものだ。団体戸籍はさらに3つに大別される。(1)農村や地方から北京市や上海市の大学に進学した際に一時的に入れる「学校集体戸籍」、(2)転勤などで一時的に北京市に滞在する際に入れる「北京駐在員事務所集体戸籍」、(3)転勤などではなく北京市で企業に採用され、働いている人の「勤務先集体戸籍」――の3種類だ。

 (1)の学校集体戸籍と(2)の北京駐在員事務所集体戸籍は、いわば準・北京市民戸籍として扱われ、北京市にいる間は教育、医療、社会保障といった行政サービスは個人戸籍の人とほぼ同様に受けられる。しかし、これは制限がついた一時的なもので、大学を卒業したり、北京勤務が終わったりしたら、戸籍は元の戸籍に戻される。

 10年以上前、中国で「蟻族」という言葉が流行語になったことがあった。北京市などの大都市の大学を卒業後、就職ができなかったり、就職できても収入が少なすぎてアパートを借りることができなかったりした若者を指す。そうした若者は、日当たりの悪い部屋などで、アリのように集団で暮らしていたが、ほとんどが地方や農村出身だった。彼らは前述の(1)の戸籍を与えられ、大学在学中の保障は問題なくあるものの、卒業後はそのまま北京市に残ることはできない。引き続き北京市に住める戸籍がないからだ。

 そのような人々を採用する企業は、上記の(1)から(3)に移籍できるよう、手続きしなければならない。ただ、それをできるだけ避けるため、もとから北京市出身の卒業生を雇用する傾向が強い。北京市出身者ならば家族が住む住居もあるが、地方出身者では住居探しが必要となり、戸籍の移動には面倒な手続きが必要だからだ。現在では、かなり改善され、地方出身者も優秀であれば企業は採用するようになったが、こうした戸籍制度があるために、現在も就職難がより深刻化している面がある。統計はないが、北京市出身の大卒者であれば、地方出身者よりも比較的就職しやすい傾向は現在もある。

ライフステージを左右する、都市戸籍の高いハードル

 筆者は20年ほど前、東京近郊にある有名な劇団に所属する中国人俳優を取材したことがある。その俳優は中国の地方出身で、北京市にある芸術関係の団体に就職が決まっていた。だが、どうしても日本で挑戦してみたくて、北京市の就職内定を蹴り、日本にやって来た。その時のことについて、その俳優は「母親に泣かれました。なぜ、北京市の団体戸籍がもらえて、北京市で働けるという千載一遇のチャンスを逃してまで日本に行くのか、と言われたのです」と話していた。当時、筆者は、中国の戸籍制度について知識が乏しく、その深い意味を理解することができなかったが、地方出身の中国人にとって、大都市の都市戸籍(団体戸籍)を持つことは人生で重要なことなのだ。

 団体戸籍については、もう一つ、よく記憶しているエピソードがある。2014年頃、北京市にある日系企業で働く女性に取材したことがある。その女性は内陸部の出身で、日本留学を経て北京市で就職。団体戸籍の(3)に属していた。もうすぐ結婚するというタイミングで、北京市からバスで1時間ほどの新興住宅地のマンションを購入したと話してくれた。そこで筆者が「では、結婚に向けて準備が整ったというわけですね」というと、女性は「それもありますが、マンションを買ったいちばんの理由は未来の子どものためです」と答えたので驚いた。

 女性の発言には次のような背景がある。当時の制度では、この夫婦(夫は地方出身で地方の政府系機関勤務)の場合、子どもを自分の戸籍(団体戸籍の(3))に入れることができず、女性の本来の農村戸籍に入れるしかない。そうなると、子どもは就学時になったら、地方に戻し、親子が離ればなれになってしまう。女性によれば、北京市内の学校に入れることも可能だが、通える学校は限られ、通常以上にお金もかかるので現実的ではないという。

 そうした理由から、女性は子どもを自分の戸籍に入れて、手元で育てるため、マンションの購入がどうしても必要だったと話してくれた。当時の取材メモによると、団体戸籍から転出して個人戸籍に移すことができれば、子どもを手元で育てられるが、その手段は自分名義の住所を持つこと、つまり、不動産を持つことだったのだ。不動産を持つことができれば、生粋の北京人と同様の個人戸籍を持つことができ、子どもとも一緒にいられるという話を聞いて、筆者は驚かされた。

 その後も複数の地方出身者で北京や上海に在住している人々に取材したが、彼らの多くは年々高騰する不動産を購入することができず、苦慮していた。「価格が高いから」という理由だけではない。団体戸籍保持者は、北京市などの大都市に移住後、数年以上納税しなければならないことや、独身者には所得額など追加条件がつけられることなどがあり、それをクリアできない人が多かったからだ。同じように大都市で働いているのに、生まれ(戸籍)が違うという理由だけで、不動産を購入できないのである。

 こうした制度は、現在は徐々に改善されており、都市に住む団体戸籍保持者に不利な問題は減っている。ただ、もともと都市出身者の場合、1990年代に不動産を安く購入でき、それを転売して、現在は富裕層へとのし上がっている人がいることを思うと、生まれながらの戸籍がいかに中国人の人生を左右しているかが分かる。

都市戸籍より圧倒的に不利な「農村戸籍」

 一方、農村戸籍については、上記で説明した都市戸籍のような分類はなく一つだ。しかし、都市戸籍よりも圧倒的に不利で、都市に自由に引っ越しすることはできない。都市に移住するためには、都市の大学に合格したり、企業の就職試験に合格したりしなければならない。

 しかし、農村から都市の大学に合格することは、良い教師が少ない、学習塾が少ないなど学習環境が整っていないなどの理由だけでなく、合格点が異なるなど、根本的な点で格差がある。例えば、北京市出身者が北京市内の大学を受験する際の合格ラインを100とすると、北京市以外の省の出身者が同じ北京市内の大学を受験する際の合格ラインは150など高くなる。就職については、前述した通りだ。基本的に、農村戸籍に生まれたら、それを何らかの方法で変えないかぎり、都市出身者と同じチャンスは与えられないということだ。

 このように、生まれながらの差別的な制度が存在するため、一部の中国人は、戸籍による差別がない日本など海外に留学するという手段を選ぶ人もいる。日本では外国人であっても、日本人と同等に日本の教育や社会保障を受けることができ、外国人でも自由に不動産を購入することができるからだ。そのため、中国人の中には「中国ガチャから解き放たれて、日本で一から出直したい」と考える人も多い。

 現在、中国では、こうした1950年代から続く戸籍制度を改革しようと、2014年頃から取り組みが進められている。例えば、2023年8月、人口300万人までの都市の戸籍制度は廃止され、300~500万人までの都市の戸籍制度は大幅に見直しするといったことが行われている。

 筆者の知人男性は内陸部の湖南省の農村で生まれ、上海市の日系企業に勤務していたが、数年前、上海市に隣接する、同社の工場がある江蘇省太倉市の都市戸籍を取得した。同市の人口は約54万人(2023年末)で、戸籍制度が廃止された都市だったからだ。そのこともあり、この男性は市内に新居を購入することができ、子どもも、地元出身の子どもと同じように就学できた。北京市、上海市、広州市といった巨大都市の場合、まだ戸籍制度改革は進んでいないが、このように地方都市では徐々に改革が進められている。そのため、この男性のように、巨大都市に通勤可能なベッドタウンの戸籍に入ろうと考える人も多い。

 長らく中国人の移動や進学、就職の足かせとなってきた戸籍制度。緩和の動きがあるものの、十分とはいえない。都市に人口が過剰に流入すれば、都市の行政が担う社会保障の負担は増え、受験や就職などの競争もより大きくなるので、都市住民の抵抗も大きな要因だ。しかし、戸籍の壁による人流の硬直化は、有為な人材確保を目指す都市部の企業や大学にとっても大きな妨げになっている可能性もある。50年以上にわたって行われてきた同制度を完全に撤廃するにはまだ時間がかかりそうだ。

写真:Ullstein bild/アフロ

地経学の視点

 毛沢東の大躍進政策時代から続く、中国の戸籍制度。当初は国全体の成長を念頭に置き、合理的と目されて作られた制度と考えられるが、成長を遂げた中国にはそぐわないものとなってきた。経済的な繁栄とは裏腹に、生まれた地域によって人生が大きく左右される姿には、西側で生きるわれわれからすると、少なからずいびつさを感じてしまう。

 当然ながら、農村部にも有能な人材は多くいる。古い戸籍制度により、そうした有為な人材を発掘できないとなれば、今後の成長にも響いてくる。何よりも、格差の是正という観点からも制度改革を止めるという選択肢はないであろう。半面、人口の都市流入による弊害も無視できず、ジレンマにあるのが現状だ。

 さて、生まれた場所や環境で人生が決まってしまう社会は果たして中国だけの問題なのだろうか? 日本でも「親ガチャ」という言葉がはやったように、実は他人事ではないのかもしれない。階層が固定化すれば、政治も社会も硬直化する。中国の現状を傍観するだけでなく、教訓としていきたい。(編集部)

中島 恵

ジャーナリスト
山梨県生まれ。北京大学、香港中文大学に留学。新聞記者を経てフリージャーナリスト。主に中国、香港などの社会事情、ビジネス事情を取材。主な著書に『中国人エリートは日本人をこう見る』『なぜ中国人は財布を持たないのか』『日本の「中国人」社会』 『いま中国人は中国をこう見る』『日本のなかの中国』(以上、日経プレミアシリーズ)、『「爆買い」後、彼らはどこに向かうのか』(プレジデント社)、『中国人のお金の使い道』(PHP研究所)などがある。