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2024.07.31 経済金融

大統領選を占う不法移民問題、統計が示す景気との不都合な関係

窪谷 浩

 米国では2021年のバイデン政権発足以降、メキシコとの南部国境からの不法移民が急増し、治安悪化の懸念を背景に政治問題化した。共和党がバイデン政権の失政と批判する中、11月の大統領選挙で移民問題は主要な争点となるなど、これまで政治面で注目されてきた。これに対し、米議会予算局(CBO)が2月に不法移民の大幅な流入増加を背景に労働力人口や経済見通しを上方修正したことで、エコノミストを中心に不法移民の経済的な効果にも関心が高まっている。

南部国境からの不法移民急増で政策転換

 メキシコ国境を越えて米国に不法入国し、身柄を拘束された人数(不法越境者数)が近年、急増している。その増加ぶりは、トランプ政権下の2020年度(19年10月~20年9月)の40万人から、バイデン政権となった21年度には166万人と、政権交代後に顕著に表れている(図表1)。さらに、22年度は221万人と1960年の統計開始以来最高となったほか、23年度も205万人と前年度に次ぐ高水準となった。

図表1:メキシコ国境からの不法越境者数

(注)国境警備局が南西国境での入国不許可、逮捕、国外追放した人数の合計
(資料)税関・国境取締局よりニッセイ基礎研究所作成

 不法移民が増加した要因として、コロナ禍に伴い中南米諸国で失業者が増加し、米国に働き口を求める人が増えたことや、ベネズエラなどの国の政情不安が挙げられる。さらに、強硬な不法移民政策を導入したトランプ前政権と異なり、バイデン大統領が人道的な観点から不法移民に寛容と捉えられてきたことも指摘される。実際にトランプ前政権では亡命を希望する不法移民が難民申請手続きを行う間、従前の米国内ではなく治安が悪いメキシコに待機することを定めた「移民保護プロトコル」を導入したが、バイデン大統領は非人道的だとして同措置を撤回した。

 不法移民が増加する中、2022年6月には大型トレーラーで不法入国しようとした50人以上の不法移民が遺体で発見されるという凄惨な事件が起こった。危険を冒してでも米国入りを目指す人々が増えた結果、越境失敗による死亡事故が相次ぎ社会問題化している。

 また、長い間、不法移民の流入に伴う治安悪化は、南部州の問題と見なされてきた。しかし、2022年以降、共和党が知事を務める南部のテキサス州やフロリダ州が、民主党の基盤とする州にあるサンフランシスコ市やニューヨーク市に不法移民を大量に転送したことから、こうした地域でも治安が悪化している。

 このため、ギャラップ社による2024年2月の調査では「大量の不法移民が米国の極めて重要な利益に対する重大な脅威である」と回答した割合は共和党支持者が90%と圧倒的多数となったほか、無党派層でも54%と過半数を上回った。さらに、これまで不法移民に比較的寛容であった民主党支持者の間でも前年の20%から29%へと増加しており、民主党支持者の意識にも少なからず変化がみられる。

 バイデン大統領は批判が高まる不法移民問題について、不法移民の合法化を含む移民政策の抜本的な改革を議会に求めているものの、与野党の分断が進む中で合意形成が難しくなっている。移民政策に関しては民主党、共和党の中でも意見が分かれており、党内の意見集約さえ困難な状況だ。この結果、米国の移民政策はさまざまな問題を抱えつつ、1980年代後半以降は議会による移民制度改革は事実上頓挫しており、大統領権限で移民問題に対応するより他に選択肢はないのが現状だ。

 こうした中、バイデン大統領は従前の不法移民対策から軌道修正を行ってきた。具体的には、不法移民の強制送還の取り組みを強化したほか、トランプ前大統領が推進した南部国境の壁建設についても一部容認する姿勢に転じている。また、2024年6月5日には南部国境で不法移民との遭遇件数が一定数を超えた場合に入国制限措置が有効となる大統領布告を発表したほか、同月18日には米国人の配偶者や親を持つ移民が永住権を取得しやすい措置を発表するなど、大統領選挙を睨んで国境強化策と不法移民の人権に配慮する政策の間でバランスを取っている。

エコノミストの注目集めたCBOの評価

 不法移民問題は治安悪化懸念を背景に、主に政治面からネガティブに捉えられてきた。だが、今年2月にCBOが近年の不法移民流入の増加を踏まえて労働力人口や経済見通しを上方修正したことから、エコノミストを中心に不法移民の経済面におけるプラスの影響について関心が高まっている。CBOは議会が経済や財政の意思決定に際して必要とされる客観的でタイムリーな分析を超党派的な立場から提供する組織。原則年2回発表する財政・経済見通しの内容は毎回注目されている。

 今年2月に発表された経済見通しでは2023年の労働力人口予測が1年前に比べて187万人上振れしたほか、24年は287万人、25年は393万人と大幅な上方修正が続く。これらの要因として移民流入の増加を挙げるCBOは、移民を「合法的永住権所持者」、学生や一時的な労働者を含む「移民国籍法に基づく非移民」、不法入国者や移民裁判所の手続きを待っている人などが含まれる「不法入国者等」――の3つのカテゴリーに分けている。

 このうち、合法的永住権所持者や移民国籍法に基づく非移民は前年の見通しからほとんど変化がない一方、最近の南部国境からの不法移民の増加を背景に、不法入国者などが上方修正の大半を占めた(なお、CBOは高水準の不法移民の流入が2026年以降、過去の平均的な水準に戻ることを想定している)。

 また、CBOによると、米国の人口増加率は2022~25年に1%前後高い伸びを示した後、34年には0.4%程度まで低下が見込まれるものの、先進国では堅調な伸びを維持する見通し(図表2)。もっとも、内訳をみると、人口増加の大きな要因は不法移民の流入であり、これらの流入を除くと人口増加率はわずか0.1~0.2%程度にとどまることが示されている。

図表2:米国の人口増加率と寄与度

(注)出生数-死亡数、純移民流入は人口増加率に対する寄与度
(資料)議会予算局よりニッセイ基礎研究所作成

 このような予測を前提に、CBOは移民によって2027~33年の個人消費が2%、住宅投資についても10%それぞれ上昇するとみている。これにより、実質GDP成長率は24~34年の年平均で0.2ポイント増、経済の実力を示す潜在成長率も今後10年間の平均で1年前に示された1.8%から2.0%へと0.2ポイント増の上方修正がなされた。

 さらに、不法移民の増加が米国のインフレ抑制に貢献しているとの見方が強まっている。米国では、経済がコロナ禍から正常化する過程で労働力不足が顕在化した。また、労働需給の逼迫(ひっぱく)を背景に、賃金上昇率がFRB(連邦準備制度理事会)の物価目標2%を大幅に上回り、インフレ高進の要因となった。もっとも、賃金上昇率は依然として物価目標を上回っているものの、2022年以降、緩やかながら低下基調に転じている。これは移民労働者の増加に伴う労働供給力の回復により、労働需給の逼迫状況が改善されて賃金上昇圧力が緩和されたためとみられる。

 このような状況を踏まえ、不法移民を含めた移民の経済効果を再評価する動きが広がっている。多くのエコノミストは2023年初時点で、年後半以降は景気後退に陥ると予想していたが、実際には予想に反して底堅い個人消費を背景に堅調な経済状況となった。移民の経済効果の分析が拡がる中、米国経済が想定外に堅調を示した要因として、不法移民の急増に言及するエコノミストが増えている。

スタグフレーションリスクの可能性も

 不法移民問題は11月の大統領選挙の主要な争点となっている。ユーガブによる世論調査によると、2024年2月調査で「移民問題」が最も重要な争点と回答した割合が18%と、「インフレ」の16%を上回りトップのテーマとなったが、5月調査では移民問題12%、インフレ23%と逆転されて2番目となった。ただ、共和党支持者が1~4月に回答した調査結果で、移民問題が最も主要な争点であることが判明し、依然として関心の高さがうかがえる。

 不法移民問題を巡っては、バイデン氏は既存の政策で対処しつつ、議会に対して包括的な移民制度改革を求めている。一方、トランプ氏は国境の壁建設の推進やビザ発給の厳格化などに加えて、不法移民を数百万人単位で強制送還する方針を示している。

 CBOの労働力人口や経済見通しは、足元の政策が継続することを前提としている。従って、大統領選から撤退表明したバイデン氏が後継候補として支持するハリス副大統領が当選した場合、移民政策に伴う経済見通しへの影響は限定的となる可能性が高い。これに対し、トランプ氏が返り咲いた場合には移民人口が大幅に減少する可能性が高く、不法移民の減少が労働力人口を抑制して成長率も押し下げるとみられる。また、労働供給の減少を通じて労働需給逼迫から賃金上昇を背景にインフレ上昇圧力が高まるため、景気が後退していく過程でインフレーションが同時進行する「スタグフレーション」のリスクが高まるだろう。

 米国では労働力不足が続いている。また、米国でも緩やかながら少子高齢化が進んでおり、労働力人口の増加率低下に伴う潜在成長率の低下は不可避だ。米国の人口増加はほぼ移民増加からもたらされており、労働力不足の解消や米国経済の成長維持には一定程度移民を流入させる必要がある。

 ただし、いくつか懸念もある。バイデン政権下で急増する不法移民は短期的には労働力人口や成長率を押し上げて経済にプラスに働くとみられるものの、根強い治安悪化の懸念などを背景に有権者からの批判が高まっており、現在の政策が持続できるとは考えにくい。一方、トランプ氏が目指す不法移民の大幅な削減は短期的なスタグフレーションリスクを高めるほか、長期的にも潜在成長率を押し下げる可能性が高い。

 このため、大統領選挙後の政権運営では、誰がトップに立っても移民政策の軌道修正が避けられないだろう。今後、米国がどのような移民政策を実施するのか、政治面だけでなく経済面からもその動向が注目される。

写真:ロイター/アフロ

地経学の視点

 トランプ氏の暗殺未遂にバイデン氏の撤退表明――。2024年の米大統領選では予想もつかないことが次々に起こる。特に民主党では11月の選挙本番まで残り約100日となる段階で、候補者が変わる異例の事態を迎えた。バイデン氏が後継候補として支持するハリス副大統領を担いで挙党態勢で戦えるかどうかが今後注目される。

 そのハリス氏はバイデン政権で不法移民問題を担当したが、国境に足を運ぶことがほとんどなく成果も上げられずに力量不足が指摘された。CBOの試算によると、バイデン政権下の4年間(2021~24年)の不法移民の純流入数が計730万人に達する見通しだ。押し寄せる移民によって雇用が奪われ、治安も悪化したと感じる人々にとっては看過できない状況となり、その怒りや不満が外国人排斥や自国第一主義に向けられている。

 その一方で、筆者が指摘するように不法移民が消費や労働力供給、賃金上昇圧力の抑制などで一定の役割を果たし、経済を活性化させる一助になったのは確かだ。良くも悪くも米国に大きな影響を及ぼし続ける「諸刃の剣」の扱いは、2025年以降の新政権に委ねられる。(編集部)

窪谷 浩

ニッセイ基礎研究所 主任研究員
1991年日本生命保険相互会社入社、1999年NLI International Inc.(米国)、2004年ニッセイアセットマネジメント株式会社、2008年公益財団法人国際金融 情報センター等を経て、2014年10月より現職。日本証券アナリスト協会検定会員