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2020.04.27 安全保障

新型コロナ(Covid-19)、元統合幕僚長の岩崎氏が語る安全保障・組織・法律

岩崎 茂

先日の新聞記事に安倍総理があるメディアに対し、今回の新型コロナウイルス(Covid-19)との戦いを「第三次世界大戦」と発言された、と報じられた。我が国の新型コロナウイルスの感染者は日々増加している。また、諸外国と比較して死者の数こそ少ないものの、今後も増えていくものと推測される。この状況を捉えて安倍総理は4月8日、7都府県に対して、大東亜戦争後初の「新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づく『緊急事態』」を発令した。また、4月16日には、先の7都府県以外でも感染者が拡大傾向にある事から、この宣言を全国に拡大することを決心された。国の指導者、リーダーの最大の責務は、国家・国民の生命財産を守り、国益を維持増大させる事である。国民の不安が増大し、死者も毎日増加しており、いつ収束するか出口が見当たらない状況である中で、そのような決断を下されたのだろう。また、この被害が全世界に広がっていることから、安倍総理としては「第三次世界戦争」との表現を使用されたものと思慮している。

ここで各国の対応を見ておこう。

私は今年1月、偶然にも台湾を訪問する機会があった。残念ながら今回の訪台は、私の親友である台湾参謀総長の沈一鳴大将の葬儀参列が主目的であった。この時に初めて武漢市周辺の肺炎に関してうかがった。台湾では昨年12月、武漢周辺で異常な肺炎を伴う感染症が蔓延しつつある事実を既に掴んでいた。この件に関して台湾は自国の情報としてのみならず、WHO(世界保健機関)にも通報していたそうである。そして台湾政府は年が明けた1月2日、この異常な肺炎に関する対策会議を行い、台湾在住の中国人に自国へ帰国するように勧告を出している。この結果、現在でも台湾での感染者数や死者数が他国と比較して格段に低いレベルにとどまっているのである。台湾はこれまで、デング熱、SARS、MERS等で手痛い被害を受けた経験を有している。また、中国の強い主張でWHOから除外されており、感染症に関してWHO等から貰える情報が限られている。このため、感染症等に関して自国で独自の情報収集活動を強いられており、かなりの危機感を持っている。今回の感染症対応においてはNSC(国家安全会議)が全体を取り仕切り、CDC(疾病対策センター)が中心となって対応を行っている。素晴らしい対応である。

米国はどうであろうか。米国は言うまでもなく世界一の情報能力を有する国である。台湾と同様、昨年12月末までに武漢周辺での異変に気づいていた様である。ただ、1月21日には米国内で初の感染者が出て、CDCやナバロ補佐官が「何もしなければ米国だけで50万人の死者が出る」との進言や、アザー厚生長官の「このままではパンデミックになる」等のアドバイスがあったにも拘わらず、トランプ大統領は事態を深刻に受け止めず、「暖かくなれば消えるもの」と考え、国としての対策を取らなかった。この後、事態が急速に展開して深刻な状況となり、3月13日に「国家非常事態宣言」を発令した。対応が遅れたことにより、米国での感染者数と死者の数は、新型コロナウイルス発生源である中国、感染爆発を起こしたイタリアを抜いて世界最大となり、未だに沈静化する兆しが見えていない。

我が国の状況はどうだっただろうか。我が国の「緊急事態発令」が遅きに失した事は、多くの専門家の方々が指摘している。遅れた理由は、いろいろ考えられるが、大きな要因は2つあると考えている。1つは当初の中国政府の公表数値(感染者・死者数)が極めて不正確だったことである。不正確な数値となったのは、(1)中国当局が出来るだけ低い数値に抑えたいという思惑を持っていたこと、(2)感染者や死者の正確な数を中国当局も正確には掌握できていないかったこと、であると考えている。例えば、中国では火葬場に持ち込まれるご遺体のうち病院から搬送される分はごく限られており、大半は各家庭から直接運ばれている。各家庭からのご遺体は多くの場合、死因を特定できていない。この事が重なりあって不正確な数値が公表された。先進国ではあり得ないことである。そして、我が国では、このいい加減な数値を鵜呑みにした俄かの感染病専門家が、2月当初に「このウイルスは通常のインフルエンザより死亡率がかなり低いので心配ない」とマスコミで連日叫んでいた。私は「新型ウイルスなのにどうして他のウイルスと比較できるのだろう?」と疑問に思うこと度々であった。善意に解釈すれば、彼らは日本国民に不要な不安を抱かせない為だったかもしれない。この様な偽データに基づく専門家の意見が、新型コロナウイルスに対する国民の危機感を低下させた事は事実であろう。

また、もう1つの要因は習近平の国賓招待とオリンピック・パラリンピックである。これは日本だけでは決めることが出来ない事であり、この事が我が国政府の決心を遅らせた要因であろう。

しかし、我が国の感染者数や死亡者数を他国と比較すれば、かなり低い状態であり、「緊急事態宣言」が深刻なほど遅れたかと言えばそうでないと考えている。「緊急事態宣言」は要請ベースでこそあるが、国民の行動(自由)を制限する宣言であり、爆発的感染を起こさせないためにぎりぎりまで見極めた上での決心だったのだろう。


安全保障


なお、私はこの新型コロナウイルスを安全保障の問題だと考えている。安倍総理は世界大戦のとの関連で述べられたそうであるが、既に1万人を超す感染者と死者数が300名を越える勢いである事を考慮すれば当然の事と思われる。現在、我が国では新型コロナウイルスそのものの拡大防止に最大限の努力をしているところであるが、次なる不安は経済の低迷混乱である。リーマンショック以上、1929年の恐慌と同等とも指摘されている。私はそれと同時に、軍事外交上の問題点も指摘しておきたい。

世界がこの様な事態に陥っている中でも、中国は2月から3月にかけて最新鋭駆逐艦や補給艦(空母に給油可能)を含む艦隊をハワイ近海まで派遣している。そして帰途、グアム島を通過したあたりの西太平洋上で警戒監視任務中のP-1対潜哨戒機にレーザー照射をも行った。これは攻撃行動と同等であり、極めて危険な行為である。4月には南シナ海で中国海警局の公船がベトナム漁船に衝突して沈没させ、海に投げだされた漁船の乗組員を救助せず逃げ去った。また、最近では中国の奥地での低出力核実験の報道がなされている。まさに傍若無人である。ロシアはアラスカや北海に爆撃機・偵察機を飛行させて示威行動を行うとともに、極超音速弾道弾の研究・配備に余念がなく、今月にはASAT(衛星攻撃兵器)実験を試みる等、好き勝手に行動している。北朝鮮は3月に4回、4月に1回、弾道弾およびロケット砲を日本海へ発射しており、弾道弾や弾頭の能力向上に余念がない。

一方の米国および同盟各国においては、新型コロナウイルスの影響で各所に支障が出始めている。本年2月以降、各国との軍事交流が一時停止となり、米韓合同演習に代表されるように大規模な演習や訓練は軒並みに中止された。米海軍の空母11隻中4隻で感染者が報告され、太平洋艦隊に配属されている空母セオドル・ルーズベルトに至っては約4,000名の乗組員がグアムに上陸処置となっており、当面任務に就くことが出来ない状態である。この状態が長期化すれば抑止力の低下や戦闘力の低下につながらざるを得ない。極めて大きな安全保障の問題である。

今回の感染拡大の主原因は中国である。中国は意図してウイルスを散布したのか、偶然にも「野生動物から人へ」、そして「人から人へ」感染したのかは今後解明されるべき事と考えるが、中国は今回の事態を極めて冷静に監視していると思われる。中国や北朝鮮は、世界を震撼させるウイルスの存在を知った。共産党支配や独裁国ではリーダーの一声で簡単に兵器開発や軍拡が出来る。我々は、あらゆることを想定し、備え、訓練をしておくべきである。


組織


我が国においては通常の感染症において、厚生労働省が一元的に対応することとしていることから、規則・権限に基づいて厚労省が前面に出て新型コロナウイルスへ対応をしている。防衛省もクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の集団感染時、自主派遣として独自の対応を行ったが、厚労省と防衛省の関係は指揮・統制関係でなく、あくまでも協力関係であった。この事が後々、なぜ防衛省の隊員が完全防護の服装で、厚労省の職員が手袋もマスクもしていないのかとの疑問を持たせたことは記憶に新しい。事態が進展し、2月中旬に新型コロナウイルス対応の為の「国家安全保障会議(NSC)」が開催され、以降、国全体として対応する事となった。その後、前述した7都府県対する「緊急事態」を発令し、その約1週間後に全国へこの発令を拡大した。危機管理の鉄則は「初動全力」である。事後、状況を確認し、その状況にあった対応・態勢を取っていくべきである。この観点からすれば、やや遅きに失した感はある。

感染症の歴史を辿れば、我が国も多くの経験をしてきている。日本脳炎、スペイン風邪にはじまり、最近ではSARSやMERSである。ただ、国家として以前の教訓は生かされておらず、これほど感染力が強く、パンデミックになるような事態を想定していなかったように見受けられる。我が国では、台湾の様に各種感染症に対する危機感がやや低かったことは反省すべきである。想定外の事であり、これまでの枠組みや法体系で満足できるレベルの対応は期待できない。通常のインフルエンザ程度の対応ができる程度の備えしかないと考えて良い。感染したか否かのPCR検査もごく限られた病院で、限られた数しか準備していなかった(韓国はSARS以降の教訓を生かし、PCR検査が簡易に出来る体制を取っていた)。各病院のベッド数も通常時対応であり、隔離部屋等の施設はごく限られている。

国家の有事や緊急事態には、まず国が一元指揮・統制することが肝要である。我が国には現在、国の安全保障政策を議論し、方針を決定する「国家安全保障会議(NSC)」と、これを支える「国家安全保障局(NSS)」が存在している。これらの会議体や組織は2013年12月、それまでの「安全保障会議」がNSCとして生まれ変わり、翌年1月7日に以前は存在しなかったNSCの事務局としてのNSSが新設され、同日に第1回目の「NSC四大臣会合」が開催された。以降、NSCは我が国の安全保障に関する重要政策決定に大きく貢献している。最近では、軍事・外交のみならず経済力を使って安全保障を脅かす事象が世界各地で発生していることもあり、今年4月1日にNSSに経済班が増設され、NSSの更なる機能強化が図られている。このNSSの経済班立ち上げの準備の為、事前に配置されていた要員がいたことが功を奏し、偶然ではあったがNSSが素晴らしい対応をしいると私は評価している。今後もこのNSC及びNSSが中核となり安倍総理を支え、安全保障の観点から各省庁を指導していくべきと考える。また、今後、次なる感染症等の対応の為、米国のCRCやCBRN(E)(化学・生物・放射性物質・核(・爆発物))等を参考にNSSや防衛省にNBC等に対応可能な専門家を集めた部門を事前に作っておくべきと考えている。


法律


また、組織とともに、法律は重要である。東日本大震災の後、緊急事態法を制定するか否かの議論があったが、残念な事に制定までに至らなかった。今回は特別措置法に基づく「緊急事態」発令であったが、有事にはこれでは対応し難い。確りとした議論の後、恒久法(例えば憲法第73条に追加)として定めておくべきと考える。(令和2.4.27)



岩崎茂(いわさき・しげる)
1953年、岩手県生まれ。防衛大学校卒業後、航空自衛隊に入隊。2010年に第31代航空幕僚長就任。2012年に第4代統合幕僚長に就任。2014年に退官後、ANAホールディングスの顧問(現職)に。

岩崎 茂

ANAホールディングス 顧問、元統合幕僚長
1953年、岩手県生まれ。防衛大学校卒業後、航空自衛隊に入隊。2010年に第31代航空幕僚長就任。2012年に第4代統合幕僚長に就任。2014年に退官後、ANAホールディングスの顧問(現職)に。※岩崎の「さき」は「崎」の異体字(「山」辺に「立」に「可」)

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