この原稿は「日本が歩むグローバル金融センターへの道(2)域外利益を捨てた香港」に続くものである。
「透明な法体系」の観点についてはどうだろうか。香港では厳格なルールに基づいて法の運用がなされており、その通りに行動すれば問題になることがない。税務の例では、ルールが非常に単純で明快である。もちろん意図的な脱税は重罪に処せられるが、税率が高くないため、脱税のインセンティブがそもそもあまりない。納税者の顧問会計士(すべての会社に監査が義務付けられている)が適切だと判断した申告を行えば、基本的には税務当局からの納税者への税務調査は行われない。そのため、納税者も税務当局も申告業務にかかる精神的、時間的な負担はほとんどない。
このような香港の状況に比べると、日本は相当劣後していると言わざるを得ない。例えば、税務申告では、納税者や税理士がルールに基づいて正しいと思った申告であっても、定期的なオンサイト税務調査を行ったうえで税務当局が判断する場合が少なくない。納税者と当局の見解の違いがあれば、税理士を介して議論を行うが、最終的には納税者が折れて修正申告せざるを得ないケースが散見される。納税者は、事前に当局の判断を十分に仰ぐことができず、税務調査毎に税務の判断が覆るかどうかに(悪意がなくとも)怯えることになる。また、納税者も税務署も税務調査対応に多大な時間を費やすことになることから、効率的でないという指摘がある。これらの曖昧さは極めて日本的である。西欧社会の常識からは理解ができず、恣意的な当局の介入とも映るだろう。
「透明な法体系」でも香港は優れていた。2020年3月11日に公表されたアメリカ国務省の「2019年人権報告書」では、「恣意的逮捕または留置・拘留」に関する言及量は、香港の単語数は530であったのに対し、日本は959であった。前年に比べ、全般的に言及量が増えている。香港に関する記述は、前回までは非常に簡潔なのが特徴であった。しかし今回は、デモの影響もあり、説明がかなり増えたのが特徴的である。その点では不透明感の高まりを如実に表している。「恣意的逮捕または留置・拘留」に関する言及の冒頭は、「法律は、恣意的な逮捕および拘留を禁止し、法廷で逮捕または拘留の合法性に異議を申し立てる人の権利を規定しており、政府は一般にこれらの要件を遵守」とされた。それに続き、前年に「政府は一般にこれらの要件を遵守」と記述されていた部分が、今回は「抗議に関連して、恣意的な逮捕のいくつかの主張がなされた」という言及に変わった。
香港の透明性が失われるという懸念も存在するようだ。2020年6月に、米国商工会議所が在香港の米国企業180社を対象に行った調査でも、国家安全法の懸念点として、64%が「法の範囲と強制の曖昧さ」を挙げている。一方、日本については、冒頭の部分は「法律は恣意的な逮捕と拘留を禁止。市民社会組織は、民族のプロファイリングと外国のイスラム教徒の監視を終了するよう警察に促し続けた」と記載されている。定性的ではあるが「原則はあるけれど……」という書き方が多いというのが一つの特徴である。「カルロス・ゴーン事件」に関する記述も新たに加わった。
外国人は法の恣意的な運用を嫌うが、日本は文化的にもある程度の恣意性が働きやすい。日本での「法の運用の問題」は根が深く、「カルロス・ゴーン事件」もうやむやとなりつつある。2020年3月に公表されたZ/Yenによるグローバル金融センターランキングでは、東京が3位、香港が6位であった。前回(2019年9月)は東京が6位、香港が3位であり、今回の結果だけを見ると東京に可能性があると喜びたくなるところであるが、これまでの議論からは、香港の「クロスボーダー取引のハブ」機能を奪うことは相当難しく、表面的なランキング結果を鵜呑みにするのは難しいと言わざるを得ないだろう。金融センターの競合相手は香港だけでもない。また、日本経済が好調なときでも対内直接投資が少なかったが、日本の産業力が凋落している状態では、さらに魅力が薄れているだろう。
真正面から日本の弱みに立ち向かうのは、得策ではない。従来のシステム下での実現は困難を極めようが、デジタルであれば、新しい領域なので、既得権益への悪影響を限定的にしつつ、新たな税制などのルールを導入することは比較的容易であろう。
(株式会社フィスコ 中村孝也)