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2021.06.21 船橋洋一の視点

太平洋と日豪同盟:拡大する同盟
『実業之日本』と地政学(7-7)船橋洋一編集顧問との対談:地経学時代の日本の針路

白井 一成 船橋 洋一

ポストコロナ時代の日本の針路

「国力・国富・国益」の構造から見た日本の生存戦略

ゲスト
船橋洋一(実業之日本フォーラム編集顧問、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長、元朝日新聞社主筆)

聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)

白井:先生の著書『アジア太平洋フュージョン』(中央公論社)では、1989年に閣僚会議として開始され、アジア太平洋地域の21の国と地域の経済協力の枠組みであるAPEC(Asia Pacific Economic Forum)中国を引き込むことと、日米のバランスを保つという目的があると述べられています。「一帯一路」が排他的なのであれば、当初のAPECの思惑とは大きく異なってきたように感じます。経済的視点から、RCEP(Regional Comprehensive Economic Partnership Agreement:東アジア地域包括的経済連携)への中国の加入の動きはどのように考えればいいのでしょうか。

船橋:米中の経済的綱引きの陰で、APECの役割は低下しました。その代わりに進められたのがRCEPやTPPです。地域の経済的枠組みであるAPECを進める上での日本の思惑は、WTO(世界貿易機構)への中国の参加と同様に、中国の市場を安定化させ、世界に関与する中国という形で繋ぎとめようというものでした。また、米国を開かれた地域主義に取り込むことで、保護主義的な動きを和らげようとするものでした。その場は米国と中国の対立の場ではないという、日本のフュージョン戦略であったと思います。

しかしながら、APECはそういうものとして十分に育つことができなかった。APECの出口戦略は、FTAAP(Free Trade Area of the Asia-Pacific:アジア太平洋自由貿易圏)というAPEC加盟国全てとEPA(Economic Partnership Agreement)協定を作るというものでしたが、その道のりはまだまだ遠い状況にあります。TPPのような有志連合やASEAN+3から生まれてきたRCEPが進められる一方、APECは立ち枯れた状態にあります。この背景には、台湾を含むAPECの枠組を中国が嫌い、これ以上APECが発展することを望まないという思惑も関係しています。中国はアジアのみで構成されるASEAN+3を中心とした枠組みを好ましいと考えており、日本はインド、オーストラリア及びニュージーランドを取り込んだASEAN+3+3を主張してきました。最終的には日本の主張に沿った、米国及びロシアを含む18か国からなるEAS(East Asia Summit:東アジア首脳会議)という形になったと言えます。

RCEPについては、日本は何とかしてインドを取り込もうとしていますが、インドはこれ以上自由化を進めると、中国から怒涛のように輸入品が押し寄せることを危惧しています。RCEPにおける中国の影響力の拡大を、日本とオーストラリアで抑えているのが現在の状況でしょう。

その際に参考となるのが、APEC創設時の理念でしょう。APECは参加国の多様性を認めた上で、排他的な勢力圏を作らない「開かれた地域主義」を思想としています。中国、米国を含む大きな枠組みであり、その中でアジア太平洋地域を一体化するという構想が重要でしょう。アメリカ大陸の国々をより深く関与させるという、アジア太平洋フュージョン、融合が大事なのです。インド太平洋という考え方は、この思想に基づくものだと思います。ここにはインドの参加が不可欠ですし、将来的にはアフリカが入ってくることが期待されます。

白井:先生のご著作『アジア太平洋フュージョン』にもありますとおり、随分前からオーストラリアが東南アジアやアジアへのコミットメントを高めたいという意向を持っていた点については、地域の安全保障や経済を考えると理解できます。

日本にとってもオーストラリアは価値観を共有できる非常に頼もしいパートナーだと思いますが、現在の日豪関係をどのように捉えられておられますか。

船橋:太平洋の平和なしに日本の平和はありません。先の戦争を振り返ってみても、それはあまりにも明白な真理です。しかし、中国が西太平洋――第一列島線と第二列島線の内側――からアメリカを駆逐し、少なくとも西太平洋は中国、東太平洋はアメリカの”棲み分け“を狙ってきています。太平洋を分断せず、この大洋の海の平和を守ることが日本の安全保障の最も死活的な要請です。それを考えたときに、アメリカとの同盟を維持、発展させることに加え、オーストラリアとの戦略的パートナーシップを強めることが大切になると思います。私は、オーストラリアを日本の第二の同盟と位置付けるべきであると考えています。それは、安全保障上の要請だけではありません。アジア太平洋、さらにはインド太平洋に自由で開かれた経済地域アーキテクチャーをつくっていく上でも、オーストラリアは頼りになるパートナーとなるからです。

1989年に誕生したAPEC(アジア太平洋経済協力)はそもそも、日本とオーストラリアの合作でつくったものです。この構想は、もともとは日本が先行して探求し、根回しを始めたのですが、1980年代は、日本がアジア太平洋で何らかの形で地域的枠組みを作るため主導的役割を果たすことに、ASEANの国々の中にはまだ拒否感がありました。戦争の記憶は40年経ってもまだ鮮明でした。そこで、日本は裏方に徹し、オーストラリアに主導権を譲る形で、最初の会議はキャンベラで開催されました。後のオバマのアメリカが世界でのリーダーシップについて一歩引いて裏から支援する傾向を強めたことに対して、“後衛主導(leadership from behind)”などと言われましたが、この言葉はAPECを創立したときの日本の役割に対して東南アジアの外交官たちが使った言葉です。

日本人の感覚からすると、オーストラリアは南半球のずいぶん奥に引っ込んでいる感じですが、ノーザン・テリトリーの首都のダーウィンは、パプア・ニューギニアに近く、ティモール海沿いであり、インドネシアの海洋空間へ広がり、さらにその先の南シナ海につながる北の玄関です。このような地政学的かつ戦略的な位置にあることから、太平洋戦争の際、日本軍はダーウィンへの空襲を行いました。ここを米国にとられまいとしたものでした。このダーウィン港を中国のディベロッパー企業の嵐橋集団が99年の租借契約を結びました。チャイナ・マネー欲しさにノーザン・テリトリー州政府が交渉するのを連邦政府は止めませんでした。それを知ったアメリカはカンカンになり、オバマ大統領はアボット首相に「そのニュースを自分はウォールストリート・ジャーナル紙で読んで知った。なぜ、途中で相談してくれなかったんだ」と強い不満を表明しました。

北太平洋と南太平洋を結びつけるという観点から、私が注目している二つの動きがあります。

その一つが、日本とオーストラリアを繋ぐ海底ケーブルです。この海底ケーブルは、グアムを経由しています。海底ケーブルによって北太平洋と南太平洋が繋がれました。海底ケーブルはデータのハイウェイです。これなしにはインターネットもつながりません。稲垣満次郎の夢、北太平洋の日本と南太平洋のオーストラリアが提携することで一つの太平洋の平和をつくる礎とするという夢です。両国がアメリカと深く結ばれているからこそできたのだと思います。

もう一つは、米海兵隊が日本とオーストラリアの双方を繋げつつあることです。米海兵隊は、冷戦中は北に向けた戦力として存在していましたが、現在、分散化を進めています。中国のDF-21(空母キラー)、DF-26(グアムキラー)などのミサイルに対応するために、兵力を分散させ、沖縄とグアムとオーストラリアのダーウィンの間をローテーションする分散戦略です。将来はそこにアラスカが入るかもしれません。

それだけにオーストラリアがダーウィン港を中国の企業に99年租借させたことに対してアメリカはカンカンに怒ったのです。ダーウィンの戦略的重要性は今後、ますます高まることになると思います。

白井:オーストラリアに対する日本のイメージは、農産物を含む資源の供給国といった側面が強いように思いますが、中国の海洋進出を見据えると極めて重要な国になりつつあるということですね。

船橋:日本とオーストラリアの強い繋がりを示すものに、2020年11月に大枠で合意されたRAA(Reciprocal Access Agreement:相互アクセス協定)があります。これは共同訓練や災害緊急援助等で他国の軍人等が罪を犯したり、犯罪に巻き込まれたりした場合の軍人等の刑事訴訟面での取り扱いを定めたものです。死刑制度のある日本と、半世紀ほど前にそれを廃止したオーストラリアとの間での交渉はこの問題をめぐって長い間、6年以上もかかったのですが、何とか折り合いがついたようです。最終的に合意されれば、オーストラリアは日本の第二の同盟国として登場することになると言えるでしょう。

南シナ海が完全に中国の支配下に置かれた場合、南シナ海を通らずに、インド洋からスンダ海峡、またはティモール海を通るシーレーンを守るためにはオーストラリアとの海洋同盟が不可欠です。

(ダーウィン、ティモール海、スンダ海峡の位置関係)

白井:オーストラリアの輸出のうち中国向けの構成比は38%です。日本の輸出の中国向け構成比(19%)のちょうど倍に上ります。中国にとってもオーストラリアは重要なエネルギー資源の供給国です。中国のオーストラリアからのLNG輸入は、日本と並ぶ約3,000万トンであり、両国は切っても切れない関係と言えます。

しかし、習近平による人権問題、国家安全法施行に伴う香港の本土化に対する懸念がある中で、オーストラリアが新型コロナ感染拡大の責任について中国を批判する主張をしたことに、中国が反発し、中国はオーストラリアからの輸入を規制し、両国間は一気に険悪になりました。

経済的に補完関係がある中国と、なぜオーストラリアはここまで対立しなければならないのでしょうか。2021年1月に中国との改定自由貿易協定に調印し、ますます中国への経済依存度を高めようとしているニュージーランドと比較すると大きな違いがあるように思います。

船橋:鉄鉱石、石炭、天然ガス、農産物の対中輸出のほか、オーストラリアには120万人の中国系の人々がいます。オーストラリアの大学にとって経営上、中国からの留学生は大事な“お客さん”です。オーストラリアは当然のことながら、中国との経済関係を安定させたいと思っています。ちょっと前までは、それも保守党のアボット政権の時、オーストラリアは中国のAIIBに加盟したし、包括的戦略パートナーシップを謳いあげた関係だったのです。

それだけに、今回の中国のオーストラリアに対する経済制裁は「裏切りやがって」といった憎悪に近いすさまじさを感じます。13分野、オーストラリアの対中輸出のほぼ3分の1が制裁の対象となっています。そのような“戦狼外交”の牙をむき出しにする中国を前に、オーストラリアの対中感情は急速に悪化しています。

米国の調査会社ピューリサーチが行った調査では、中国を「好ましくない」と見るオーストラリア国民がこの一年半で57%から81%と急速に増えました。

このような価値観の違う国と果たして安定的な経済関係を維持できるのかどうか、オーストラリアは戦後、最大の戦略的転換期を迎えていると言えます。

コロナ禍の中、2020年11月にモリソン首相が訪日したのは、日本と共闘して中国に当たりたいという思いからでしょう。ただ、オーストラリアも中国との経済的なつながりを全く無視するわけにはいかない。実は2014~15年ぐらいまで、オーストラリアと日本の間では中国に対する温度差がありました。中国と領土問題があるために強く出ざるを得ない日本に対して、当時のオーストラリアは、なぜそこまで強く出るのかという疑問を持っていたと思います。いまはむしろ逆で、一緒に中国に厳しく当たって欲しいというのが本音でしょう。

だからと言って、依存度が高い中国ととことん喧嘩をしたいわけではない。中国との関係をなんとか安定させながら、4年間にわたるトランプ政権下のアメリカとの関係を維持した日本の経験から何か学ぶものがあるのではないか。オーストラリアの識者と話してみると、そのような関心が強いと感じます。

白井:雑誌『実業之日本』の歴史的意義に始まり、地政学から見た現在の日本をとりまくさまざまな問題について、極めて刺激的かつ有益なお話をお聞かせいただき、本当にありがとうございました。

次なるテーマとしては、『地政学の軛』と題して、米中問題を縦横に論じていきたいと思います。

(本文敬称略)

白井 一成

シークエッジグループ CEO、実業之日本社 社主、実業之日本フォーラム 論説主幹
シークエッジグループCEOとして、日本と中国を中心に自己資金投資を手がける。コンテンツビジネス、ブロックチェーン、メタバースの分野でも積極的な投資を続けている。2021年には言論研究プラットフォーム「実業之日本フォーラム」を創設。現代アートにも造詣が深く、アートウィーク東京を主催する一般社団法人「コンテンポラリーアートプラットフォーム(JCAP)」の共同代表理事に就任した。著書に『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤誉氏との共著)など。社会福祉法人善光会創設者。一般社団法人中国問題グローバル研究所理事。

船橋 洋一

ジャーナリスト、法学博士、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ 理事長、英国際戦略研究所(IISS) 評議員
1944年、北京生まれ。東京大学教養学部卒業後、朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、朝日新聞社主筆。主な作品に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋)、『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』(朝日新聞社)、『地経学とは何か』(文春新書)など。