◇以下は、FISCO監修の投資情報誌『FISCO 株・企業報 2018年春号 −仮想通貨とサイバーセキュリティ』(4月28日発売)の特集『仮想通貨のゆくえと日本経済』の一部である。また、8月3日発売予定の書籍『ザ・キャズム~今、ビットコインを買う理由~』(フィスコIR取締役COO/フィスコファイナンシャルレビュー編集長 中川博貴著)のダイジェスト版となる。全14回に分けて配信する。
ビットコインは、この世に誕生してからまだ10年も経過していない。2017年に最大20倍以上に膨れ上がったビットコインの価格を見て「中世オランダのチューリップ球根以来のバブル」だと評する声もあったが、これはバブルなのだろうか。ビットコイン投資に機関投資家が本格参入している今、その将来性を悲観するのは早計であろう。貨幣の歴史そのものに立ち返ることで、仮想通貨の本質的価値とその未来、これから日本経済が進むべき道を探る。
仮想通貨の価値は、なぜ上がるのか
ビットコインはバブルを起こしているのか?
過去のバブルは、借り手の信用の実態を遙かに超えた倍率の「レバレッジ」がかかったことで起きていることが多い。まるで、本来の力では持ち上がらないような岩が、「てこ」をうまく使えば軽く持ち上がるように。
ビットコインには現在、過剰なレバレッジは観測されていない。株式の数倍のスピードで交換価値が成長するので、今までの常識とは違い、レバレッジを効かせて取引する必要がないほどのボラティリティ(値動きの激しさ)に恵まれているともいえる。
過去のバブルは、急激に膨張した信用が金融市場に混乱をもたらし、その結果として経済が悪化するという経路をたどっている。過度な信用創造が経済の成長を上回ったことから、経済の悪化経路が逆転したものと考えられる。
その点でいえば、ビットコインの価格高騰はバブルとは異なる。ビットコインを担保にして融資をするといった信用創造のしくみが、まだ整備されていないからだ。ビットコインに代表される仮想通貨は、経済や金融の観点でいえば、中長期に価値が上がらざるをえない資産であると考えられ、投資のポートフォリオに組み入れてもいい金融商品のひとつといえる。
取引所においてはマネーロンダリングを警戒する金融機関も少なからずあり、顧客との決済口座の開設すらままならなかった時期もあった。ICOも含めて、仮想通貨関連企業の資金調達が進んだ面もあるが、ビットコイン先物が上場し、既存の金融が仮想通貨市場へ参入してくるのはむしろこれからである。
市場は常に「間違っている」
米著名投資家のジョージ・ソロスは、株式相場の高騰や下落といった社会現象には「可謬性」があると説いた。可謬性とは、哲学用語で「誤り(誤解)が生じうる」との意味合いを含む言葉である。
すべての人間は、世界を完全に理解することはできない。ソロスは、あらゆる人間が本当の現実を把握できておらず、把握できているのは常に現実の一部でしかないと捉えている。あらゆる人間が認識しているつもりの「現実」は、それぞれが、客観的な現実とは少しずつ異なる「現実」なのである。つまり、大勢の人間による誤解、すなわち「現実」の積み重ねが、社会の「現実」をも動かしてしまうのである。
ソロスは、現実から乖離し、差異が拡大していく「現実」が生まれる現象を「正のフィードバック」とし、現実へ近づき、差異が縮小していく「現実」が生まれることを「負のフィードバック」と位置づけた。そして、負のフィードバックは「現実」に近づくまで延々と繰り返されるが、正のフィードバックは永続的ではなく、いつか必ず負のフィードバックに切り替わると考えた。
つまり、市場を支配しているのは大勢の人間の心理であり、相場は常に上にも下にも振れることとなるのが当然の姿である。しかし、時間の経過とともに現実へと近づいていくことになるのだ。
(つづく~「仮想通貨のゆくえと日本経済vol.7仮想通貨の価値は、なぜ上がるのか【フィスコ世界経済・金融シナリオ分析会議】」~)
フィスコ世界経済・金融シナリオ分析会議の主要構成メンバー
シークエッジグループ代表 白井一成
フィスコIR取締役COO 中川博貴
フィスコ取締役 中村孝也
【フィスコ世界経済・金融シナリオ分析会議】は、フィスコ・エコノミスト、ストラテジスト、アナリストおよびグループ経営者が、世界各国の経済状況や金融マーケットに関するディスカッションを毎週定例で行っているカンファレンス。主要株主であるシークエッジグループ代表の白井氏も含め、外部からの多くの専門家も招聘している。それを元にフィスコの取締役でありアナリストの中村孝也、フィスコIRの取締役COOである中川博貴が内容を取りまとめている。2016年6月より開催しており、これまで、この日本経済シナリオの他にも今後の中国経済、朝鮮半島危機を4つのシナリオに分けて分析し、日本経済にもたらす影響なども考察している。