英国で下院総選挙(定数650)が7月4日に行われ、最大野党・労働党が14年ぶりに政権を奪った。景気が回復基調にあるにもかかわらず、与党・保守党のリシ・スナク政権は敗れた。保守党政権が実現したブレグジット(英国のEU離脱)の負の側面が見られる中、EUとの関係は変わるのか。そして、保守党政権期、中国の脅威を念頭に「インド太平洋への傾斜」を掲げ、日本との連携強化を図ってきた政策は、労働党政権で変容するのか。現代英国政治外交を研究する東京大学大学院の小川浩之教授に聞いた。(聞き手:鈴木英介=実業之日本フォーラム副編集長)
——14年ぶりに政権交代が起きました。労働党は議席の6割超を獲得し、数字の上では圧勝です。
労働党が「堂々と」勝ったと言えるかは評価が難しいところです。英国では、すべての下院議員が、各選挙区で最も票を得た候補者のみが当選する小選挙区制度によって選ばれますが、労働党の得票率自体は33.7%と前回から1.6ポイントしか上がっていません。得票率で言えば、2019年の前回選挙で「大敗」した労働党ジェレミー・コービン前党首時代とあまり変わっていない。他方で、保守党が負けたのは確かです。得票率を43.6%から23.7%まで大きく落とし、議席数も選挙前の371から121に激減しました。
得票率で言えば二大政党を合計しても6割に届かず、多党化が進みました。自由民主党や、反欧州・反移民を掲げる右派のリフォームUK、環境重視の緑の党、地域政党では北アイルランドのシン・フェイン党、ウェールズのウェールズ国民党などが、前回総選挙から得票率を伸ばしました。それでも、結果的に労働党は議席の過半数を確保しました。今回は小選挙区制度の長所、つまり安定与党を生みやすく政治の安定につながりやすい点と、死票が多くなるという短所が両方極端に出た選挙だと思います。
「経済に強い」はずの保守党への失望
——スナク前政権は、景気後退から脱却し、不法移民対策も打ち出すなど大きな失点はないように見えるのですが、なぜ負けたのでしょうか。
確かに今年に入ったぐらいからGDPやインフレ率はかなり改善されましたが、物価自体は高止まりしています。「Cost of living crisis(生活費危機)」と呼ばれますが、英国では一時期、前年同月比11%超もの物価上昇が起きた。インフレが激しい欧州諸国の中でも突出した状況でした。
アナリスト出身で、財務大臣も務めたスナク氏は経済のプロなので、マクロ経済の改善イコール市民生活の改善と考えたのかもしれませんが、インフレが沈静化しても市民の生活実感は苦しいままです。スナク氏は、妻がインド財閥の娘ということもあり、英国歴代首相の中で最も裕福だとも言われます。庶民感覚と乖離があったのかもしれません。
そもそも保守党は、伝統的に「経済に強い」のが売りです。しかし、スナク氏の前任のリズ・トラス氏は首相就任早々、財政的な裏づけなしに大幅減税を打ち出し、マーケットの失望を呼びました。国債価格は暴落して長期金利が急上昇、ポンドがほぼドルとパリティ(等価、1ドル=1ポンド)になりかけ、対ドルで史上最安値をつけました。短期的な金融危機と言っていい状況です。
トラス氏は金融市場の信頼も保守党内での信頼も失い、史上最短の49日で英国首相を辞任しました。経済に強いはずの保守党が経済を大混乱させ、経済のプロのスナク氏も人々の生活レベルを好転させるほどではなかった。こうしたことが敗因にあると思います。
EU離脱は失敗だったのか
——政権交代の背景には、保守党政権下で実現したEU離脱が良い結果を生んでいないという市民の不満があったという見方もあります。
EU離脱は選挙の直接的な争点ではありませんでした。労働党もEU復帰を掲げて選挙をしていたわけではありませんし、復帰のハードルは高い。よかれあしかれEUは高度に統合が進んでおり、他の国際的な枠組みと両立させることは非常に難しいからです。
例えば、英国がEUに復帰するには、TPP(環太平洋パートナーシップ)協定から脱退する必要があります。EUの基礎は関税同盟です。EU域外からの輸入品に対して、同じモノであれば、同じ関税率がかかる。EUに復帰すれば、英国は2023年7月に加盟が承認されたばかりのTPPによる12カ国間での自由貿易の枠組みに残ることができなくなります。
——最近の英国の世論調査では、5割超の人が「EU離脱は失敗だった」と答えています。EU離脱は、英国にとって良かったのでしょうか。
極端かもしれませんが、良かったことはほとんどなかったと思っています。確かにEUに加盟していることでさまざまな制約はあります。EU法は国内法に優先し、農業政策や環境政策などに係る厳しい規制があります。しかし、脱退のデメリットがあまりに大き過ぎます。
2016年の国民投票の前から残留派は、「EUから抜けることは大きな経済的ダメージがある」と主張していました。しかし、後に首相になる保守党のボリス・ジョンソン氏はじめ離脱派は、残留派が「Project Fear(恐怖戦略)」によって、EUから脱退するデメリットを訴えて脅している、と主張しました。当時、ジョンソン氏やイギリス独立党(現在はリフォームUK)のナイジェル・ファラージ氏は、「EUから離脱すれば英国がEUに払っている分担金が節約できるので、NHS(国民保健サービス)に週3億5000万ポンド回せる」と言っていましたが、それは不正確でした。拠出金だけじゃなく、EUから英国への還付金や、EUが払う農業や地域開発に係る補助金などもあるので、差し引きの負担額はそんなに多くないからです。
EUでは単一市場という形で、モノ、サービス、資本、人が国境を越えて自由に移動します。そのことを「四つの自由」とも言います。英国は離脱前から自国通貨・ポンドを維持していましたが、EU現加盟国27カ国のうち20カ国はユーロ導入国で、通貨も統合している国が7割を超えます。経済的に言えばあたかも一つの巨大な国であるかのような巨大市場を形成しています。
英国は主に移民の流入によって人口が増え続けていますが、それでも6700万人ちょっとです。それに対して、EUは英国が抜けてもなお約4億5000万人の巨大マーケットで、域内では基本的に自由に商取引ができる。そこから抜けてしまうのは、とりわけ英国の大企業にとって厳しい。彼らは大陸欧州(英国など島国を除く欧州)も含めてビジネスするのが前提になっていましたし、だからこそ海外から投資も呼び込めたわけです。
輸出だけじゃなく、輸入コストも上がった。英国のインフレはロシア・ウクライナ戦争の影響や、国際的な原油価格の上昇などさまざまな要因がありましたが、EU離脱でEU域内からの輸入品の価格が上がりました。
人手不足もEU離脱の影響が大きい。私はここ20年間、何度もロンドンを訪れていますが、少なくとも庶民的なレストランや小売店で生粋の英国人が接客することはほとんどありません。多くは最近入ってきた欧州系か、2世、3世のインド系などの移民が働いています。しかし、離脱後、英国の移民制度は技能などに基づくポイント制となり、欧州大陸から人が入ってきにくくなりました。人手不足で賃金も上がり、スーパーの営業時間が短縮されるなど、生活も不便になってインフレの一因にもなっています。
英連邦やインド太平洋は「ポストEU」の柱になるか
——英国は、大英帝国時代の旧植民地を中心とする56カ国・25億人の「英連邦(The Commonwealth)」という枠組みを持っています。経済協力も行っており、GDPで英国を上回るインドも加盟しています。英連邦はEU離脱の埋め合わせになりますか。
即効性はありません。確かにインドのポテンシャルは高い。人口が多く、中国のように人口は減り始めてませんし、若年人口も多い。けれども依然として貧富の格差は非常に大きい。アジア、アフリカの英連邦諸国は生産年齢人口が増える国が多く、経済成長率も高い。何十年という単位で見れば、英連邦が徐々にEU離脱の穴を埋めていくだろうと思いますが、短期的には難しい。
先んじて成長した国という意味では、英連邦には、白人の移住植民地だったカナダ・オーストラリア・ニュージーランドといった国があります。それらの国々は豊かだとはいえ、3カ国を合計した人口やGDPは、英国、あるいはフランスとさほど変わりません。マーケットとしての価値は英仏1カ国分ぐらいです。
距離の遠さが貿易に負の効果を及ぼすという、経済学の「重力モデル」的な観点から言っても、英連邦諸国との遠さは英国にとって不利です。希少なモノは別として、世界中で普通に作られるモノの貿易に関して言うと、距離が遠くなるほど輸送コストなど負の効果がかかってくる。複数国で工業製品などを分業する場合でも、地理的に集積している方がコスト面で有利です。
それに、英連邦のすべての国が関係強化を歓迎しているわけではありません。例えばインドは英国にとって難しいパートナーです。インドは冷戦期以来、非同盟政策を掲げ、外交が巧みです。冷戦時代も米国とソ連を両てんびんにかけ、どちらかに傾きすぎることもなく、両国から利益を得ています。
これは言うは易く行うは難しで、冷戦期には第三世界の多くの国々が同じことを試み、うまくいったように見えた場合もありましたが、結局は米ソの対立に巻き込まれるなど、手痛い「しっぺ返し」を受けることがほとんどでした。インドは米ソ双方からうまく援助を引き出しつつ、本格的な「しっぺ返し」を受けずに切り抜けることができた数少ない国の一つだったと思います。そこには、やはりインドの「大きさ」や国際政治上、地政学上の重要性が影響しています。
もちろんインドは大国としてのプライドも高い。ジョンソン政権時、英国政府はインド太平洋地域への傾斜をうたいました。それに関して、閣僚経験もあるインドの国会議員は、「英国が大英帝国の時代のように再び英連邦のリーダーのようにふるまおうとすれば、インドではそうした試みは失敗に終わるだろう」と発言しました。インドは自国の利益を第一に考えるし、英国による植民地支配の歴史も忘れていない。インド太平洋で実利を得るのは一筋縄ではいかないでしょう。
——スターマー政権はどのような政策をとっていくのでしょうか。
保守党政権時代から政策が劇的に変わることはないと思います。労働党政権には福祉重視や増税というイメージもありますが、スターマー首相もレイチェル・リーブス財務大臣も、「人々の生活を立て直すためにはまず経済成長が必要だ」と繰り返しています。環境政策は推進するでしょうが、脱成長的な意味での環境重視ではなく、中道的な経済政策を取っていくと思います。
EUとの関係改善は図るでしょうが、実効性のある手段は少ない。「英国はノルウェーやスイスのようにEUと付き合えばよいのではないか」という人もいます。ノルウェー、スイスともEU非加盟国ですが、EUの関税同盟や単一市場には欧州経済領域(EEA)や二国間協定を通じて入っていて、1人当たりGDPは世界トップレベルです。しかし先に申し上げたように、英国が関税同盟・単一市場まで踏み込むとTPPと両立できなくなります。
スイスやノルウェーは、EUに加盟せずEUの経済的なメリットだけを享受しているように見えますが、域内の制度を作ったり変えたりする議論に関わることは基本的にできず、結果は全部受け入れる。これは人口1000万もいない小国だからとれるスタンスであって、英国ほどの国力を持つ元覇権国がEUに黙って従うことは、プライドやメンタリティーの面からも難しいでしょう。また、そもそも離脱派がブレグジットによって獲得しようとしたはずの「独立」や「主権」の価値も疑わしくなります。
一方、英連邦やインド太平洋地域へのシフトも、中長期的にはあり得ますが今すぐではない。戦後、英連邦を本格的に制度化するとき、わざと緩やかな組織とした面があります。英国に金融や軍事面でのパワーが不足していたためでもありますが、加盟国間の制度や義務を強めてタイトな組織にすると「新植民地主義だ」と批判されかねないため、あえて緩やかにしました。英連邦の関係を強めてタイトにすれば、英国が数十年前に避けようと努めた批判を受けることになりかねません。
「脅威」あっての準同盟関係
——現在、日英関係は良好で、日英伊による次期戦闘機共同開発も決まりました。日本はインドのように英国に植民地支配されたこともなく、かつては同盟も結んでいました。共に海洋国家でミドルパワー国でもあります。今後、日英関係はうまくいくでしょうか。
半分期待もしつつ、そんなに簡単じゃないとも感じます。確かに、日本は大英帝国の一部になったわけではないですし、お互い海洋国家です。とりわけ近年、南シナ海などにおける中国の強硬な海洋進出への警戒感もあり、地理的にアジア太平洋に位置しない英国にとっても、シーレーンにおける中国の脅威は増しています。日英で安全保障面も含めた協力が進んできたし、スターマー政権も日英伊の次期戦闘機共同開発は続けると言っています。労働党政権も基本的にはその路線で進むでしょう。
半面、日英関係の強化は中国の脅威に依存するところが大きい。保守党のデーヴィッド・キャメロン政権の途中ぐらいまで、英中関係は「黄金時代」と言われるほど親密でした。その後、中国は習近平政権となり、拡張主義的な動きを強めました。安全保障面だけでなく、かつて英国が統治していた香港における「一国二制度」の形骸化や、新疆ウイグルでの人権問題など、中国の人権や自由、民主主義への弾圧に対し、特に保守党政権は批判的になっていきました。裏を返せば、日米関係や他の西側諸国と提携を強める意味では、中国の拡張主義が結果的にメリットになっているのです。
基本的に同盟や準同盟的な関係は、共通の外的脅威があってこそ成立するものだとは思いますが、同じアングロサクソン系が中心で「特別な関係」と言われる米英のような結束が、日英にあるわけではない。英国にとっては、2010年代から変わらず中国の方が日本より貿易額は多い。だから安全保障面の変化は別として、経済的に見ると「黄金時代」の状況はあまり変わってないわけです。
それでも、民主主義を守る砦としての日英関係は、権威主義や独裁主義が力による一方的な現状変更を試みている今だからこそ、より重要性を増していると思います。西側の大国である米国がポピュリズムや深刻な政治・経済・社会の分極化によってグラついていますから、中規模の自由民主主義諸国が協力していかないといけない。
日英は、「法の支配に支えられた自由で開かれたインド太平洋」という国際秩序の文脈で接近していますが、それを国内に敷衍して考えればどうなのか。少数者への配慮や、意見が分かれるところでしょうが移民や難民への処遇など、そういったところは「自由」で「開かれている」のか。他者に自由民主主義の意義を訴えるのであれば、まず自らを省みるべきです。その点、スターマー首相は地味ですが、人権派弁護士や検察トップなどとして、地道に社会や政治や経済の問題に取り組んできました。自由や民主主義という価値観を維持しようとしていく人物だと、今のところ私はみています。
小川 浩之:東京大学 大学院情報学環 教授
京都大学法学部卒業、京都大学大学院法学研究科修士課程修了、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院国際関係史研究科修士課程修了、京都大学大学院法学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(法学)。愛知県立大学外国語学部専任講師・助教授・准教授、東京大学大学院総合文化研究科准教授・教授を経て現職。
地経学の視点
英国は国家主権を守ることへの強い意志がある。EU加盟時から、英国はユーロを導入せず、シェンゲン協定(EU域内において国境検査なしで国境を越えることを許可する協定)にも加盟していない。通貨や国境管理に係る主権を手渡してまで欧州と連携を深めようとはしなかった。
かつて同盟関係にあった歴史や、日英伊による次期戦闘機共同開発など、日英の結び付きは強いが、英国の主体性を譲るものではない。小川教授の「中国という共通の脅威あっての連携強化」という指摘は、安全保障面での両国関係の本質だろう。
他方で、英国には民主主義を守ろうとする矜持がある。総選挙後、スナク首相は退任会見で「有権者の怒りと失望の責任を取る」と述べ、政敵・スターマー氏にエールを送った。世界でポピュリズムが広まる中、スナク氏の民主主義に対する真摯な姿勢はすべての西側諸国が学ぶべきだ。
米バイデン大統領が次期大統領選から撤退し、政権のレームダック化が懸念される。西側のリーダーとしての米国のパワーは、少なくとも一時的には削がれるだろう。自由・民主主義という共通の利益を守るため、ミドルパワーの日英が再び「同盟」を結ぶ、という筋書きはあっていい。(編集部)