ゲスト
須賀千鶴(前・世界経済フォーラム第四次産業革命日本センター長)
2003年に経済産業省に入省。2016年より「経産省次官・若手プロジェクト」に参画し、150万DLを記録した「不安な個人、立ちすくむ国家」を発表。2017年より商務・サービスグループ政策企画委員として、提言にあわせて新設された部局にて教育改革等に携わる。2018年7月より、デジタル時代のイノベーションと法、社会のあり方を検討し、グローバルなルールメイキングに貢献するため、世界経済フォーラム、経済産業省、アジア・パシフィック・イニシアティブによるJV組織の初代センター長に就任。国際機関のネットワークを活用しながら、データガバナンス、ヘルスケア、スマートシティ、モビリティ、アジャイルガバナンスなど多様な国際プロジェクトを率いる。2021年7月より経済産業省 商務情報政策局 情報経済課長。
聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)
白井:いままでのお話を伺い、スマートシティの知見をいち早く学び、自分たちの文化に合った形で仕組みづくりをおこない、素早く実践に移さないと、国際的なデジタル社会のリセットには取り残されてしまうということがよく理解できました。今後の日本人及び日本に不足しているものは何だと考えておられるでしょうか。
須賀:日本人として、もう少し頑張ってもらいたい、頑張らなければならないと思うのは、試行錯誤を恐れてはいけないという点です。発展途上での段階で試行錯誤をしていることそのものが大事です。世界もうまくいったことを自慢してもらうことを期待しているわけではありません。「こうやってみたけどダメだった」、「ここで落とし穴に気づかなかった」というようなことを含めて、その知的貢献というものを大いに多とする人たちがイノベーションの先端にいます。その人たちが、一番先端でルール作りをしているのです。日本にはそこに入るようなメンタリティを持つ人が非常に少なく、どうしても、そのグループに入ることができません。とりあえず、アーリーアダプターがやっているのを眺めて、失敗したところは、「ああいうところで失敗する」というふうにメモって、なるべく失敗しないように後からついていくという行動をしてしまうのです。
そうすると、時代が進み、イノベーションが同時多発的に大量に起こり、ものすごい規模でリセットが起きているときに、一番面白い先頭集団にいることはできません。
私たちの第四次産業革命センターは、各国のセンターの中で2番目に設立されました。
スピードにこだわって急いで設立した背景には、常に、生煮えかもしれない、あるいは甘いかもしれないが、アイディアのイノベーション、知的なイノベーションが起きているところに身を置いておこう、首をそこへ出していこうと考えたものです。日頃のセンターの運営も、そのことを念頭に置いています。
白井:いま、須賀さんが指摘された日本人の感覚、失敗を恐れるという感覚が問題であるということは、多くの人も同じように指摘されています。答えにくいかもしれませんが、須賀さんはどのあたりに原因があると考えていますか。
須賀:私は、他国センターの人たちと話をし、立ち居振る舞いをみて思ったことが二つあります。その一つは、日本人はアンビギュイテイ・マネージメントが苦手な人が多いということです。アンビギュイティというのは不確実性ですので、足元が定まらないような状態で、不安になり過ぎない、失敗するかもしれないがそこに立ってみようというようなメンタリティというか、そのような状態でも精神的に不安定になり過ぎないという力が欠けているように思います。
私たちのセンターには、各企業だとか役所から非常に優秀な若い人達がフェローとして来ていただいています。来ていただいているフェローさん達は、周りから、あのセンターは、何をやろうとしているのか、あまり方針が明確ではないが大丈夫なのかと言われるそうです。このアンビギュイティ、周りも不安、その不安が自分に投げかけられてくるという状況をマネージできるようになりましょう、これがイノベーションの近道ですということを、ずっとフェローさんとも認識を共有するようにしていました。
それから、日本人の特徴のもう一つは、アンビギュイティと並んで多様性を持つ集団のマネージメントが苦手であるということです。日本は同じような環境にいた人たちの集団のマネージメントしかできない人が多いので、女性を含めて、人とは違う、同じロジックや阿吽の呼吸では動いてくれない人のマネージメントがすごく苦手ではないかと思います。私たちのセンターでは、意識して、留学生ですとか、外国人ですとか、そういう人をチームに入れています。そのような人たちとのコミュニケーションをつうじて、グループをマネージメントする能力をつけていかないと、イノベーションの最先端領域にはいられないと思っています。
白井:日本人が、須賀さんが言われるような、不確実性と多様性を受け入れることができるようにするためには、どのような方法があると思われますか。
須賀:言葉にすると、とても陳腐になってしまいますが、「不確実性も、多様性も当たり前」という感覚を持つことでしょうか。やってみると相当難しいと思います。
たとえば、「オープンイノベーション」という言葉があります。「オープンイノベーションをやりましょうと」言われて、これに反対する人はほとんどいません。でも、この「オープンイノベーション」というのは相当面倒くさい作業です。自分たちの組織であれば「あれをやっておいて」で通じるものが、世の中がこうなっていて、私たちはこうこうこういうふうにする人だから、こういうときにこういうふうにやってほしい、それを私たちは「あれ」と呼んでいるというふうに、いちいち定義して説明していかなければなりません。それを少しでも間違えたり、誤解が生じていたりすると全く違う方向に行ってしまいます。このように、自分の組織の中のロジックが通じない相手とコラボレーションして成果を出していこうとすると、自分でやったほうが早いというふうに誰もが思います。
そのときに、でも、なぜ私たちはマルチステイクホルダーのコラボレーションをやりましょう、それが正解ですというふうに自信を持って申し上げているかというと、クオリティにちゃんとこだわると、自分たちで全部内製化できるものなどデジタル時代には一つもないということなんです。このことを虚心坦懐に受け入れないと、縮小均衡するばかりで、自分たちだけにしか通用しない製品を作り上げ、結果として国際市場で負けてしまうということです。
従って、オープンイノベーションのスキルを、日本の組織が組織として持つ、それは楽でもなければ楽しいことでもない、苦行であるということを覚悟し、やろうとすることが必要かなと思います。
白井:須賀さんは2021年7月には出向元の経済産業省に戻られるとお聞きしています。いまお教えいただいた形で、民間の方は組織としてオープンイノベーションのマインドを作り上げるように努力するということとなると思いますが、行政側として、どういう形でイノベーションの萌芽を拾い上げて育てていくのか、どういう形でアジャイルガバナンスを実践するのか、どういう形でデジタル社会に向き合ったら良いのかというような点についてお伺いできるでしょうか。
須賀:国家に勤務する人間は、特別視され、なかなかフラットにプレーヤーとして受け入れられないという側面が、日本に限らずどの国でもあります。他方国家のほうも、自分達だけはなぜか特別で、ルールは作るが、それを守るべき一員とは考えていないという面があります。たとえばデータ・ガバナンスのルールとか、コーポレートガバナンスのデータ版みたいなものを考えたとき、それを企業に「こういうガイドラインを守ってください」と簡単に言いますが、それを自分たちも守ることにした場合、そのような体制を組めるのか、組めているのかというようなことを考えてもいない。常に、規制とかルールといったものは、自分たち以外の誰かに投げかけるものというように、無意識に思っているところがあります。これはよくも悪くもルールメイキングを、過去、国家が独占してきたことの帰結だと思います。
今後のデジタル社会で一番面白いところは、国家であろうが、企業であろうが、自治体や個人であっても、それぞれ一つのノードにしか過ぎないという点にあります。もちろん、それぞれが出来ることの違いはあります。政府は、ルールを作るだけではなく、コンプライアンスも求められます。たとえば、データ漏洩の防止に関しては、企業が行うことばかり議論していますが、国民のDNA情報を、お金が足りなくて売ってしまった国が実際に存在します。これは当然やってはいけないことですが、国家を縛るルールがないためやってしまった。しかしながら、今後デジタル社会では、国家も企業も同様に、同じ基準で法令を遵守する必要があります。同等の主体同士であるという感覚が必要です。私はこのセンターでそのような感覚を教えていただいたと思っていますので、政府に戻ってもそれを実践したいと考えています。
白井:アメリカの競争力の源泉は、政府と民間とのリボルビングドア(回転ドア)にあると言われています。新たに設置された日本のデジタル庁も民間からの登用が多いと聞きます。そう考えますと須賀さんは、経済産業省から第四次産業革命センターに出向され、世界を相手に活躍され、そして経済産業省に戻るという、まさにその先駆けであったように思います。昔は、天下りはありましたが、その逆はほとんどありませんでした。デジタル時代の日本の回転ドアについて、その理想論、ビジョンというものをお聞かせ願えるでしょうか。
須賀:現在デジタル庁、平井大臣が情報漏洩で大変な状況となっていますが、あれも個人の問題ではなく、日本政府全体として、民間の人に中に入っていただき、一緒のチームとしてコラボレーションすることが具体的にはどういこうことなのかについて整理が不十分であったことに起因しているように思います。たとえば、利益相反を含めて、どういったルールが最低限必要なのかというような、インフラが整わないままに、時間を優先して先頭を走っていただいている結果、起きた問題ではないかと思います。これは、個人に帰着する問題ではなく、日本政府がこれまであまりにも、国家公務員試験に合格して公務員となった人間は、当然秘密は守る、当然利益誘導はしないと思い込んでいることに問題があると思います。非常に同質性の高い集団であることを前提に運営しているルールや文化を転換する、書き換えていくという作業が、まさに起きていると思います。デジタル庁に関しては、長い目で、温かい目で見ていく必要があると思います。
将来的には、リボルビングドアがいいのかどうかということではなくて、そのときに最善の、最高品質の政策を作り、よりベストな意思決定をしていくためにはどのような布陣でなければならないのかということが優先されると思います。その結果として、霞が関の中の人ではできないということで役所の中で納得が得られれば、外部の人をお願いするといったプロセスがこれから起こるのかなと思っています。
白井:非常に楽しく、かつ有益なお話を聞かせて頂きました。ありがとうございました。
須賀:どうもありがとうございました。
(本文敬称略)
【編集後記】 須賀千鶴さんとの対談を終えて
文:白井一成
世界経済フォーラム第四次産業革命日本センター(C4IRJ)は、2018年7月、世界経済フォーラム、経済産業省、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブの連携により設立され、須賀千鶴さんは初代センター長として就任されています。1年半ほど前のある会合で須賀千鶴さんに初めてお目にかかり、聡明で快活な方だという印象を受けました。機会があれば、C4IRJのお話を深く掘り下げて伺いたいと考えていたところ、今回の対談企画が持ち上がり、対談を依頼させていただきました。経済産業省に戻られる直前の非常にご多忙のなか、日程を調整いただいて非常に感謝しております。
経済を武器とした大国同士の覇権争いである地経学時代の幕開けとともに、第四次産業革命の進展によって、データの収集や蓄積、解析などが企業のイノベーションをもたらし、国富や国力をも左右することになると予想されています。
また、法定デジタル通貨で先行している中国は、2021年7月にデジタル人民元にスマートコントラクト機能を追加実装すると発表しました。これは、金融情報だけでなく、それを経済活動のトランザクションに紐付けることで、あらゆる情報を網羅的に取得できる可能性を示唆しています。それらを取得し、保持することになる人や組織は、大きな富と権力を形成することになります。このような文脈で、デジタル人民元の進展と一帯一路構想、中国のデータガバナンスなどを読み解き、中国の戦略を想定する必要があるかもしれません。
須賀さんが示された各国のデータ管理に対する考え方である、企業が保有するアメリカ型と、個人に帰属するヨーロッパ型と、国家管理の中国型の3つのパターンのどれを選択するのかによって、国家の競争優位性の構築に大きな影響がありますので、これに従って国家間の競争状態を把握する必要があります。なお、中国はブロックチェーンサービスネットワーク(BSN:ブロックチェーンアプリケーションを低コストかつ短時間で作成することを可能とした、中国によって管理されたインフラネットワーク)の、2021年10月におけるメジャーアップデートに際して、Decentralized Identifier (DID)を追加実装することを発表しました。詳細は不明ですが、中国政府が関与するコンソーシアムでデータは管理されるものの、ユーザーは表面的にはデジタルアイデンティティを自分自身で保有します。中国政府に異を唱えなければユーザーに帰属する利益は大きくなり、ユーザー視点では「欧州のモデル」とあまり変わりません。これは、テック大手の影響力を削ぐという最近の中国の方向性に符合しています。
C4IRJ在任中に須賀さんが取り組まれてきた国際公共財としてのデータガバナンスが実現できれば、国家などの参加者には多大な共通の利益をもたらします。これには、各国や企業が競争上囲い込みたい領域と、各国が共通して活用できる非排除性と非競合性を備えた領域(国際公共財)を峻別し、国際的な規範やルール(国際レジーム)の策定が必要となります。
しかし、このような「自由・開放」と「囲い込み」のバランスは、多くの参加者が自身の利益を優先することから、しばしば「囲い込み」に偏りがちになります。
すでに足元では、米中の鍔迫り合いによるデータの囲い込みが先鋭化しています。
アメリカは、アメリカで上場する海外企業の外国政府の支配・管理下にないという立証義務が不十分であると判断した場合、3年間で改善できなければ、上場を廃止するという「外国企業説明責任法」を2020年12月に成立させましたが、これはアメリカ市場で上場する中国企業200社超を狙い撃ちにしていることは誰の目から見ても明らかでした。
一方、中国政府も、自国の海外上場企業が海外機関へのデータの引き渡しを強制されることを懸念しており、2021年7月には、中国のサイバースペース管理局が、100万人以上のユーザーデータを保有する企業は、海外に株式を上場する前に国家安全保障上の審査を受ける必要があると発表しました。2021年10月に施行される中国のデータ・セキュリティ法によって、中国国内で生成されるデータの越境について厳しく制限され、国家安全を損ねると中国政府が判断した行為については責任を追及されることになり、中国国内外の企業が収集した中国のデータを囲い込むこととなります。
昨今の急速に競争力を増した中国や中国企業の成功要因については、須賀さんの滴滴(ディディ)についての指摘が明快です。
「外資系プラットフォーマーのサービスを中国国内で提供できないように、ファイアウォールを設けて遮断するところから始まります。そして、国内の滴滴のように、本来はグローバルな競合が強すぎて芽が出なかったはずのサービスが、国産のプラットフォーマーとして成長する。海外企業に世界に例を見ない厳しい規制を課すことにより、国内でイノベーションが花開き、これらの企業が逆にグローバルな市場を取りに行くような体力を国内市場で身に着けたということです」
これは滴滴に限ったことではなく、多くの中国企業の伸展に当てはまる構造です。しかし、この源流はアメリカを中心とする西側諸国が創り出したと言っても過言ではないと思います。
ニクソンの中国電撃訪問から始まった米中融和は、クリントン政権時には、「中国の経済発展の潜在的能力及びすでに相当程度大きな軍事力を考慮すると、中国が地域の脅威とならないことが重要である。そのためには、広範な米中関係を構築し、最終的には中国を地域の安全保障メカニズムや国際的な軍備管理の仕組みに参加するように慫慂する」といった「関与政策」が大きく進展しました。その背景には、中国を、アメリカを中心とする世界システムに統合することにより、中国の民主化が進むという期待がありました。
クリントン政権は中国の人権問題を不問に付して、中国に対して恒久的最恵国待遇を付与し、WTO(世界貿易機関)の加入(途上国優遇措置)を後押ししました。グローバル企業が中国の安価な労働力を活用し、中国の巨大な消費市場へのアクセスと引き換えに、中国に対し自国企業の保護と育成などといった競争上の恩恵と、アメリカや他の西側諸国市場での自由と開放を与えました。中国には外貨が投資資金としてなだれ込むと同時に、輸出産業が巨額の貿易黒字を稼ぎ出し、莫大な富の形成と蓄積、高度な技術力の獲得を進めてきました。
しかし、中国はGDPで世界第二位になった今も、自らは途上国であるとの主張を行い、優遇措置を享受し続けている一方、西側諸国は中国排除に動きつつも、基本的には自由で開かれた市場という信条への自縛によって、中国の大半のアクセスを許しています。加えて、アメリカが想定した民主主義体制への転換がなされず、その豊富な資金によって軍事的脅威として台頭したことにより、アメリカの対中姿勢はトランプ政権によって「関与」から「競争」に転換されました。
また、中国の専制的な政治体制がデータ時代には適しているという可能性と、国家に管理されることにさほど違和感を持たない中国の国民性について須賀さんが指摘されています。国家がデータを収集し、迅速に意思決定を行い、最適なオペレーションを組み、国民が素直にそれを受け入れることで、経済効率は上昇します。一方、西側諸国については、データは複数の主体に分割管理されており、民主的という時間のかかるプロセスで意思決定され、様々な法律の制約により最適なオペレーションが構築できず、個人の権利を主張するユーザーによって仕組みそのものが骨抜きにされるという事にもなりかねません。中国モデルが正しいと言うつもりは毛頭ないのですが、西側諸国の経済効率は中国に劣後する可能性があるということです。
これらのような、西側諸国と中国との政治体制の違いによって生み出される経済的な競争上の非対称性は、地経学競争時代の大きなキーワードだと考えています。
最後に須賀さんは、日本の組織には不確実性と多様性を受け入れる素地が不足していると指摘されています。
不確実性へのマネジメントには、情緒的な判断や批判、少数の権利保護ではなく、合理的な意思決定能力を身につける必要があります。考えうる将来のシナリオを描き、振れ幅を想定しつつ、打つ手を確率的に評価し、コンセンサスを形成する必要があります。しかし、企業、国家を問わず、今の日本では合理的な意思決定が行われていないように感じています。戦前の日本においても同様の指摘がなされていることから、日本の組織文化的な問題である可能性が高いと思います。
また、複雑で刻一刻と変化する世の中に対しては、自分自身の競争優位の前提を一から考え直し、自分自身を改変する必要があります。多様性を受け入れることは、イノベーションを育むことに繋がります。多様性は、異質なものを受け入れることで、現状の既成概念との差異を明確にさせます。その2つを止揚させることで、新たな自分自身を生み出すことができます。
現在の日本は、須賀さんがリセットと表現されている巨大で根底から変化するデジタルイノベーションの波に直面しています。今の日本は、野口悠紀雄先生(一橋大学名誉教授)が私との対談で指摘されたレガシーと呼ぶ既存秩序との相克を恐れ、変化から目をそらしている現状であり、「カエルをいきなり熱湯にいれると飛びだすが、カエルをゆっくり熱すると温度上昇に気づかず、最後には茹で上がって死んでしまう」という環境変化への対応の難しさを説く「茹でガエルの法則」そのものです。また、日本は、「改善」は得意である一方、根本的で戦略的な「改革」は苦手とされてきました。しかし、今後の時代を生き抜くためには、過去に積み上げた資産にあぐらをかくのではなく、自ら古い秩序を捨てて、改革の意思とその実行によって、イノベーションを起こす必要があります。
私は、これらの2つの点の背後に潜む組織文化に光を当て、解決策を模索する必要があると考えています。今後の日本を占う上で、非常に重要なテーマであるため、機会を改めて論じてみたいと思います。