米国国防省ライダー報道官は3月24日の記者会見で、米中央軍が3月23日夕刻にシリアへの空爆を実施したことを明らかにした。
同報道官は、23日にシリア北東部の都市ハサカに所在する多国籍軍修理工場に無人機による自爆攻撃が実施され、米民間契約者1名が死亡、5人の軍人と1人の民間契約者が負傷したと発表。バイデン米大統領の指示を受け、オースチン国防長官が米中央軍に攻撃命令を下し、2機のF-15戦闘機がシリア東部の都市デリゾールのイラン革命防衛隊が支援する組織の施設2カ所に精密攻撃を行ったと述べた。
記者会見の最後に同報道官は、「いかなる組織であれ、米軍を無傷で攻撃できるとは思わないことだ」とのオースチン国防長官の言葉を紹介した。この攻撃は、日本の安全保障を考える上でいくつかの教訓を示している。
透けるダブルスタンダードと核抑止の意義
第一は、ロシアが主権国家であるウクライナに一方的に軍事侵攻したことを強く批判している米国が、いささかの躊躇(ちゅうちょ)もなく、主権国家であるシリアに軍事攻撃を行っている点である。もちろん泥沼化しているシリア内戦と米国の関与については複雑な事情があり、ウクライナ戦争と同列に語ることはできない。さらには、米国人が殺害され、負傷したにもかかわらず、シリア政府のいかなる対応も期待できないという事情も考慮されるべきである。しかしながら、主権国家の領域に軍事攻撃を行ったということは厳然たる事実である。ある意味ダブルスタンダードと言われても仕方がないであろう。
次に、欧米諸国がウクライナ戦争において、ウクライナによるロシア領土への攻撃には強い拒否反応を示しているにもかかわらず、米国によるシリア領内への攻撃には全くそのような傾向が見られないことである。
このことは「核保有国と非保有国の違い」という視点から説明できよう。欧米諸国には、米国を凌駕(りょうが)する量の核兵器を保有するロシアを過剰に追い込めば、核戦争につながりかねないという懸念がある。実際にロシアのプーチン大統領は、ベラルーシへの非戦略核兵器の配備に言及するなど、核使用の可能性を匂わせることで、欧米諸国のウクライナへの軍事支援を牽制している。NATO(北大西洋条約機構)は、ロシアがウクライナに軍事侵攻することを抑止することはできなかったが、互いの領域への攻撃は避けるという「核抑止」は、依然として機能しているのである。
一方、核を保有していないシリア領内に米軍が攻撃したことは、その国に「核抑止」が効いているか否かが国家の安全保障に大きな役割を果たしていることを示す例と言えよう。核を「持たず、作らず、持ち込ませず」の「非核3原則」を国家安全保障戦略の基本方針としている日本にとって、核抑止の意義が再認識されたことは厳しい現実である。日本に対する米国の拡大核抑止(いわゆる「核の傘」)の実効性をいかに高めるか、大きな課題を提供していると言える。
侵略戦争と内戦の悲惨さに違いはない
三つ目は、シリア内戦に対する国際的関心の低さである。
シリア内戦は、2010年にチュニジアで生起した「ジャスミン革命」を契機とした民主化運動、いわゆる「アラブの春」の一つとされている。シリアのアサド政権に弾圧されていたスンニ派の人々が中心となって反政府組織を結成、行動を起こし、これに各国が関与、さらには国際テロ組織ISIL(「イスラム国」)が加わり、10年以上混乱が続いている。
2018年、米国のトランプ前大統領は米軍の撤退を宣言、アサド政権はロシアおよびイランという米国に敵対する国の支援を受け、反政府組織の弾圧を継続している。国内治安の悪化から多くの難民が発生しており、国連難民高等弁務官事務所(UNCHR)の2021年リポートによれば、その数は680万人に上っている。シリア難民の受け入れについては、欧州諸国の大きな社会問題となっている。最も多い約380万人の難民を受け入れているトルコは、経済的負担に加え、仕事を奪われるという不満からシリア難民に対する風当たりが強くなっていると報道されている。しかしながら、日本国内におけるシリア内戦および同難民に関する関心は驚くほど低い。
UNCHRのまとめによると、2023年2月現在、ウクライナの国外避難民は807万人である。避難民は現在各国から同情をもって迎えられているが、戦争が長引くにつれ、シリア難民と同様の将来が待ち受けている可能性は否定できない。
ウクライナ戦争、中台問題、米中対立という国際情勢の大きなうねりの中では、米中央軍のシリア国内への空爆は「小さな出来事」としてしかカウントされない。メディアもこれ以上、追加の報道を行うとは思えない。しかしながら、シリアで暮らす人々にとっては、内戦は現実であり、多くの人々の命が失われ、多くの難民が過酷な生活を送っているのである。この事実は、ロシアの侵略を受けているウクライナと大差はない。
目に触れられていない真実もある
われわれは、ともすると、「報道されていないことは起こっていないこと、終わってしまったこと」と捉えがちだ。だが、メディアが関心を示し、大きく報道されることだけが事実ではないという自覚が必要であろうし、当サイトも含め、メディアも自らの役割を問わねばならない。
「神は細部に宿る」という言葉がある。主に芸術分野で、細部へのこだわりが作品の本質を決めるというような時に使われている。神ならぬ身で、世の中全ての出来事を網羅することは困難だが、今後ビッグデータの解析技術が進むことで、われわれは、より多くの情報を手にすることができるであろう。
しかしながら、いくら大量の情報を短期間に処理できる能力が向上しても、それを扱う人間が意識しなければ、目には入らない。さらには、ソーシャルメディアの発展などにより、自分の価値基準に合致した情報しか耳に入らない「フィルターバブル」に陥る危険性もある。
小さな出来事、見落としがちな細部から新たな真実が浮かび上がる可能性がある。今回の米中央軍によるシリア空爆は、今も続く内戦の悲惨さとともに、世の中の関心が薄れ、興味を引かなくなったことにも大きな意味があることを教えてくれた。
写真:AP/アフロ