6月14日午前、岐阜県岐阜市に所在する陸上自衛隊の日野基本射撃場で行われていた射撃訓練において、死亡者が発生する事件が発生した。実弾を用いた訓練中に18歳の自衛官候補生が3名の隊員に発砲、うち2名が死亡し、1名が重症を負った。
陸上自衛隊では、射撃訓練は日常の基本的訓練の一つとして行われている。だが、日ごろ災害派遣等の場面で武器を携行していない自衛官しか目にせず、武器に触れたこともない一般の市民にとっては衝撃的な事件である。実弾を使用する射撃訓練の危険性についても、市民は改めて認識したであろう。
筆者は、陸上自衛隊の武器管理は徹底されているという認識だった。国家防衛という任務の中で武器を扱うことが基本となっている組織として、日々の保管から訓練での使用に際しての管理まで極めて厳格な基準を設定し、各部隊はそれを忠実に守っているはずだ、と考えていた。
今回の事件が発生した基本射撃訓練においても、武器の携行や操作要領はもちろん、弾薬の取り扱いを含めて実際に弾丸を発射するまで、隊員の一つひとつの行動が明確に規定されている。小銃の射撃訓練において、弾薬を受領して必要な準備を整え、銃への装填を行うのは、当然射撃をする隊員である。しかし、その隊員が「銃と弾薬を同時に扱う」ことができるのは、実際に射撃をする場所に限られており、それは極めて限定された時間であるはずだ。
それにもかかわらず、なぜ事件が起こってしまったのか。事件から数日がたち、その概要が少しずつ報道されているが、それらによって外部からなされる推測は可能性の範疇(はんちゅう)を超えない。しかし、一部の報道によれば、当該自衛官候補生は次の射撃のために待機している場所で発砲したとされている。
もしこれが事実であるとするならば、射撃訓練の管理要領と相違があり、違和感を覚える。
むろん、自衛官候補生に対する教育課程の内容から基本射撃訓練の実施要領まで、その適否を確認し原因を明らかにする責任を負うのは、報道ではなく、陸上自衛隊である。犠牲となった隊員のためにも、何より正確な情報と正しい分析に基づいた原因究明が待たれる。
実弾訓練は他の方法で代替できない
このような状況ではあるが、筆者があえて主張したいのは、今回の事件が陸上自衛隊における武器を使用する訓練の是非に集中するあまり、本来任務に必要不可欠な武器を扱った訓練に対して制約が生じるようなことがあってはならない、ということだ。
武器の性能を十二分に発揮して任務を遂行するためには、その性能に対する理解と操作要領に対する習熟が必要である。もちろん、基本的な操作要領などの訓練には実弾を必要としないものもあるが、最終的には実弾を使用した射撃訓練が必須であることは論ずるまでもない。
射撃の際に肩を伝わる衝撃、強烈な発射音そして火薬のにおい。これらは戦闘において日常であり、いくらシミュレーターの技術が発達しても代替しえない。自衛隊の精強性を維持するための根幹ともいえる。武器を使用した訓練における一つの事件が陸上自衛隊全体の行動、ひいては国家防衛という国家の機能を阻害しないよう、冷静な議論を期待したい。
理不尽に見える訓練への理解増進も不可欠
訓練における武器使用の是非とは別に、「事件の背景には自衛隊における厳しい指導があるのではないか」との声もある。だが、一般の国民には理不尽にも見える厳しさは、隊員一人ひとりの生命を守るためでもあることを理解いただきたいと思う。
国家防衛を担う自衛隊には、常に「死」を意識しなければならないという本質的な特性がある。自衛隊は、些細なミスが隊員の「死」に直結するという前提ですべての行動を律している。外から見れば細部にこだわりすぎではないかと思われるような指導が、「厳し過ぎる」と感じさせる要因の一つだろう。
自衛隊は創設以来、国家防衛のための戦闘を一度も経験したことがない。そのこともあり、「死」を意識することの難しさや、厳しい訓練に対する本質的な理解が深まりにくい点もあるだろう。国家防衛が実際の行動に移されるまでは、戦史から学び、訓練を積み重ねることによって、常により高い理想像を模索しそれに向かって組織を改善し続けていくことになる。そのときが来るまで自衛隊はこの努力を繰り返していく、永遠の発展途上にある組織でもある。
しかし、だからと言って、今回のような事件があってはならない。陸上幕僚長の発言どおり、陸上自衛隊には武器を扱うことを許された組織として、事件の重大さを重く受け止める必要がある。そして、より適切な隊員指導のあり方を模索しながら、再発防止に全力で取り組んでもらいたい。
写真:UPI/アフロ