2020年10月に行われた中国共産党第19期中央委員会第5回全体会議において「2035年までの長期目標の制定に関する中国共産党の提議」が審議、採択された。2035年までの長期目標として掲げられているのは、「主要技術及び革新技術において重大な突破を実現し、イノベーション型国家の先頭集団に入ること、新型工業化、情報化、都市化、農業の近代化を基本的に実現し、近代化経済システムを完成させること等」である。そして、「一人当たりGDPで中等先進国水準に達することを目標とする」としている。
軍の近代化に関しては、「人民軍に対する党の絶対的指導を堅持する」とし、「法に基づき軍隊を統治し、機械化・情報化・知識化を融合発展加速させる」との方針が示された。そして、「2027年までに軍隊建立の百年奮闘目標の実現を確保することが目標」とされた。従来は2020年までに「機械化及び情報化を概成させる」としていたが、それらは達成されたと評価、2027年が中国人民解放軍創設100周年であることを考慮し、新たに知識化を加えた目標が再設定されたものであろう。知識化という言葉は数年前から解放軍報等で使用されており、AIやロボティクス等の技術を積極的に導入する必要性が再三にわたり強調されている。
防衛省防衛研究所の八塚氏は、中国人解放軍の知能化発展プロセスを初期、中級、高級の3段階に区分し、2020年までの初期段階でAI技術が装備面で応用され、2035年までの中級段階で攻防システムのいたるところで利用されて戦争形態が知能化に変化し、2045年までの高級段階で全ての要素において多層な知能化が完成し、多様な軍事力が協働を形成すると分析している。八塚氏の分析は中国人民解放軍における知能化に焦点を当てたものであるが、知識化は軍内に留まらず、広い範囲をカバーしていることが確認できる。2021年4月28日付解放軍報には、「智(解放軍報ではこの字が使用されている)能化時代の情報セキュリティ確保への道」という記事が投稿されている。この中では、情報セキュリティを確保すべき範囲は、金融、情報、産業、輸送、医療等とされている。中国は軍事戦略として、「世論戦」、「法律戦」、「心理戦」という「三戦」を重視している。「三戦」への智能化技術適用が積極的に行われていると考える方が自然であろう。
2021年4月に公開された米国国家情報長官室の年度脅威評価には、軍事力や宇宙・サイバーと並んで「影響作戦(Influence Operation)」が評価基準として示されている。影響作戦とは、敵対国が米国に対して経済的、文化的影響力拡大を図るとともに、国家主体で米国のメディア等に自らに都合の良い情報(フェイクニュースを含む)をばらまき、世論を誘導し、国家指導者の政策決定を自らに都合の良い方向に変えるというものである。これは、人間の認知領域に働きかける新たな戦争形態と言え、第5の戦場である「サイバー空間」に次ぐ第6の戦場として「認知空間」が認識されつつある。2017年米国防省情報局のスチュアート長官は、「戦争の本質は変わらないが、21世紀の戦いは、動的なものから大きく変わる可能性がある。敵は認知領域で戦争を行うために情報を活用している。戦いの前又は最中に意思決定の領域での情報戦に勝つことが重要である」との見解を示している。米軍が2017年の段階で、認知領域を戦闘空間と認め始めていることを示している。2020年に示されたNATOの戦略文書には「認知戦(Cognitive Warfare)」という言葉が使用されている。
NATOの戦略文書では、国際紛争が非対称かつグレイな形をとる傾向があり、認知科学を活用し人間の心を操る事態が増加しつつあるとの情勢認識を示している。そしてこれに対応するためには、「ナノテクノロジー、生物技術、情報工学及び認知学」への投資が不可欠と結論付けている。「影響作戦」と「認知戦」いずれも、相手のどのようなグループにどのように働きかけていけばより効率的かを判断することが極めて重要である。このような軍事活動は、必ずしも新しいものでも軍事分野に限るものでもない。経済や商業活動において消費者のニーズをどのように把握するかという活動もこれと同じと言えよう。大きな違いは、商業活動が一定の法的制約の中で行われているのに対し、国家を主体とする「認知戦」は対象国の法的制約を受けにくい。IoT(Internet of Thing)が進み、世の中のものが全てインターネットにつながる時代となり、AIの発達に伴い、大量データの高速処理が可能な現在、人の認知機能へのアクセス及びそれを操ることが容易な時代となってきた。「影響作戦」及び「認知戦」の実施は実際の戦闘に先立ち、平時からこれらの攻撃を受けていると見なければならない。
「認知戦」は世論に働きかけ、政治指導者の決断を左右する。民主主義国家が国民の意見に基づく政治形態であり、その基盤である民意が外国により操作される可能性があることは、民主主義の正統性が問われる事態と言える。2020年の米大統領選挙は、フェイクニュースという言葉が飛び交い、米国社会の分断が進んだ。今年1月に発足したバイデン政権最大の課題の1つは、この深い亀裂をいかに修復するかにある。しかしながら、米国の状況は決して対岸の火事ではない。米国のような社会の分断が日本で起こる可能性は否定できない。従来、メディアと社会の関係は一方通行であった。新聞やテレビは、それぞれが複数存在することによる相互監視によって、国民への情報提供が偏ることを幾分でも是正する効果が期待できた。しかしながら、現在はユーチューブに代表されるSNSで、誰もが自由に情報を発信することが可能な時代である。中には、「インフルエンサー」と称される影響力の強い個人も出現している。氾濫する情報の中で、国家による「影響作戦」や「認知戦」に対抗するためには、個人の自覚及びメディアによる啓蒙が重要ではあるが、国家としてSNSや特定グループの動きをある程度継続的に監視し、その実態を明確にすることにより国外からの干渉を最小化することも不可避であろう。その場合、個人の自由と社会の安全の相克が大きな課題となってくるであろう。
サンタフェ総研上席研究員 末次 富美雄 防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社において技術アドバイザーとして勤務。2021年から現職。