我が国ではCovid-19の感染拡大防止の観点から、4月8日に全国を対象として「緊急事態宣言」がなされた。約1月半後に新規感染者数が減少に転じた状況を見極め、5月21日に首都圏等を除く地域で、5月25日に全国で緊急事態宣言が解除された。しかし、これは新規感染者がピーク時に比較して少なくなっただけで、ウイルスが消滅した訳ではない。多くの感染症専門家が、「第2波」、「第3波」の再来を警告している。このウイルスに対する有効な薬やワクチンが、我が国だけでなく世界各国へ十分に出回るまでは気を抜くことが出来ない。当面はこのウイルスとの共存が求められている。
我が国では、新規感染者数がピークを迎えていた頃から、「アフター・コロナ」の言葉が出て、少しずつ様々な議論がなされてきている。ある人は次期感染対策に関して、ある人はWHO(世界保健機関)や国連の在り方について、そしてある人は経済再生について、また他の人は世界的な大変革について等々いろいろな事が議論されている。
この様な最中の6月15日夕刻、市ヶ谷台に所在する防衛省A棟のエントランスで、いつものように河野防衛大臣がぶら下がり記者会見を行った。この中で驚く発言をされた。「陸上イージス配備プロセスの停止」である。実質上の配備断念である。これほどの重要装備品の導入途中における断念は、極めて異例な事である。この「陸上イージス」の断念理由は、大きく2点である。(1)陸上イージスの発射ブースターを確実に演習場内に落下させることが困難な事が判明(確実に演習内に落下させる為にはソフトウエアとハードウエアの改修が必要)、(2)各種改修や新型ミサイル開発にはより長い期間とコストが必要、との事であった。この事業に係った多くの方々、防衛産業の方々、自衛官や隊員の方々、そして米国の方々等々、驚きとともに落胆されたのではと感じている。
そもそも、この「陸上イージス」は、北朝鮮が弾道弾の発射実験を多用し始めた2017年の年末、導入を閣議で決定したものである。北朝鮮の弾道弾開発は1970年代からスタートし、1998年に何らかの飛翔体が北朝鮮から我が国上空を通過し、太平洋上に落下した。また、北朝鮮は弾道弾の開発とともに金日成時代からの念願であった核にも手を伸ばし始め、2006年10月に初回の核実験(北朝鮮発表)を成功させている。この際においては米国も我が国も、核でないとの見方が大半であったが、私は我が国の気象庁が観測した揺れ(約1Kt)からすれば、通常弾の爆発で説明が出来難いほどの地殻の動きであり、核の可能性が高いと見ていた。「核ではない」との見解は政治的な配慮が強く意識された結果であったと思われるが、危機管理の本質からすれば、やや危険な見方である。危機管理の鉄則とは「最悪の事態を想定する事であり、その最悪の事態にどのように対応するかの腹案」を持つことである。
その後、若干の紆余曲折があるものの、北朝鮮は着実に弾道弾開発と核実験を積み重ねている。これまでの各種実験からの推測では、米本土に到達する可能性も指摘されている(高度4,000Kmを超えるロフテッド軌道射撃も行っており、一般的に最適角度での射撃であれば、最高高度の3~4倍の水平距離を飛翔させることが可能)。また、飛翔形態も超高速であったり、低高度飛行であったりと複雑な対応が可能なまでに開発が進んでいる様である。そして核実験に関しては、2017年9月の実験がこれまでの最後である核実験に関しては、この時の衝撃の大きさを気象庁が約160Kt(広島型の約16倍/長崎型の約10倍)、マグニチュードは6を超えると観測をしている。かかる現状からすれば北朝鮮は、日本のみならず東アジアの脅威であり、世界にとっても好ましくない状況にある。
ここで少し我が国の弾道弾防衛(BMD)に関して言及しておきたい。自衛官の多くは、北朝鮮がロシア製のスカッドミサイルを保有し始め、その射程が徐々に延伸されてきて、我が国の領域にかかり始めて以来、スカッドミサイル対応が必要との意識を強く持っていた。ただ、日本国内ではなかなか理解が得られず、弾道弾防衛の未整備状態が長く続いた。そして前述の1998年、北朝鮮が我が国の東北地方上空を飛翔する弾道弾を発射したのを機に我が国のBMD構築が開始されたのである。それまでに保有していた海自イージス艦に弾道弾対応が可能なSM-3ミサイルを装備するとともに、それまでは航空機等のABT(Air Breathing Target:空気を吸っている目標=航空機や巡航ミサイル等のレシュプロ/ジェットエンジンの飛翔体)に有効な空自ペトリオットに弾道弾対応が可能なPAC-3機能の導入が開始された。そして我が国に弾道弾が飛来する恐れのある場合には、防衛大臣の命令で、航空総隊司令官(横田基地所在)が統合部隊任務指揮官となり、海自イージス艦、空自ペトリオット部隊等を指揮・統制して対応に当たる事とされ現在に至っている。
今回の河野防衛大臣の「陸上イージス停止」の判断は妥当であると考えるものの、我が国を取り囲む経空脅威(ABT+ロケット)がなくなった訳ではない。であれば、我々は次に何をしなくてはいけないのだろうか?
2013年12月に閣議決定された「国家安全保障戦略(NSS)」をご存知の方もいらっしゃると思う。この「NSS」は10年先を見通して策定された我が国初の文章化された国家戦略であり、策定には私も現役自衛官として参加させて頂いた。そして、私は2年前の「防衛計画の大綱」の見直しの議論にも参加させて頂いた。2018年時点ですら5年前の世界情勢と大きく変わってきていることから、「大綱」のみでなく「NSS」も見直すべきと提案したものの、賛同を得ることができなかった。
私は、中国が驚異的な経済成長や急激な軍拡を進めている事に代表されるような激動の世界情勢、米国を初めとする内向き傾向の加速、今回のCovid-19のパンデミック、そして我が国の「陸上イージス停止」等々を鑑みれば、2013年当時とは明らかに異なる世界になりつつあると考えている。そこで、まずこの「NSS」を早急に見直すべきと考える。この見直し検討の中で、今回のCovid-19の様な感染症対応にはどう対応すべきか、現在や将来において我が国が晒されるであろう弾道弾や巡航ミサイルも含めた経空脅威対応は如何にあるべきか、そして今後の宇宙空間やサイバー空間の利用を進めていくにはどのような施策が必要なのか、エネルギーや食糧問題対応等々に如何に対応すべきなのか。そして重要な経済再興と我が国が更なる発展を遂げるためには、どのような分野を強化すべきなのか等々を包含した「新NSS」を策定すべきと考える。当然、米国の大統領選挙後見据えた日米同盟の在り方も含めて幅広い議論を行う必要がある。まずは、政府、NSCで今後の大方針・今後の方向を決め、以降、各担当の省庁が各分野の戦略を策定すべきたろう。
そして、防衛省は、この「新NSS」を受けて、「大綱」に代わる新たな「防衛戦略」、「統合運用戦略」を策定すべきである。当然、この戦略に関しては公表する部分と非公表、所謂「秘」の部分を含んだものとすべきである。全て手の内を明かすことは、如何に民主主義の国であろうが得策だとは思わない。「大綱」は戦略的な部分も含んでいるものの、防衛力整備の基礎となる「中期防衛力整備計画(中期防)」の前提になる基本的な考え方を纏めた内容となっており、戦略とは呼び難い。「大綱」は既にその役割を終えていると考える。是非この機に我が国も、安全保障戦略体系を一新し、新たな時代の新しい考え方の戦略を策定し、時代遅れにならないようにすべきと考える。(令和2.6.24)
岩崎茂(いわさき・しげる)
1953年、岩手県生まれ。防衛大学校卒業後、航空自衛隊に入隊。2010年に第31代航空幕僚長就任。2012年に第4代統合幕僚長に就任。2014年に退官後、ANAホールディングスの顧問(現職)に。