コロナショックと戦争(2):第二次世界大戦中の日本株式市場

2020.05.20

今回は、「コロナショックと戦争が類似している」という点を念頭に置きつつ、第二次世界大戦中の日本株式市場を振り返ってみたい。第二次世界大戦中の日本株は、全体として上昇した。太平洋戦争の開戦時の株価指数は140前後で推移していたが、ピーク時に220を突破し、200前後で終戦を迎えたと言われる。もっとも、物価の上昇はそれを大きく上回るものであった。

第二次世界大戦中の株式市場では様々な介入が行われた。株価安定のために1940年 9月に日本証券投資会社が設立、1941年3月には株価操作機関として日本協同証券が設立された。投機取引に関する規制が強化され、1941年8月に株式価格統制令が出された。同令は政府が株式の最低価格を決定できるとし、開戦以後は最高価格も決定できるようになったが、実際に実行命令が出されることはなかった。

サイパン島失陥による戦況の悪化以降は、より徹底した株価維持対策が採られた。1944年8月以降、戦時金融金庫による買い出動が実施された。東京大空襲を受けて、戦時金融金庫は、1945年3月9日の最終価格である「3・9価格」で各銘柄の無制限買付を行った。通信、交通網の被害で株式売買・受渡が困難に陥ったため、7月2日からは戦時金融金庫に代わって日本証券取引所が買い出動した。1945年8月9日のソ連参戦を機に株式取引は停止に追い込まれ、8月9日の株価である「8・9価格」が戦前・戦時期の最終価格となった。

戦時金融金庫による株式買入代金(1944年7月1日~1945年6月20日)は8.9億円、日本証券取引所による株式買入代金 (1945年7月2日~8月9日)は2.9億円に上った。太平洋戦争(日中戦争を含む)における名目上の戦費総額(一般会計と特別会計)は約7,600億円であり、戦費との比較感からは規模は限られたものの、8・9価格は3・9価格水準を大幅に下回ることがなかったことから、戦況悪化にもかかわらず株価維持オペレーションは一定程度奏功したと見られる。

コロナショック以前から、日本、中国では、株式市場に対する政府の関与は強まっていたようにも思われる。そして追加的な金融緩和政策のオプションとして、FRBやECBによる株式購入も挙がりやすい。足元では堅調な株価だが、3月に付けた二番底を試すことになれば、金融当局による積極的な市場介入も実現性を増すのかもしれない。

その一方で、日本では5月に改正外為法が施行され、「国の安全等を損なうおそれのある投資への適切な対応」として事前届出の対象が見直された。米国では、政権からの強い要請を受けて、5月13日、連邦退職貯蓄投資理事会は予定していた中国株投資の延期を発表した。マーケットにおいても新型コロナウイルスの影響、米中覇権争いが大きな流れを作っている。



(株式会社フィスコ 中村孝也)


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