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2021.09.22 対談

地政学の軛:地経学とは(2)
船橋洋一編集顧問との対談:地経学時代の日本の針路

白井 一成 船橋 洋一

ゲスト
船橋洋一(実業之日本フォーラム編集顧問、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長、元朝日新聞社主筆)

 

聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)

 

「長い平和」からサイバー戦争の時代へ

白井:民族、宗教、人種、人口といった変わらないものに対し、人間は技術革新によって新たなフロンティアを作ってきました。例えば、スエズ運河、パナマ運河あるいは上海の胡同といったジオエンジニアリングで貿易の日数を短縮するようなことは、ずっと行われてきたことです。

ところで、スエズ運河やパナマ運河はレセップスという人間がいなければ完成しなかったかもしれません。アップルやフェイスブックもそれぞれの創業者の先見の明とリーダーシップがなければ、これほどの大企業には発展しなかったと思います。そういった意味で、イノベーションには強力なリーダーシップが不可欠だと感じています。日本の会社でもそうだと思います。例えば、ホンダがそうです。本田宗一郎氏の強烈なリーダーシップとあくなき技術革新の追求により、ホンダのバイクは世界を席巻しています。しかしながら、創業時の活力とイノベーションの追求が長く続くことはありません。日本社会特有のボトムアップや根回しが重要視され、次第に新たな分野にチャレンジしようとする活力が失われてきます。このようなときにこそ、新たなビジョンを示すリーダーが必要だと思います。先生はリーダーシップについてどのように考えておられますか。

船橋:国家機能において、政治的リーダーシップは決定的に重要です。1930年代に、ヒットラーを持った国と、チャーチルを持った国、ルーズベルトを持った国の行く末には決定的な違いが生まれました。しかしながら、リーダーシップの作用を数値化して測量するのは難しい。ヒットラーの替わりにどのような人間がリーダーシップをとれば、その後の世界はどのように変わったか、どのように展開したかを明確にすることはできません。しかし、危機の際にどのようにリスクを評価し、どのように資源と人材を動かし、どんな戦略を立てるか、といったことはリーダーシップを発揮しなければ生まれません。明治時代のリーダーと昭和初期のリーダーの違いがその後の歴史に与えた影響から見ても、リーダーシップの質がいかに重要か、その点は日本人の中では共通の理解があると思います。

外国に負けない豊かで強い国を作りたい。これが明治時代の指導者が掲げた目標でした。「富国強兵」と「殖産興業」を進める。前向きで明るい未来像と目標を国民に示し、国民に納得してもらい、向上心とやる気を引き出す、そのような国づくりに踏み出した、壮大なプロジェクトでした。

日本のこれからの大きな課題は、21世紀の世界の中で、日本の平和と繁栄を維持し、多様で包容力があり持続的な社会を構築し、国民のイニシアティブと社会へのコミットメントを引き出すためのエコシステムをつくり、自由と人権を保障する、そのような政治と教育、そして、それを実現するリーダーシップだと思います。

白井:最近の科学技術や情報通信技術の発達に伴い、地政学が及ぼす範囲がますます変わってきたように思います。宇宙やサイバーといった新たなドメインにおいては、技術革新によって既存のパワーバランスや地政学的な条件は変更されるでしょう。また、そこでは地政学上の対立が鋭くなるでしょうし、AI技術を活用したビックデータの解析といった分野でも競争が激化しています。

一方、武器の発達の歴史を見ますと、科学技術の発達につれて殺傷能力も増大し、人類は核という究極の大量破壊兵器を手にしました。第二次世界大戦において広島及び長崎に使用された核兵器は、その被害が想像を絶するものであったことから、逆に使いづらい兵器となっています。装備武器の発達が武器を使いづらいものにするといった皮肉な結果をもたらしたわけです。そういった意味で、技術イノベーションは従来の戦闘様相を大きく変える可能性を秘めていると思います。先生は、今後の戦争の様相をどのように考えておられますか。

船橋:人間の歴史は戦争の歴史です。それは、人間社会におけるもっとも悲しい真実です。ロシアは西暦900年から1900年までの1000年間、25年以上戦争をしなかった時代は1回しかありませんでした。いつもどこかで戦争をしている状態でした。ユーラシアの真ん中で、多くの国と国境を接している地政学的条件がいかに過酷かということです。ロシアでは「セキュリティ」という言葉は、「戦争がない状態」を指します。「安心・安全」ではない。

ナポレオン戦争以後のウィーン会議での「欧州の協調」の始まりから第一次世界大戦がはじまる1914年までの100年の間、1850年代のクリミア戦争を例外として大きな戦争はありませんでした。それに次ぐのが第二次世界大戦後から今までの「長い平和」です。この75年間、冷戦はありましたが世界戦争はありません。「長い平和」がどれほど例外的な時代だったか、そして、その例外性はなぜ、可能になったのかを、私たちは真剣に研究しなければならないところへ来ています。

「長い平和」を可能にした条件が急激に変わりつつあります。例えば、サイバー空間です。陸海空及び宇宙に比べると、サイバー空間は最も「非平和」なドメインです。常に交戦状態にあり、血を流さない戦闘が日々、繰り返されています。

サイバー攻撃は、会社の機密情報の窃取、政府職員のデータ収集、重要インフラへの攻撃、さらには核施設の運転偽操作、選挙における特定の候補に対するSNSでの人格暗殺(政治影響力)まで多種多様です。攻撃方法も多様化しており、実行者を特定することは容易ではありません。IoT(Internet of Things)と言われるように、家電、自動車、ゲーム、電気を含め全てのものがインターネットにつながる時代です。デジタル・トランスフォーメーションを進めれば進めるほど、サイバー・セキュリティーを強化しなければなりませんが、間に合いません。

しかも、サイバー・フィジカルの分野でのサイバー・セキュリティーのスコープがどんどん広がっています。原発を暴走させる、航空機を落とす、電気を広範に停電させる、といった重大な結果をもたらすサイバー攻撃に対しては、米国、中国、ロシアなどは軍事力を使用した制裁や報復を行う方向へと向かいつつあります。フィジカルに重大な結果をもたらすサイバー攻撃は、犯罪ではなく、軍事攻撃だとの認識です。日本は従来、「専守防衛」の旗印の下、武器の使用に関しては極めて抑制的な姿勢を取ってきました。しかし、サイバーはすでに「非平和」という交戦状態にあり、抑止力の構築も難しい。サイバー空間のミサイル防衛網はつくれない。「専守防衛」では自らを守れないでしょう。

国際秩序は妥協の産物である

白井:アメリカは、中国とロシアは現状変更を目指している、自らに都合のいい国際システムの構築を目指していると見ています。そのような中国に対して、バイデン政権は、同盟国やパートナー国と力を合わせて、その変更圧力を中和させようと努力しています。アメリカが目指している国際秩序はどのようなもので、それはどのように我々の利点となるか、あるいはより欠点の少ない秩序となるのでしょうか。

船橋:「長い平和」は人類にとって例外的な事象です。国際政治は、基本的にアナーキー(無秩序)であるという現実に再び、直面しているのです。しかし、人間は闘争によってしか生存できない、「制約によってしか正直になれない」(マキャベリ)かもしれませんが、同時に、協力によって生き延びてきたもう一つの真実もあります。競争しながら協力する、それによって「長い平和」を維持する。それが私たちに課せられている課題だと思います。

この点で参考となるのが、キッシンジャーによるウィーン会議の長い平和の秘訣に関する考察です。ウィーン会議は、前にも触れましたが、1814年から1815年にかけて行われた国際会議です。フランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的とした会議でした。

オーストリア=ハンガリー帝国の外相メッテルニヒとイギリス外相キャッスルリーの強力なリーダーシップが会議を牽引しました。メッテルニヒは、少数民族の自治権を認めた場合には混乱が続く、平和を長続きさせるためには、正統性のある帝国を継続させる必要があると考えていました。フランス革命、ナポレオン戦争によって疲弊したヨーロッパにおいては、それ以前の「正統な」統治者を復活させることが安定を取り戻す道であるということを理念としたのです。

当時ヨーロッパにあった4つの帝国は、王室間の婚姻関係や文化的な共通性、価値観を共有しており、今でいうlike-mindedな関係を構築しやすいというのがあったと思います。しかしながら、それだけでは不十分です。それぞれの帝国のパワーをどう均衡させるか、ナポレオンに導かれたフランスのように一つの国のパワーのみが増大することをどう防ぐかという問題を解決しなければなりません。

ここで、イギリス外相のキャッスルリーが持ち出したのが、イギリスこそが域外(オフショア)の存在として勢力をバランスさせることができるという考え方です。つまり、「正統性」と「勢力均衡」という二つを同時に実現することで平和は成り立つとの考え方が主流となったのです。しかもこの枠組みを、それぞれ国益が異なる国家間で行うわけですから、国家間のコアリッション・ビルディングが重要になります。これは、まさに外交そのものです。正統性、勢力均衡、外交の3つがそろったところで初めて平和の礎が築かれたというのがキッシンジャーの分析です。

(1815年当時の国境線)

私は今もこの考え方は当てはまると思っています。地政学を考えたときには、国際秩序、パワーバランス、そして大国間の協調という3つを併せて平和構築を考えていくことが求められています。となると、地政学とは、国際社会の中で国々が互いに生きていく、できればよりよく生きていくための知恵なのでしょう。これを英語でmodus vivendiと言います。もともとはラテン語ですが、どうやって互いを生かし、生かされるかをありとあらゆる知恵を絞って探求しながらその共生の生き方を学んでいくプロセスです。

ここには正解はありません。どこかの超国家的な存在が、国際法に則って効率的に解決してくれるというような事もありません。全ては政治の営みです。地政学で重要なことは、「地」よりむしろこの「政」のところにあります。最後は、政治の営みに収斂するのです。国際的な正統性、いわゆるグローバル・ガバナンスという言葉がありますが、これを持続可能なものとするためには、地政学的な振り付け(arrangement)が必要です。国境を接する国や、経済的に競争関係にある国々との関係で、全ての国が納得する国際秩序を構築することはできません。要するに、妥協の産物でしかないという理解が必要です。

今、米中対立が生じています。パワーバランスが大きく変化し、従来の国際秩序が崩れつつあります。国際協調というコアリション・ビルディングも非常に難しくなっています。そのような中で、国際秩序、パワーバランス、そして大国間の協調という命題を同時に追求する構想力を持った外交が必要になっています。これが大きな意味での地政学であり、なぜ我々が地政学を身につけなければならないか、そのリテラシーを高めなければならないかという理由はここにあるのです。

(本文敬称略)

白井 一成

シークエッジグループ CEO、実業之日本社 社主、実業之日本フォーラム 論説主幹
シークエッジグループCEOとして、日本と中国を中心に自己資金投資を手がける。コンテンツビジネス、ブロックチェーン、メタバースの分野でも積極的な投資を続けている。2021年には言論研究プラットフォーム「実業之日本フォーラム」を創設。現代アートにも造詣が深く、アートウィーク東京を主催する一般社団法人「コンテンポラリーアートプラットフォーム(JCAP)」の共同代表理事に就任した。著書に『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤誉氏との共著)など。社会福祉法人善光会創設者。一般社団法人中国問題グローバル研究所理事。

船橋 洋一

ジャーナリスト、法学博士、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ 理事長、英国際戦略研究所(IISS) 評議員
1944年、北京生まれ。東京大学教養学部卒業後、朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、朝日新聞社主筆。主な作品に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋)、『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』(朝日新聞社)、『地経学とは何か』(文春新書)など。